40代で変わった学び方
30代までは、学んで覚えたことを実践し、現場で使いこなしていくことばかり行っていました。
40代に入って新しいことを学んだとき、概念は何となく入って来ても、言葉が覚えられなくなったと思っていました。
でもどうやら、「覚えられない」こともあるかもしれないけれど、
そもそも「覚えようとしていない」のかもと気がついた、今日この頃。
今、何かを学ぶ時に考えているのは、自分がこれまで学んで実践してきた手技療法と、原理原則的なところが同じかどうかということ。
それが確認出来たら、あとはほぼ忘れる。
すぐ忘れるから他の人からは、「あれは何て言うんだったっけ?」を繰り返している頼りないおじさんに見えてしまうかもしれません。
確かに困ることもあるのですが、他人からどう思われてもさほど気にならなくなってしまいました。
ものごとの原理原則というか、揺るぎない普遍的な何か。
当たっているかどうかはわからないけれど、それは真理というものなのかもしれません。
そこに触れることで得られるものは、心の安定、存在することの安心感である気がします。
その安心感が得られたら、自分が取り組むべきことがよりクリアになり、他人の目は気にならなくなっていく。
本当は学んだ言葉もきちんと覚えつつ、共通の原理も見いだせたらよいのでしょうが、私にはナカナカ💦
ある程度は覚えなきゃと思いつつも、年々ズボラになっていきます(これは良くないところ)
話を戻して、手技療法と他分野との比較というのは、たまたま私が選んだのが手技療法だったというだけで、どんな仕事や趣味、スポーツでもそれは見出せるはず。
たくさんの言葉を覚えて知識が増えても、何か不安がある、満たされないものがあると感じたなら、自分のベースとなる分野の基本となる部分が、他の分野でも同じかどうか確認してみてはいかがでしょう。
同じであるという確認をいろいろな分野で繰り返すほど、安心感を得らえる気がします。
そして、情報を整理するための「対比」は手段として役に立つけれど、「対立的」に捉える必要はどこにもないと気がつくようになる。
ポイントは共通するものを他人から教えてもらうのではなく、自分で見出せる能力を育むということ。
他人から教わるのは良いきっかけにはなるけれど、その場限りで忘れてしまいやすいもの。
きっかけを得たら、自ら能力を育むことで、安定した安心感が得られるようになる気がしています。
古来「学がある」というのは「人格が出来ている」ということを意味したそうです。
「学ぶ」は「真似ぶ」からと言いますが、最終的に「人格」にまで及ぼせたら素晴らしいですね。
現代の教育は、知識や技術を得て実務をこなすという道具的な役割が中心ですが、
今の時代だからこそ、教育について「故きを温ね」るのも一興なのかもしれません。
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