見出し画像

隣国にて

※こちらはWEBマガジン「She is」公募用に書いた小説です。

「マイヤ、今度出張ね!」

ボスにそう言われてから1か月後の水曜日、彼女は真新しくだだっ広い空港にいた。ゲートを出たところ—ここはもう隣国だ—に所在なく立ち、iphoneの画面をチェックする。とにかく今は、先方の担当者を待つしかない。
5分くらいして、背の高い男性がマイヤに向かって「Ms.カイラですか?」と聞いてきた。慌てて頷く。彼はにっこり笑って、「OK、行きましょう」と言い、駐車場へと彼女を促した。彼の名前はダニエル。お互い年齢も近く、車の中で色々な話で盛り上がった。

世界一ラクで楽しい出張、というのはこの仕事のことではないかとマイヤは思う。ちょっとした書類や荷物を持って、飛行機に乗るだけ。後は、現地の人がオフィスに連れて行ってくれて、簡単に挨拶を交わす。それで仕事はおしまい。午後は市内を案内しようか、とダニエルが声をかけてきた。二つ返事で頷く。その後は買い物をしたり、ギャラリーを見に行ったりと、全てマイヤがしたいようにさせてくれた。ショップで買ったアンディ・ウォーホルのポストカードをバッグに入れ、彼女は彼の背中を追いかける。

カフェでお茶をしている間、マイヤはダニエルの目を密かに見つめる。薄く青い瞳がきれいだ。
このまま明日、一緒に自分の国まで連れ帰れたらいいのに。ぼんやりとそんなことを考えていると、「どうしたの?」と心配そうな顔を向けられる。まずい。これだから「不思議ちゃん」などと呼ばれてしまうのだ。彼女は心の中で反省し、慌てて笑顔を作る。
夕方、彼とオフィスに戻り、そのまま今度は会社のひとたちとディナーに行くことになった。たくさん飲んで、話して、笑って、その結果……酔いつぶれた。

ふらついているマイヤを、ダニエルが宿まで連れて行ってくれた。朦朧とした頭でたどりついたそこは、安そうなモーテル。まさか、今までの親切は罠だったりして。ちょっと青くなると、ダニエルは紳士的に笑った。


「明日の朝、迎えに来るね!おやすみなさい!」


彼はあっさりと元来た道を戻っていった。えっ?これで帰っちゃうの?と思う。少し残念なような、ほっとするような。しかしそこで気持ち悪さがぶり返してきたので、彼女はおとなしく部屋に入った。

電気をつけると、鏡張りの一角が目立つ部屋が現れた。どうしてビジネスホテルじゃないんだろ、とうっすら頭の先の方で考えたマイヤは、とりあえずベッドに転がった。そのまま、うつらうつらし始めてしまう。

目が覚めると、気分はだいぶ良くなっていた。小1時間くらい落ちていたようだった。本当は化粧を落とさなきゃならないけど、体が動かない。そのままじっとしていた。すると聞こえてきた。隣から、男女の声。だんだん大きくなってくる。

なんで私は異国のモーテルでひとり、こんな声を聴いてるんだろう。最初はそう思ったマイヤだったが、しばらく耳を傾けているうちになんだか可笑しくなってきた。元気だなあ、と。

たとえ言葉が通じなくても、この声は世界で共通だ。人間という愛すべきけものの声。
そう考えたらなんだかほっとして、彼女はまた眠りに落ちていった。

翌日、ダニエルが部屋まで迎えに来てくれた。最後に、おみやげを買うのを手伝ってもらい、また空港まで送ってもらう。
「ありがとう」と言い、爽やかに笑顔で別れた。

機内で、この出張のことを考える。昨日の夜のこと。そして、今日知った事実。ダニエルが同性のひとを好きなこと。

出張報告書に、「愛のかたちは様々」って書こうかしら。そうだ。「もう少しいい宿にしてください」も加えなきゃ。窓の外を見ながら、マイヤはくすりと笑った。
世界一ラクで楽しくて—そして濃い出張だった。

「♡」は、誰でも(noteアカウントなしでも!)押すことができます。この投稿を「いいな」と思った方は、気軽に押してもらえると嬉しいです。もちろんフォローも嬉しいです!