質問で気をつけたいこと〜技術の体得について
触診の練習をしている時
「合っているかどうか確認してもらえますか?」
と頼まれることがあります。
筋肉や骨などランドマークの確認のように、指標のあるものなら構いません。
けれども目的が、組織の機能障害を特定する触診技術を磨くことだったら、
安易な質問について気をつけておきたいことがあります。
それは、質問することが問題なのではなく、回答を得てどのような行動を取るのかということ。
注意しておかないと、指導者が「正しい」といえば安心してそれ以上追求せず、
「間違っている」といえばその時経験した感覚を捨ててしまいがちになる。
それらは、とてももったいないことです。
指導者からのアドバイスは、吟味を重ねるための手掛かりのひとつにしか過ぎません。
なぜなら、機能障害を特定する触診の判断は、ベテランでも意見が分かれることが珍しくないからです。
(そこが、科学的に問題とされているところでもあります)
それでも成り立ってるのは、どのようなアプローチをしても、
破綻した恒常性を回復させることができれば、治るものは治るためでしょう。
慢性機能障害は複合的な要因で起こっているとされますが、それは見方を変えれば回復への道筋はいくつもあるということになります。
いくつもあるというのは可能性の広さを示すと共に、経験が浅いうちは混乱を招きやすいもの。
だから、経験者に聞いて安心を得ようとします。
触れることそのものに慣れるまでは、必要な時期もあるでしょう。
けれどもある程度、手が身体に馴染むようになったら、目先の"わかる・わからない"に振り回されず、徹底的に触れ続けていかなければなりません。
やがて表面的な感覚から、あるいは頭で「わかった」というのではなく、肚の奥底から込み上げてくるような、揺るぎない手応えを得る瞬間が来ます。
それが本当に「わかった」ということ。
体得するということです。
結局のところ、触診でも何でも、
『自ら信頼に値する』というところまでやり込まないと、
実践であまり役に立ちません。
決まったことはできるかもしれませんが、臨機応変な対応が難しくなるのです。
触診をはじめ技能の練習によって目指すのは、
『自分の拠り所を自分自身にすること』ではないか。
やがてそれは生き方にも通じていく。
そんな気がしています。
何かをつかもうとするなら、つかむための態度や姿勢が大切になる。
何をどれだけ身につけるのかなんて、人それですけどね😊
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