見出し画像

大人にも読んでほしい青春×音楽小説「金木犀とメテオラ」


本のタイトルを一目見て、きれいですこし不思議な話なのかなと想像した。表紙には、志村貴子先生の繊細な絵。それだけで手に取るには十分だった。



「金木犀とメテオラ」は、北海道の中にある中高一貫の女子校を舞台にした小説である。主人公は東京から来た秀才、宮田佳乃と、道内在住の才色兼備な奥沢叶。この2人を中心に、中学から高校までの日々が描かれていく。

第1章の前半は、中学1年生の宮田の姿を追う。都内の難関私立中学に入れるレベルの頭脳と、コンクールで入賞するほどのピアノの腕前。そんなあふれる才能を持ちながら、親の都合で進路変更を迫られる彼女。大人の視点で見れば余裕で巻き返せると考えてしまうが、自分が12歳だったら目の前が真っ暗になる可能性は大いにある。東京の塾友達から来る、LINEグループの知らせは残酷だ。

この物語は音楽小説と銘打たれてはいないが、前述の通りピアノが一つの要素として組み込まれている。普段はクールな宮田が荒ぶる思いをぶつける演奏シーンは、異様な熱気がこもっていて圧巻だった。ここで使われたラフマニノフの「楽興の時」第四番は、美しくも迫力がある楽曲でふさわしく感じた。

つづく後半は、宮田が唯一ライバル視している奥沢叶の視点で書かれている。彼女は謙虚で容姿端麗な優等生として、学内の注目を集める存在である。しかし、宮田がひそかに苦しんでいるように、奥沢もまた別の悩みを抱えながら生きていることがわかってくる。心の奥底には常に絶望が流れているのに、笑顔でつい取り繕ってしまう姿がすこし悲しく思えた。

第1章の時点では、宮田と奥沢のどちらにも感情移入できない自分がいた。この2人は天賦の才能を持つ目立つ生徒で、特別な存在だからである。そしてまた、宮田の友達である森みなみや寮のルームメイトたちの立場にも入り込めなかった。強いて言えば物語に描かれないその他大勢の生徒のような目線で読んでいた。「宮田さん勉強しすぎ」「奥沢さんって実はこんな事情があったのか……」と、野次馬のような気分でページをめくった。

それが大転換するのが第2章だった。宮田と奥沢は高校2年生の秋を迎えていて、東大を目指しているというスーパーぶりも、抱えている問題が解決されないことも一緒でそう大きくは変わらない。では何が変化したのかというと、周りである。具体的な進路を決めた友人、別の道を模索したルームメイトの姿に宮田は初めて、自分の価値観が中学時代から止まったままであることに気づく。奥沢も必死に作り上げた将来のプランが絶たれそうになり、努力だけでは思い通りにいかないことを知る。

みんな先に行ってしまう。若く才能がある人に追い抜かれそうになる。友人とうまくいかなくなる。このような状況に焦る感情は、大人でも他人事ではない。気が付けば自分事として読み、深く入り込んでいた。

この第2章で、音楽は物語により絡んでいく。序盤で宮田の気持ちを代弁するのはバッハの「半音階的幻想曲とフーガ」。コンクールで演奏される難曲を繰り返し練習する彼女から、捨てきれない過去への思いが伝わってくる。謎の後輩、汐見茜が弾いたのはリストの「愛の夢」で、こちらはフィキュアスケートなどでも愛される人気の楽曲。宮田にとって必要だけれど足りていないものが、この曲に象徴されているようにも感じた。

そして何と言っても重要なのが、合唱曲「落葉松」である。合唱コンクールで宮田がピアノを、奥沢が指揮を担当する曲なのだが、生徒たちはさして興味を持って歌っていない。確かに「落葉松」は歌詞も少なく、面白さはないので高校生は惹かれにくいだろう。どちらかというと、時を経るごとに深みを増すタイプの歌である。文中では寮母の杉本さんというキャラクターが「退屈な歌だと思っていたけど、今思い出すといい曲」と語っていた。私もこの曲を独唱で聞いたことがあり、圧倒された経験がある。ぜひ本を開きつつ、耳を傾けてもらえると嬉しい。

中学1年生からずっと一緒でも、特に仲良くなることもなかった宮田と奥沢。第1章では寄り添えなかった者同士が、歌を通して共有する一瞬の出来事。それはとてもうつくしかった。きっとこれから彼女たちが生きる上で、かけがえのない光となっていくだろう。

「金木犀とメテオラ」は、単なるきれいですこし不思議な話ではなかった。静かだけれど激情を内に秘めた、きらめく星のような小説だった。かつて学生だった人たちにこそ読んでほしい一冊である。





いただいたサポートで他の人をおすすめしていきます🍒