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それでも、私達は〜映画プリキュアオールスターズF感想〜

きし-かいせい【起死回生】

死にかかった人を生き返らす意。 医術のすぐれて高いことの形容。 転じて、崩壊や敗北などの危機に直面した状態を、一気によい方向に立て直すこと。 絶望的な状況を立て直し、一挙に勢いを盛り返すこと。

のっけからネタバレ全開で行きます。まぁ読んでる人で未見の人が居るとも思えないので。

プリキュア史20年。たった1年だけで世の中には色んな事が起こるというのに、それが20年も続けば、それは大いなる歴史の一部と言っても過言ではないのです。

そう、それは終盤に復活したキュアハート/相田マナの「色々あったなぁ」のたった一言の中に凝縮されてると言ってもいい。

良い事ばかりじゃない、どうにもならない理不尽な出来事、やり切れない気持ちになる事、それはコロナ禍や不正アクセスの件で放送が止まり話数を削減せざるを得なかったヒープリやデパプリの事も暗に含んでるし、売上が伸び悩んだと言わざるを得ない時期があった事、先述のコロナの影響でミラクルライトという概念をオミットせざるを得なくなった事、etc…

そんな20年間の歴史を70分に濃縮したような映画でもあったオールスターズF。色んな人にとって色んな想いがある映画だったのではないでしょうか。

では、自分なりに思った事を1つずつ噛み砕いていきましょう。


メインビジュアル。まさかこの一枚絵の中に残酷な真実が隠されてるとは公開前は想像もしませんでした…


そもそもの長らくの不安の1つとして、前回のアニバーサリーイヤーである2018年公開のオールスターズメモリーズはある意味究極の題材でした。プリキュアファン、作り手の中にある「思い出」を包括してエモーショナルな「ありがとう」で只管殴り続けるような素晴らしい映画ではあったのですが、既にオールスターズという体制に大分無理があった中での思い切った一度きりの「切り札」だったように思えてならなかったのです。

故にプリキュア20周年映画はこれとはまた別の感動を味わえるのか?という不安…というのはこれまでずっと思ってきた事なのですが、今作は公開前にその不安は一気に消し飛びました。

何故ならば「オールスターズ」の名を冠してはいるのですが、基本的にはプリキュア史的に見ると後半に該当するGo!プリンセスプリキュア〜前作であるデリシャスパーティ♡プリキュアの中から直近のヒープリまでは2名ずつ、それ以前のスタプリからは1名ずつのピックアップ作戦、という采配に出たからです。

これには公開前、ファンの間で物議を醸したものでした。当然オールスターズである以上、自分の好きなプリキュアが新録ボイスで付く事を期待するのは自然な感情だとは思うのですが、公開前に分かってる情報では先述のピックアップ陣に加えて歴代主人公の匂わせがある程度でした。

そういったムードがあった中で今でも思うのですが、少なくとも今作に限って言えばそういった「推しが居る/居ない」でスタンスを決めてしまうのはあまりに勿体無いと言わざるを得ない部分があると思います。正直に申し上げて過去作を用いたのはいいけど、その起用がお世辞にも上手くいってるとは言い難い作品は決して少なくありません。(プリキュア映画でさえもです)

しかし今作に関してはこれまでのプリキュア映画には類を見ない最大スケールのシチュエーションの戦いが繰り広げられ、「プリキュアとは」というテーマに対して全ての作品が共通して紡いできた大切なメッセージを力強く謳っています。そこを1人でも多くの人に感じ取って欲しいというのが、自分からの切なる願いです。

そんな公開前のアレコレを踏まえつつ、本題を。

ズバリ率直に申し上げて色んな意味で「2023年版プリキュアオールスターズ」に間違いなくなっておりました。特に前半はGoプリ以降バージョンのかつてのDXシリーズの頃のオールスターズのような側面が非常に強かったように思います。各キャラの掛け合い、演出、当時の劇伴の使い方、それらのやり口が「新しいけど、懐かしい」を感じさせるシーンが多々ありました。

アニメ誌でのスタッフインタビューも読んだのですが、当初の段階ではオールスターズではなくて前半のキャラ達だけで70分の映画を描く予定のようでした。ただ、ディスカッションを重ねていく中でこれは最終的にオールスターズになっていく方が自然だろう、という方向に定まったというお話になりました。

実際、プリム(シュプリーム)の強大さを大いなるスケールで表現するという意味でオールスターズにしたのは正解だったように思います。歴戦を駆け抜けたあらゆるプリキュアの、どの技も通用しない絶望感。全てのプリキュアが敗れ、消し去られるショッキングな状況は「オールスターズであるからこそ」の必然性を強く感じました。

プリムという今作のゲストであり、ヴィランでもあるキャラクターはとても興味深い存在でした。敵でありながら前半はプリキュア達と共に行動している。その奥にはプリキュアの強さへの興味、憧れがあり、それを知りたいという知的好奇心とその解釈への誤りが今作のプリムを形作っておりました。

プリムはとてもピュアな存在であり、悪意の下で動いていない。言わば戦闘狂とも捉えられかねない程に強さを探し求めていて、その中でプリキュア達に出会った。

しかし、プリキュア達の強さの秘密は単純な戦闘能力のスペック的な話の領域に留まっていません。これはメタ的に解釈すると、プリキュア達の力は「戦いに勝つ為の力」ではなく、「自分達の日常を守る、強大な理不尽に屈しない為の力」という根底のマインドであり、それらは初代に該当するふたプリの頃から度々描かれ続けておりました。

このテーマを描く事が「プリキュアとは」という今作の問いかけに対する再定義だったと言えるでしょう。当然これだけ長く続くとシリーズによって様々な方向性やコンセプト、キャラの作品が多種多様になってきます。

しかし、それでも奥底に流れてるものは全て共通していた。1人じゃ出来ない事でも、誰かとなら。皆となら。手と手を繋いで、ハートもリンク。

クライマックスではミラクルライトの力で歴代プリキュアの名エピソードの引用でプリムに対するカウンターと共にかつての主人公達が登場します。とにかくこのシーンのパワフルさが凄かった。

まず、ただ名エピソードの回想としてノスタルジーに浸るだけではなく、各プリキュアが伝えようとしたメッセージ、そしてそれらの多くが繋がっており、共通している。とりわけ際立ったのはキュアブラックとキュアドリームの登場シーンでした。

プリムの「1人じゃ何も出来ない」という罵りに対してふたプリ42話、プリキュア5無印24話の名台詞が用いられます。

「そんなの当たり前じゃない。皆元々1人じゃない。1人じゃ何も出来なくたって、私に出来る事は沢山あるんだから。そんな当たり前の事の…何処がいけないのよ!」


「無理じゃないよ、5人一緒なら、無理な事なんて何もない!何でも、出来るんだよ…一緒に夢を追いかけよう!」

ただでさえ再三ファンの間で語り継がれたふたプリ42話とプリキュア5無印24話ですが、これ程上手い文脈で復活するヒーローは未だかつて在ったでしょうか、とつい大袈裟に語りたくなる圧巻の登場シーン。

「よく分かんないけど、なるべく頑張るぞ〜!」
"なるべく"っていう等身大の14歳っぽさがミソなんですよね。
我が愛しのドリーム、いつ見ても貴女は可愛くてカッコいい(,,> <,,)♡

ブラックは前作のオールスターズメモリーズ程、出番が長くあったわけではありません。ですが、これ以上なくブラックにしか出来ない、ブラックだからこその存在感が間違いなくありました。それは勿論、ドリームも。(特にドリームの方は「なんでも、出来るんだよ」にHUGプリを重ね、「一緒に夢を追いかけよう」で夢がテーマのGoプリを重ねてくる演出が最高でした)

これらの名エピソード引用シーンは当時の映像をそのまま引っ張るのではなく全て新規で描き下ろしという非常にレアケースな演出だったのもファンにとってはプラスポイントでした。

そして挿入歌「All for one Forever」と共に歴代プリキュアの大逆襲が始まります。ここはかつてHUGっと!プリキュアのオールスターズ回で活かされた土壌が活きてるシーンでした。(アニメ誌のスタッフインタビューでもその言及があります)

そのHUGプリのオールスターズ回から更に5年経った事により新たなる組み合わせの共演も多くありました。キュアマーメイドとラメールの「人魚(モチーフ)キュア」、ファンアート等もかなりの数が出回ってたバタフライとドリームの「蝶モチーフ」コンビなど…(正確にはドリームはGoGo衣装なので薔薇モチーフなのですが、使用技は無印時代のドリームアタックなのでまぁOKでしょう)

デパプリとプリアラのお料理(スイーツ)合わせ技もこういう共演作品ならではの楽しさがありました。先述のドリームが昔の技を今でも使える事は2021年公開のヒープリ映画で既に証明されてますし、デパとプリアラの合体技は同じく21年公開のトロプリ映画でのハトプリとトロプリの共演を彷彿とさせます。この辺りも含めて歴代の共演作で用いられた手法を汲み取ってると言えますね。

何よりこの終盤。最も燃えたのは前作オールスターズ主人公であるキュアエール/野乃はなのシーンでした。シュプリームの攻撃からプリキュア達を守り続けるプーカのピンチに彼女の持ち味である「応援」をここ一番で持ってくる。

そして、彼女がこれまでずっと口にしてきた「何でも出来る、何でもなれる」。それに続くようにコメコメら妖精達もプーカに応援のミラクルライトを灯す事でプーカはキュアプーカとなりました。

"何でも出来る、何でもなれる"に応えるが如く妖精でさえも奇跡の力でプリキュアに変身したのはHUGプリ以前から存在したモフルン達の頃から前作キャラであるコメコメまでずっと流れ続けてきたメッセージでした。その流れを汲み取るように変身するプーカ。これもまた、「オールスターズだからこそ成し得た業」の1つで見事なシーンでした。

プリキュア史上最大スケールの戦いは全プリキュアの総攻撃により幕を閉じます。

結末としてはプリキュアの真の強さの由来を知ったプリムですが、「でも、僕は1人だ(だから彼女達に憧れても、彼女達のようにはなれない)」と言います。それに対してプーカが手を取り、ここからまた始めようと2人は映画のテーマでもある「手を繋ぐ」カットで本編は終わりました。(このシーンはそよ風が吹く演出も含めてとても美しいシーンでしたね)



ここはデパプリ、フレプリの映画本編でも引用された「過去は変えられないけど、未来は変えられる(今からでもやり直せる)」がオーバーラップしてウルッと来る場面でもありました。

個人的に面白いと思ったと同時にこの結末に至るまでの経緯、それ即ちプリムのプリキュアへの憧れといったバックサイドストーリー的な心情をもう少し描いてた方が分かりやすかったのではと思う所も正直あります。

ですが、プリキュア映画特有の70分という限られた尺の中では出来る事に限度がある中で、ここは観客の想像力を信頼してプリキュア達の物語に振り切ったのもまた正解だったようにも思います。こうして考えると作品作りは「作る」以上に編集/切り捨てる非情な決断力が求められる難しい作業なんだなと改めて思いました。


強大で理不尽で、どうにもならない事だらけの中でも絶対に諦めない。それは口で言うほど簡単な事ではないし、時に挫けそうになってしまう程辛い事が多く待ち受けてたとしても、それでも、私達は。

そんな想いが沢山詰まったプリキュアオールスターズF。どうして、こんなにプリキュアが好きなのか。また新たな形で、それを思い知ったような気持ちになりました。

エンディング曲である「うれしくて」はそんなプリキュア20年分の想いを全て詰め込んだような歌詞とエモーショナルなメロディと共に涙を誘う素晴らしい曲です。

まだフルで聴いてない人も、是非聴いてみてください!

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