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背後の炎

 出会いがあれば別れがある、という言葉がある。大体は、出会いにもいつか必ず別れが来る、くらいの意味合いで取られることが多い。そうした理解の場合、背後には死という存在(による波及物)がある。そして、極端に漠然としていて通俗的なポジティブ・シンキングが、その両脇を純粋無垢な子供のような顔で固めている気配がある。
 それに対して(というか、そうした通例に反して)「別れそのものであるような出会い」というものがある。そんな時は「私にあったが最後、あなたは終わり」、そう囁く声が聞こえる。それはやがて音楽というものにすがたかたちを変える、そして一生モノの音楽になる。その声を、その音楽を、それらにまとわりつく出会いや出来事を、人は忘れることなどできない。
 出会った瞬間の様子を縁取った丸い水溜りがつくられる。それは自動的に、精巧なオートマティズムに従って形成される。「あの声」が鼓膜にこびりついて離れない耳は、二本の義足となって、その水溜りの上を何度も反復横跳びしながら、無邪気に水を跳ね散らかしていく。水の跳ねた音は耳の骨伝導を通して、出会った瞬間の空間的・時間的諸要素を身体の隅々にまで伝える。その振動、リズムだけで生きていける、そんな気分になる。
 わざわざフィクションというザルに嵌め込まなくても、イメージや言語の次元に置換しなくても、そんな出会いは存在する。別れそのものであり、それゆえに以後一切の別れが到来しないような出会い。水溜りのすぐ後ろには決して消えることのない炎が燃え盛っている。私たちは音楽を聴き続けるという際限のない反復横跳びを繰り返した末にどうなるか? 最後は、その炎に向かって後ろ向きに飛び込んでいく。多少の時間をかけて、体と骨は灰になる。その時に初めて私たちは出会ったものの正体を知る羽目になる。「In the Name of Love」がそのことを歌っている。

 Bobby Caldwellのアルバム「Heart of Mine」「Evening Scandal」が好きだった。Bobbyは2023年3月14日に逝去したらしい。71歳だった。Wikipediaにはすでに「71歳没」と記載がある。
 「今まで聴いた中で一番好きなアルバムは?」と聞かれたら、私は間違いなく、Bobby Caldwellの「Evening Scandal」と答える。自分の中の色々な感情や経験が染み込んでいるのもあるけど、メロディーのうねりや艶、抑揚、生を高みにまで引き上げてくれるようなボーカル、簡潔で崇高な歌詞、全てが好きだ。その中でも「Can't Say Goodbye」が一番のお気に入り。
 Bobbyの訃報が目に入って、少し信じられなかった。コロナ前に来日する予定があったらしいが、キャンセルになった。人生で一度は生で彼の演奏、歌を聴いてみたかった。それが叶えられず、とても悲しい。

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