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『チーム・オルタナティブの冒険』を読んで ~小六以来の読書感想文~

はじめに

 『チーム・オルタナティブの冒険』を会社の先輩「Mさん」に薦められた。それは僕が仕事に悩んでいることを相談したあと、雑談にお互いの好きなものを紹介し合っているときだった。わくわくした顔で「絶対に読んでほしい」と言うMさんを見て、翌日には本屋に向かい『チーム・オルタナティブの冒険』を購入した。

「Mさんが薦めるなら間違いない」

 僕にとってMさんはそういう存在だ。

 僕は頻繁に活字の本を読む方ではないし、まさか本を読んだあとにわざわざ読書感想文を書くようなこともない。タイトルの通り小六以来だ。五章目を読んでいるとき、ふと読書感想文を書こうと思い立った。それをMさんに見せて驚かせたい。「さすがH」と喜んでほしい。Mさんの周囲の他の人と違うと思われたい。そんな安易な恥ずかしい動機だ。たぶんこのときの感情は「森本」が「藤川」に抱くそれと同じだと思う。

 小六以来の読書感想文といったが、今回のこれは学校の課題で書くような所謂の読書感想文ではないと思う。まさにこの小説を読んでいる最中の僕の感想を、ダラダラと書いていく。そこで注意事項が二つある。

 一、この感想文はもともとMさんに宛てるもので、Mさん以外の人が読むことを想定していない。かなり気取って書くつもりのため、読んでいると恥ずかしさや不快感を抱く可能性もあるが、そこは許してほしい。

 二、この感想文は盛大にネタバレを含むため、『チーム・オルタナティブの冒険』を読んだことが無い人は、これ以上読み進めることは絶対にしないでほしい。感想文の続きを読む場合は必ず『チーム・オルタナティブの冒険』を読んでからにしてほしい。必ず。

夏の葬列 ~ 仮病とお見舞い

 僕は映画やドラマを見るとき、小説を読むとき、かなり感情移入する方だと思う。自分が主人公本人、あるいはその関係者かのような感覚になる。そういう人ほどこの物語には「してやられる」と思う。

 今回はその感覚に陥るまで特に早かった。

 その要因の一つは、丁寧に描かれる学校生活や夏休み、登場人物の機微に「リアリティ」があったことだ。とあるどこかの地方都市に、本当に彼らが存在していると想像するのは簡単だった。

 そしてもう一つの要因は、主人公の森本に透けて見える独占欲や承認欲求、嫉妬心のような「面倒な」感情たち、またそれら面倒な感情たちと葛藤する様子に、身に覚えがありすぎたことだ。自身の中高生時代を見ているようだった。いや、自分の方がもっとひどかったかもしれない。ある程度年齢を重ね、かなりマシな人間になったと思う(と信じたい)が、この感想文を書くに至った動機にも表れているように、それらは未だ僕の心に潜んでいて、ときどき僕の頭を悩ませてくる。

 さっそく一章目を読み終えるころには僕も葉山先生のことを好きになっていて、そしてもう会えないことに絶望していた。順調に小説の世界に没頭していた。しかしそんな「リアリティ」のある世界の中で、二人の登場人物に違和感を抱いた。「カバパン」と「井上」だ。 

 由紀子や藤川、ヒデさんなどは最初からいかにも物語のキー人物といったような登場の仕方で、多少変わった設定やセリフがあってもそういう「小説の中のキャラ」なんだとすんなり入ってきた。それに対して前述の二人の名前が初めて出てくるシーンは地味で、モブキャラ扱いに感じた。

 カバパンの初登場は森本と葉山先生の会話の中だった。そのときは「樺山先生」と呼ばれていて、少し話が巧い「その他教師A」くらいの印象だった。そんな教師Aがナルシストな言動を見せたり生徒の恋愛話に首を突っ込んだりしているところを見て、「いやそんな教師いないだろ」と思った。僕の両親が小学校教員なのもあってか余計にそう思った。しかしそのあとカバパンのキャラの濃さがどんどん描かれていき、あっという間に「小説の中のキャラ」に変わっていった。

 一方井上はさらに地味で、しばらく「その他写真部員B」のままだった。セリフはほとんどなく、名前が明かされたのは、由紀子が連れてきた女子生徒のうちの一人として初登場してから二十ページもあとだった。そんな井上にスポットライトが当たったのはそこからさらに十五ページあとのお見舞いのシーンだ。僕はそのシーンがこの小説の中で一番好きなシーンかもしれない。

 森本がすっかり写真部から浮いてきたころ、仮病で学校を休んでいたときにお見舞いに来たのが井上だった。学校×仮病×お見舞いはどんな物語でも安定セットだ。

 お見舞いに来たのが由紀子でもなく、カバパンでもヒデさんでも藤川でもその他写真部員でもなく、井上だったのは本当に意外だった。ほんの1%も予想できなかった。にもかかわらず、たしかに他の誰が来るよりも僕は嬉しく感じていたし、森本もそうだったと思う。そして何故そう感じたのかは全くうまく説明できない。

 そんな不思議な感覚にさせてくれた展開に興奮したし、まさにこのとき、読書感想文を書こうと決めた。

 井上のお見舞いシーンは僕の中で衝撃的だったが、井上に「違和感」を抱くのはもう少しあとになる。

庭の日 ~ 渚にて

 その次の週末、森本は井上と一緒に由紀子、カバパン、ヒデさんの三人が同居する家に遊びに行くことになる。そのときの三人の様子から想像される関係性は、友達とも家族とも違う、何か志を共にする「仲間」のように見える。今思えばこの感覚は間違っていなかったし、何も知らない読者にそう感じさせられる小説家はすごいと改めて感動した。

 遅いかもしれないがこの辺りでやっと、森本の由紀子に対する呼び方の違いに気がついた。ナレーションでは「由紀子」と下の名前で呼ぶが、実際に口に出すときは「板倉」と名字で呼ぶ。確認してみると、冒頭からずっとそうだった。井上が頻繁に登場するようになり、同じ女子でも井上は名字で書かれているのに対して由紀子は名前で書かれていることに引っかかったのがきっかけで気がついた。この疑問は最終的に自分なりの解釈が固まったため、あとで書く。

 そして夏休み。写真部一行は二泊三日の合宿を行うべく海の街へと赴くが、仲間たちとの距離が縮まるどころかどんどん遠ざかってしまう森本は、ついに親友の藤川と決定的に対立してしまう。その様子にやはり覚えがありすぎる僕は、どっと疲れていた。一行の解散際、森本は仲直りとまでいかなくともなんとか藤川に声をかけようとするが、それも叶わず藤川は一人でその場を去ってしまう。

「それが、僕が見た藤川の最後の姿だった」

 藤川たちと仲直りできるのかな。井上とうまくいくといいな。そんなことを呑気に考えていた僕は、その一文に不意打ちをくらい、一気に血の気が引いていった。

あいつのいない夏休み ~ 反撃

 僕はミステリーやサスペンスといった類が得意ではない。もうご存知の通り、激しく感情移入するタイプの僕にとってそれらは精神的負担が大きすぎる。ミステリーならまだ事件の解決によって救われたりするが、サスペンスやホラーには滅多に触れない。

 苦く甘酸っぱい青春物語は一変し、僕は胸騒ぎが止まらなくなっていた。

 このあと物語は、藤川の失踪と葉山先生の死は関連しているのではないか。その二つの事件に由紀子、カバパン、ヒデさんの三人が関わっているのではないか。それらを確かめるべく森本は調査を開始する。というような内容で進んでいく。そんな森本に協力しパートナーとして行動を共にするのが「井上」だ。

 藤川が失踪し、例の三人のことも信じられなくなり、一層孤独を極めていた森本にとって井上の存在は大きかったと思う。もちろん僕にとっても特別な存在になっていった。

 このとき既に井上にも感情移入していた僕は、ナレーション上に突如現れる「七歳ほど年上の女性」を見逃すことができなかった。文脈的にしばらくあとに森本と親しい関係にあると見られるその女性に気が気じゃなかった。所謂「その女誰よ」である。由紀子も井上も、ましてや松田も当てはまらない。まさか葉山先生が実は生きていたというオチも考えたが、年齢的にやはり当てはまらない。これについてもまたあとで書く。

 僕が井上に「違和感」を抱き始めたのはこの辺りからだ。明確に引っかかったセリフが二つある。

 一つ目は、井上と軽い喧嘩をし、しばらく連絡を取っていなかった状態で久しぶりに再開したときの「ずっと連絡したかったくせに」というセリフ。

 二つ目は、葉山先生のおかげで由紀子たちと仲良くなることができたと話した時の「それに私とも、じゃない?」というセリフ。

 僕の目にはずっと内向的に映っていた井上が、そんな積極的な発言をするだろうかという「違和感」だ。今までミステリーの世界で幾度となく信じた人に裏切られてきた僕は、疑心暗鬼になっていたし、井上の言動に過敏になっていたのだと思う。

 そのあと明らかに常人とは異なるオーラを放って再登場した由紀子たちに、森本たちの行動は筒抜けで、「写真部のみんなと悪巧みをしている間に」なんてセリフを何も知らないはずの由紀子が口にしたときは、絶対味方に内通者がいる。裏切り者がいる。と泣きそうになった。

花火 ~ 想像力の必要な仕事

 いよいよ物語はクライマックス。由紀子たちとの最終決戦が始まる。

 しかしそんな中、森本はこれまでも何度も襲われてきた「何か」に再び襲われ、発作を起こしてしまう。

 ここでついに森本にとって衝撃的な事実が明かされる。カバパン曰く、その「何か」によって葉山先生と藤川は殺されたのだという。そして由紀子たちは「何か」と戦い続け、森本を守ってきたのだという。

 その直後、「何か」は光線を放ち辺りは炎上する。突然目の前で非現実的な戦闘が繰り広げられる。「オルタナティブ・エンジン」だの「1号車」だの「秘密結社」だの由紀子たちの会話は意味不明だ。全くついていけない。何が何だか分からない。パニックだ。

「虫の眼を持つことで、虫の触覚を持つことで、羽と、足を持つことで、奴らの存在を認識し、触れることができる。そして、戦うことも」

 ん?まさかね、と期待と不安の入り混じった疑念はどんどん確信に変わっていく。

「何か機械のようなものを腰のあたりに当てているのが見えた」

 確信度70%。

「由紀子はその機会をベルトのように腰に巻いていた」

 80%。

「バックルの部分には大きな風車のようなものがついていて」

 90%。

「はっきりとその言葉を口にした」

 95%。

「ベルトの機能を発動させる最後のパスワードだった」

 97%。

 98%。

 99%。


      「変身」


 ……。

 ははは、あぁ、くっそ、してやられた。

虫の眼 ~ 夏休みの終わりに

 ここまでしっかり登場人物の一員になって世界に入り込んでいた僕は、ただの一人の読者にいったん戻った。三回ほどページを戻してはめくり直してを繰り返し、一度本を閉じ、ふーっと息をついて、天井を見上げて、目の前の電源の入っていないテレビを見ると、そこには悔しそうな嬉しそうな僕の顔が反射していた。口角は片側だけ上がり切り、眉間にはシワが寄っていた。そして、著者とMさんの満足そうな顔が浮かんだ。

 してやられた。

 何を隠そう僕は仮面ライダーオタクだ。僕の人生にはいつも傍に仮面ライダーがいた。他の特撮も大好きだし、SFやファンタジーも大好きだ。そしてそれらの世界に「リアリティ」を感じることもたくさんある。ただ、それはその世界があくまで特撮作品でありSF作品でありファンタジー作品である前提での「リアリティ」だ。今回は現実世界としての「リアリティ」を感じながら読んでいた僕は、完全に「油断」していた。

 もちろんカバパンが山の上の家でベルトをいじっていたときには一瞬でピンときていた。「仮面ライダー1号の変身ベルト」に似ていると。しかし以前その家に遊びに行ったときもカバパンはプラモデルが好きな様子だったし、そういう男の子が好きそうな玩具を大人になっても集めているのだろうと簡単に納得していた。

 「変身」を見た瞬間は、愛する仮面ライダーを驚きの展開のダシにされてしまったような、いじられたような感覚も少しあった。しかし読み進めていくと、そこからの数十ページは紛れもなく「仮面ライダー」だった。丁寧な戦闘シーン。悪役ライダーの登場。味方のピンチ。そしてついに自らも。

「……変身」

 むしろこの数十ページを書きたいがためにその前の三百ページがあるのではないかとすら思った。そして、著者もまた「仮面ライダー」を愛していることが存分に伝わってきた。

 いやー。それにしても、そう来たか。

 ここでもう少し「仮面ライダー」について語らせてほしい。

 数々の仮面ライダー作品が存在し、数々の名シーンが描かれてきたが、その中でも個人的にアツいのが「正体バレ」だ。常に危険と隣り合わせの仮面ライダーたちは、正体を隠すことが多々ある。その理由は、身近にいる大切な人々を危険から遠ざけるためであったり、誤解して襲ってくる人間から自らの身を守るためであったりと様々だ。そんな彼らの正体が満を持して「バレる」瞬間は本当に特別であり爽快だ。そのあとは彼らの努力や葛藤が報われたり、敵対関係にあった人と力を合わせるようになったりと、さらにアツい展開に繋がっていく。

 正体がバレるまで、いつも仮面ライダー側の視点から見ていた視聴者は、もどかしく悔しく苦しい時間を過ごすことになる。「何故分かってくれない」「何故そうなる」と怒りが湧いてくることもある。

 そして今日、僕は初めて仮面ライダー「じゃない」側の気持ちを知った。

 なるほど。そりゃ疑うよ。ごめん。

 普段平和な現実世界を生きていて、突然仮面ライダーの世界に遭遇するなんてことは願っていてもそう簡単に体験できることではない。そんな夢のような世界を叶えてくれて、本当にありがとう。

 今まで仮面ライダー作品を見たことがない人、『チーム・オルタナティブの冒険』を読んで仮面ライダーに触れてみたくなった人には、『仮面ライダーアギト』を勧めたい。脚本は、著者宇野常寛も敬愛するという井上敏樹だ。この作品にはまさに「正体バレ」の魅力が詰まっている。

読み終えて

 読み終えてまず真っ先に思ったことは「井上が敵じゃなくて良かった」だった。本当に良かった。そこ?と思うかもしれないが、とっくに井上に恋をしていた僕にとってはそれが一番重要なことだった。

 最後まで読むと、森本がナレーションと実際とで由紀子の呼び方が違っていたことにも納得ができた。おそらく他の読者も同じような解釈に至ったのではないだろうか。物語中盤、敵だと思っていた由紀子は敵ではなく、最終的には森本も彼女らの仲間の一員になった。その関係はきっと今でも続いていて、「七歳ほど年上の女性」として恋愛相談に乗ってもらうくらいには仲良くやっているのだろう。そしていつしか実際にも「由紀子」と呼ぶようになったのだろう。

「なあ由紀子。あ、板倉」

「別に下の名前で呼んでもいいよ」

 嬉しそうな意地悪そうな由紀子の顔を勝手に想像せずにはいられない。

追伸

 感想文を書き上げて満足していた僕は、早くMさんに読んでもらって感想を聞かせてほしいなと思っていた。そんなとき、僕が大好きな「東海オンエア」という六人組Youtuberの『読書感想文の感想文の感想文はどんな感想文なのか?』という動画を思い出した。それは、作品を読んで書いた読書感想文はまた一つの作品なのではないか。その作品の感想を書けばまた感想文を書けるのではないか。という企画だった。彼らの動画の中でも五本の指に入るほど好きな動画だ。この動画をMさんにも見せて、『『『『『海と毒薬』を読んだ虫氏の感想文』を読んだゆめまる氏の感想文』を読んで』と『『『『海と毒薬』を読んで』を読んで』を読んで』を読んで』を書いてほしいと頼もう。

 そういえば、学生時代の友人たちと大人になっても楽しそうに活動をしている「東海オンエア」は「独立愚連隊」の未来にあり得た姿だったかもしれないなと思った。なんだか切なくなって、この小説を読んだのがゴールデンウィークの前半で良かったと思った。とても翌日からバリバリ仕事をするような気分じゃない。ただ、本当に良いリフレッシュになった。

 Mさん、薦めてくれてありがとうございました!

2024年春 休暇中の千葉にて   H

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