「待つ」ことの大切さ

2年半前に初診でみえた女性。
持っていらしたのは、A4用紙にびっしり書かれた過去3年に渡る症状の経過と受診の記録でした。
訴えは移動する肩・腰・膝・手足の痛み。
拝見すると、身体中に慢性的な機能障害の存在を確認できます。

はじめは週一回からの治療ペースでスタートしたのですが、セルフケアもきちんとされ、幸い回を重ねるごとに改善してゆかれました。
ところが、受診の間隔を二週に一回に空けたところ、とたんに訴えが増えて週一回の受診を希望されます。
けれども機能障害が悪化している所見は見当たりません。

その後も必要なケアを行いつつ、できるだけ間隔を空けるように働きかけて慣らしていき、行ったり来たりを繰り返しながら、一年近くかかってようやく一か月に一度の受診となりました。
一年半を迎える頃、歩く距離を増やすなどより活動的になって来られたので、「治療院を卒業する」ことをお話ししました。

しかし、その話をした途端に不安な顔をして拒絶されます。
症状が慢性的、かつ情緒的な問題も関与している場合、手技療法で動きを出して、身体のバランスを整えればOKということにはなかなかなりません。
それからは「卒業」に触れることなく、けれどもクライアントの活動の場を広げるよう行動を後押ししました。
クライアントと向き合う、という対決姿勢を取るのではなく、横に並んで散歩をするような感覚で。

身体的な機能の改善はもちろんですが、活動の量を増やすことで相対的に病的な意識の割合を小さくするように働きかけます。
最近では、トレーナーさんに紹介して運動指導も受け始めるようなりました。
そして先日、あらためて「卒業」のお話をしたとき、以前のような拒否もなく、口を真一文字に結びながら頷かれました。
ご自身でもそのつもりになっていたようです。

ここに来るまで私は、手技療法で支援しつつ、他の社会資源の利用も勧めながら、機会が訪れることを待っていました。
慢性機能障害の臨床では、時に根気よく「待つ」ことがとても大切になります。

時々勘違いされるのですが、「待つ」ことと「惰性で行う」こととは、行動面で一見似ているようでも中身は全く異なります。
「待つ」は注意を怠らず見守りながら、機会が来たら適切に行動することであり、
「惰性で行う」ことは注意が欠如したまま、流れで延々と同じ内容を繰り返すことです。

話し合った結果、もうすぐ大事なイベントがあるので来月の予約は入れ、その後は予約せずに運動しながら、しばらく様子を見ることになりました。

ここまでご覧になって「月に一回のペースならメンテナンスとしてもよいのでは?」と感じる方もおられるかもしれません。
問題は通院ペースではなく、動機です。

つまり、不安や脅迫的な観念から「通わなければならない」ではなく、
自分の性格や体力、仕事や生活の環境を冷静に見つめて、その必要性に見合った「通いたい」となるように。
その変化が、クライアント自身の主体性の回復につながると考えることから、臨床にあたり私はクライアントの認識を重視しています。

そのためいったん治療院から卒業して、自分を見つめる時間も必要だと思っています。
「どれくらいのペースがよいのか」のか、あるいは「もう大丈夫」なのか。
ゆっくり歩みを進めて土台を固めてきたので、今回はきっと大丈夫だと信じています。

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