トラウマでありヒーロー 僕を映画ヲタクにした「ターミネーター」シリーズ
今日は僕がニチアサ作品と同じぐらい幼年期から大好きな映画について語ろうと思います。
最大のトラウマにして最強のヒーロー。そんな肩書きが似合うヤツは僕にとっては1人しか居ません。アーノルド・シュワルツェネッガーが演じたT-800(通称ターミネーター)。彼は間違いなくそのような存在でした。
僕にとってターミネーターは映画ヲタクとしての原点であり、英語を今でも好きにさせてくれた恩人のような存在でもあり、いち映画シリーズでありながらこれもまた、人生に多大な影響を与えてきました。
ターミネーター(1984)
シリーズの第1作目であり、唯一シュワちゃんが演じるT-800が敵役として描かれるT1の怖さは幼年期の自分にとって強烈な存在でした。
取引も理屈も通用しない、同情も後悔も恐怖もない。只管殺戮対象であるサラ・コナーを追い続け、任務を果たすまで、機能が完全に停止するまで絶対に諦める事はない。
よくB級ホラー映画と称されがちなT1ですが、確かに低予算を感じさせる場面は多々あるものの、ターミネーターが最も恐怖の存在として描かれてるのは個人的にはT1だったと思ってます。
確かにT2のT-1000等も強大な存在ですし、初見時は緊張が終始続く事は間違いなしだとは思いますが、1作目の時点では味方サイドがカイル・リースという人間の兵士であり、撃たれたり刺されたりしたら絶命する危険とは常に隣り合わせ。死が常に背後から迫ってくる恐怖は他の追随を許さないのがT1の特徴だったように思います。
個人的な思い出としては、やはり終盤のエンドスケルトン状態になってもまだ襲ってくるT-800がとても怖くて、幼年期は殆ど自宅にあったT1のVHSを再生する事は出来ませんでした。漸く直視出来るようになったのは小学校の4年生ぐらいの時だったと思います。
今では殆ど見なくなりましたが、幼年期は定期的にエンドスケルトンのT-800が迫ってくる悪夢を観る事がしょっちゅうありました。そのぐらい僕にとっては恐ろしい存在として鮮烈なものを残したのでしょう。
ただ、これはT2にも言えるのですがブラッド・フィーデルのメインテーマを始めとする音楽や、アクションシーンのテンポの良さはかなり癖になるものがあって、現在に至るまで相当な数リピートしました。警察署を襲撃するT-800のシーンは本来であれば現職の人は不愉快な思いをしそうなものなのですが、当時の関係者試写会で警察の関係者を呼んだ時に好評だったそうです。
そのぐらい、T-800のアクションシーンは怖さと同時に思いっきり破壊していく”痛快さ、気持ちよさ”も兼ね備えてるのでしょう。
近年で言えば2021年にも「午前10時の映画祭」でT1は再上映され、観に行きました。今思うと1時間40分と非常にコンパクトな尺の映画なのですが、アクション、SF、ラブストーリー等の多くの要素を上手に詰め込んだ第1作目だったように思います。
ターミネーター2(1991)
言わずと知れた、伝説の映画。と言ってもいいでしょうね。
前作で最強(凶)の追跡者だったT-800は35年後のジョンによってプログラムを書き換えられ、今度はジョンの守護者として送り込まれる。このT-800の表面上の任務は殺戮→守護と大きく変わりながらも、どんなに傷付き続けても命懸けでジョンを守る(任務を遂行する)という”変わらない本質”が世界中の観客を唸らせ、有名なラストシーンに繋がっていく。
当時、公開前のチラシや宣伝等ではT-800の立場が逆転する情報はシークレット扱いになっており(正確には海外での本予告では判明済みだったそうですが)当時の宣伝担当達は大いにプロモーションに苦労した様子がチラシやパンフレット等の様子から散見されます。
昨今映画公開時に初めて明かされる「サプライズ」というのが多用されるようになって久しいですが、この時代に於ける大作映画の最大のサプライズがもしかしたらT2、だったと言えるかもしれません。現在のようにインターネットもなく、口コミ等も現在よりは伝わりにくい世の中だった事を考えると、ネタバレ対策をしないでよかったという意味ではいい時代だった、と言えるのかもしれませんね。
アメリカでの公開初日の映画館では劇場から次の通りまで行列が出来上がっていて、その行列は全てT2を観に来た観客だった、というお話もあったそうです。前作の良かった部分を更にスケールアップし、疑似的な親子関係を彷彿とさせるT-800とジョンのやりとりと、彼等の別れ。そして1991年という時代特有の世紀末が近付いてくる閉塞感。患者の声に耳を傾けない精神科医(シルバーマン先生)、テクノロジーとしての脅威(諸悪の根源たるサイバーダイン社)、そして今作の敵であるT-1000は悪でありながら警察官の制服を着用している。などと言った、「権威」に対する強烈な警鐘のような強いメッセージ性が込められてるのがT2の特徴と言えるでしょう。
僕は所謂「映画」という娯楽の楽しさが最も詰まってる映画はT2だと今でも思っています。お馴染みのガンアクション、派手なカーチェイス。先述のドラマやテーマ性。音楽、演出。それらの多くの感性がT2が原点になってる所は大いにあります。
個人的な思い出としては、この映画の影響を受けてウィンチェスターM1887ショットガンの玩具を購入したり、T1とセットで劇中の英語台詞をノートに書き殴り、自力で翻訳する作業を趣味でやってたりもしました。(この影響で未だに多くの台詞がソラで言えたりします)(あと英検に受かった笑)
僕が映画をよく観るようになった2015~2016年以降で初めてT2を観たのが2017年夏に3Dで再上映された時だったのですが、こんなに完成されたクオリティで美しい映画だったのか、と改めて感心した記憶があります。昔から好きなものでも、色んな視点を身に着けてから再鑑賞すると違った発見がある、という良い例ですね。
ターミネーター3(2003)
世間では大失敗続編の象徴のように扱われる事が多いT3ですが、個人的にはそこまで嫌いではないかなというのが率直な感想ではあります。
確かに「審判の日は回避されてなかった!スカイネットはデータだから結局止める事は出来なかった!」というバットエンドオチはT2の感動を台無しにしてしまってると言われてしまっても仕方がないと思う部分はあります。
ですが、観点を変えてみればT3があるおかげでT1の歴史にタイムパラドックス的な矛盾が発生せず、鮮やかに歴史がループしてると捉える事が出来たりするのです。この辺りはストーリーの整合性を重視するか、鑑賞者としての後味を大事にするかの違いで感想が分かれてしまう要因なのだと思います。
そもそも僕の場合、ターミネーターに求めてる本質的な部分が歴史改変要素、シュワちゃんの派手な暴れっぷりや銃撃戦、と言った部分なのでそういう意味ではT3もそこをある程度満たしてる部分はあると言えるんですよね。
逆に言えば、別物として捉えれば違った良さもあるであろう、2009年映画の「ターミネーター4」を僕が好意的に捉える事が出来ず、黒歴史扱いしてるのもそれが理由なんですよね。(そもそも"4"と言ってるのは日本だけで英題は違いますし…)
T3は僕が生まれてから出来た最初のターミネーターでした。当時はまだ6歳だったので、存在を認知してからもあまり大きな反応を起こす事はなかったのですが、最初に観た時は「よく分からない」というのが第一印象ではありました。
しかし、繰り返し観ていくことによって先述の特徴に気付く事が出来た。色んな映画で僕が経験してる事なのですが、思い入れが強いシリーズで初見はあまり良かったと思えなかった映画も細部まで繰り返し観ていく事によって良かった点に気付くという事は往々にしてあります。
勿論、感想や好みは人によって違うので世間でT3が非難されがちな事は納得してますし、そのような声があって当然だとは思います。これはもう1つのT2の続編を謳ってる「ニュー・フェイト」にも同じ事が言えるのですが、そもそも綺麗に物語が着地したT2の続きをどうしても描こうとすると、このような印象は避けられないのだと思います。
ターミネーター 新起動:ジェニシス(2015)、そしてターミネーター ニュー・フェイト(2019)
映画ヲタクとしての原点であるのがT1&T2と述べましたが、僕を「映画ヲタクにした」決定打はジェニシスだったと言ってもいいです。
2015年7月。当時僕はうつ状態で辛い日々を過ごしていたのですが、数か月前に認知したターミネーターの新作映画、それも1や2の内容を多く盛り込んだIFストーリーを描く所謂「リブート」に該当するもので、公開前からとても楽しみにしていました。直前になって公開日が7月11日から7月10日に繰り上がり、この日は自分の誕生日で、非常に運命的なものを感じていました。
しかし僕自身はある事に拘っていました。それは「家族4人で観に行く事」でした。ターミネーターという作品を自分に紹介してくれた両親、そして共に楽しみながら育った兄に予告編を見せ、これは絶対僕等4人にとって思い出の映画になるに違いないと思ったのです。
今作、そしてニュー・フェイトの醍醐味の1つにサイボーグである筈のT-800の外見に年齢的な変化を与えるという、ターミネーターの生みの親であるジェームズ・キャメロンからのアイデアが採用されていて、年老いたシュワちゃんを上手に作中内に落とし込む要素になりました。最新のCG技術を駆使して新旧T-800同士の対決という現代ならではのアクションシーンが用意される等のジェニシスの怒涛の序盤の情報量はシリーズに於いて随一と言えるでしょう。
既に歴史が書き換えられ、サラはT-800と共生し、既に来るべき日に備えていたという驚愕の展開にカイルと観客のシンクロ率は100%になりました。何が起こっているか分からず困惑しているカイルにサラは「全てが変わった、『あの』1984年はもう存在しない」と告げるシーンがあるのですが、『あの』1984年、というのは言うまでもなく我々観客がかつて観てきた、T1の出来事の話な訳で、メタチックな要素も含んだ台詞に初見の人は驚愕し、複数回鑑賞者はニヤリとする楽しさがあるのがジェニシスなのです。
ジェニシスはジョンが敵になったのが嫌、予告で見せ過ぎという評判がどうしても付随してしまう印象がありますが、ターミネーターシリーズは元来、「人間は機械に支配されてしまうのではなく、如何にして支配を保てるか」というのが裏のテーマでした。そしてジェニシスは単なる一作品のリブートに留まらず、テクノロジーが進歩して機械と人間の距離がT2が公開されていた91年よりも格段に近付いた現代だからこそ、この映画のテーマを訴える事に意味がある、と僕は感じたのです。
そしてこのジェニシスを初めて映画館の強い音響、迫力の画面で鑑賞した時に大きな感動を覚え、人生で初めて映画館で同じ映画をリピートする作品になりました。以降、僕は映画ヲタクとなって色んな映画を観るようになって現在に至ります。
そんな僕の最後の心残りが「シュワちゃんのターミネーター映画をリアタイする夢は叶ったけど、欲を言えばリンダ・ハミルトンが演じるサラももう1度出て欲しかった」というものがありました。それを叶えたのが2019年公開の「ニュー・フェイト」です。
ニュー・フェイトにも沢山の思い出があります。人生初のレッドカーペットイベント参戦、有給を取って公開初日の初回に駆け込み、初日に3回リピートした思い出など、ジェニシスと併せて「思い出の映画」と言えます。
T3がジョン生存ルートであるならば、ニュー・フェイトはサラの生存ルートですね。冒頭で既に複数の時代に送り込まれていたうちの1体であったT-800にジョンは1998年、結局抹殺されてしまいます。この展開はどんなストーリーも受け止めると覚悟していた自分にとって想像を遥かに上回る衝撃でした。
この時点で泡吹いて気絶しそうになったものですが、そんな事を言っていたら映画が始まらないと思って初見時はとにかくシナリオを追う事にとても必死だった記憶があります。大きく楽しみにしていた映画の初見で度々起こる事なのですが、凄く気持ちを作ってる分、一度衝撃を味わうとその感情に終始振り回されるのも1つの「映画的原体験」だなぁ、とこの頃思うばかりです。
ニュー・フェイトのT-800は色々な賛否両論がありますが、僕的にはT2の劇中でジョンが願った「殺人マシーンとしてではなく、より人間らしく生きて欲しい」という想いが皮肉が混じりながらも昇華された綺麗な具現化、だと思うんですよね。だから初見時は混乱しましたが比較的直ぐに飲み込むことが出来たのも、先述のジョンの心情を把握出来てたからだと思います。
ジェニシスが「2のノリで作った1」ならニュー・フェイトは「1のノリで作った2」ではないでしょうか。何でもない一般市民であった筈のダニーが逃亡劇に巻き込まれ、そこから”未来”の象徴である人類抵抗軍のリーダーの片鱗を見せながら敵であるREV-9を最後は撃退する。まさにかつてサラが通った道です。そういう意味ではターミネーターの本質を突いた作品ではあったと思います。
ただ、ターミネーターの新作をどんなに作ってもどうしても似たような展開になってしまう。僕のようなディープなファンはその「お馴染み」を楽しむのがこのシリーズのウリだと思ってますが、それが世間では「焼き直し」という印象を与えてしまうのだろうな、と感じる事は多くあります。
だからターミネーターはこれが最後でいいかな、良い思い出は沢山貰ったし。というのが僕の正直な気持ちですね。
シュワちゃん愛
コロナ禍真っ只中の2021年夏、T1とT2の再上映を観に行った僕はシュワちゃんに英語でファンレターを書く事にしました。
英語、と言っても書きたい文章を精度の高い翻訳サイトで英語に変換した後、英語が出来る父に校閲してもらうという流れのものでした。
当時僕が書いた文章はこういうものです。
少し経った後、恐らく自動返信ではあるとは思いますがお返事が返ってくる事が写真付きでありました。少なくとも、きっと目は通してくれたと思います。その事が、僕にとっては嬉しかったし彼が元気なうちにそういう事が出来るのは良い時代だな、と思いました。
シュワちゃんは先日もNetflixでのお仕事をされているニュースなどで未だ健在の模様で嬉しく思います。今や大分高齢の方ですが、これからも元気でいて欲しいと願うばかりです。
最大のトラウマで最大のヒーローのシュワちゃん/T-800よ、永遠なれ!
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