四回目の口約束
一週間のうちに三回の口約束をして、三回ともその約束が果たされなかったことがあった。
たかが口約束。
目に見えなくて形も残らない。
社交辞令と言い換えることだってできるかもしれない。
それでも約束じゃないか、と心の奥では信じたい気持ちも持っている自分もいた。
「付き合おうってことだって、たかが口約束じゃない」
ある友人からこう言われたときは、軽い衝撃にも似た驚きを感じた。
そんなこと、諦めたみたいに平然とした顔で言い出したら、人間はどこに救いを見いだすの。
口約束をテーマにぐるぐると考えを巡らせていた。
そんなに明確な思考の終点は見えなかった。
同じ週のある日。
当時大学生だった私はいつものように下北沢の居酒屋のアルバイトを終え、ひとり終電までお店の近くのバーで飲んでいた。
そして、その週で四回目の口約束と遭遇した。
「また明日、昼に下北で」
たまたま隣で飲んでいたおじさんと軽く意気投合したら、帰り際にそんなことを言われていた。
気持ちよくお酒を飲み、こっそりとタバコを吸う、面白いがよくつかめない人だった。
私はなぜだか相当気に入られたらしく、自分の会社でアルバイトをしないかとの誘いだった。
私はその時既に二つアルバイトをしていたので、その話自体には乗り気ではなかった。
そもそも会ったばかりでお酒を飲んでいる席で、何を根拠に自分を仕事に誘っているのかも疑問だった。
ただ、その口約束には興味があった。
その週で三回守られなかった口約束の末の、四回目。
この四回目はあらゆる状況だけ考えたら守る必要性は低い位置にあると思った。
でも、「たかが口約束」としてしまっては「口約束だって約束じゃないか」と悶々としていた自分が嘘になる。
次の日の昼前、私はひとり下北沢のカフェでコーヒーを飲んでいた。
とりあえず、口約束を守ってみた。
前の日にそのおじさんと連絡先は交換していたものの、こちらからは連絡しないと決めていた。
カフェで過ごしてしばらく経ち、昼の時間ももうすぐ過ぎようとしていた。
この一週間を振り返り、口約束というものはやはり「たかが」の位置にあるのだとようやく結論づけようとしていた時。
スマホに一件の通知が現れた。
冷めたコーヒーを飲みきって、外に出る。
スマホで連絡を返しながら、心の隅で口約束を「たかが」から遠い位置に置こうと決めた。
自分がそこに置いておけば、少なくとも約束を結んだ相手が諦めるような顔をすることはないだろう。
そして自分がそこに置いておけば、少なくとも何か面白い出来事に出会えるかもしれないからだ。
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