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6月の美しき思い出たちを宝箱にしまって鍵をかける

いくぜ!!!!!!脳内大洗浄!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!




サークルの先輩がやってる小規模な読書会に初めて参加した。俺と、サークルの1個上の先輩2人しかいなかったので、かなりハードルが低くてありがたかった。半年ぐらいかけてデリダの原書を読んでいくとのこと。俺はフランス語が分からないので前半は二人の翻訳を聞く時間が多かった。日本語でも難しい文章をわざわざフランス語で読む理由が実はあんまよく分かってなかったりする。また聞いてみよう。
後半は文章を読み解いていく時間で、ここでは割と発言できたし、そこそこいい線行ってたと思う。知識とかに関してはまだ先輩2人の足元にも及ばないけど、思考力とか解釈力みたいな部分では全然太刀打ちできるな、という手ごたえだった。勝手に対抗心燃やしてること自体変な話だけど。

でもまあ俺は中高時代をサッカーに捧げてしまった人間だから、読んできた本、見てきた映画、聞いてきた音楽の量が周り(周りって誰だよって話だけど)より圧倒的に少なくて、それはコンプレックスではある。元カノが昔サブカルワナビーっていうひどい言葉があるよって教えてくれた。まあうまくやっていくしかない。

とはいえ、いろいろうじうじ考えて物事を斜めから見たりもする人間なくせにサッカーとミスチルっていういわゆる「ど真ん中」に熱中してきた中高時代が、俺の妙な明るさというかカラッとした部分というか、素直でかわいい部分を形成してると思うし、別にそんな自分が全然好きではある。サークルの後輩には、サッカー部でキャプテンしてても軽音でベース弾いてても違和感ないって言われた。そういうアンビバレントさが俺のいいところ!

話を読書会に戻す。自分より哲学に精通した人たちとちゃんとひざ付き合わせて話すのは生まれて初めてで、めっちゃ楽しかった。いろんなこと知れるし、自分の思考を好きなだけ話せるのも幸せ。あと、自分より詳しい人と話すことで自分の断片的な知識を巨大な体系の、ネットワークの一部分として捉えなおすことができる。知識や思考が立体感を持ち始める。これが気持ちいい。

最近全部は繋がってると思うようになってきた。目の前にあるものだけを見るんじゃなくて、その横とか後ろにあるいろんなものとのつながりで読むのが楽しい。それは表象の向こうの深層に目に見えない本質があるって訳じゃない。本質は表層上にある。だからこそ表層を、そのつながりを、丁寧に読む。

読書会に初参加できたことも含めて、哲学の勉強を頑張った月だった。もっと頑張らなきゃだけど。

いっぱい本読んだ。吉本ばななのキッチンを読み直して泣いた。僕らはいろいろ考えたり悩んだりする生き物で、生きるのが嫌になる日もある。でも、僕らのからだは、命は、常に光の方へ向かう。食べる、歩く、寝る、そうやって少しずつ前を向いていく。普段僕らは頭で考えて生きてるつもりでいるけど、ほんとはこのからだで、というかこのからだが、生きているんだって感じた。それはきっととても素晴らしいこと。美しいこと。力強いこと。ものすごく冷静なはずなのに、バスの中で気づけば涙が止まらなくなるシーンが大好きで、胸の中にお守りみたいに残っている。

何と言っても今月はサークルをめっちゃ頑張った。ライブの大トリとMCを務めた。二回生では初の大役を任された。めっちゃ準備してめっちゃうまくいった。やっぱ準備ですよ準備。練習ですよ練習。まじでよかった。他にもいくつかライブに出演したりして、かなりサークル中心の一か月だった。

身バレが怖くてサークルで何してるか書かないでおこうと思ってたけどたった今気が変わった。これを伏せてたら何も書けないもん。お笑いですお笑い。漫才をめっちゃ頑張りました僕。

僕は入学当初、今のサークル以外にも5つぐらいのサークルに所属した。そのうち2つは昨年末ぐらいまで所属してた。優柔不断。というかしたいことが多すぎて、何も決められない状態だったんだと思う。そんなんだからどのサークルでも中途半端な立場でコミットしきれずにいた。で、今年に入って、「漫才と哲学の一年にする」と胸に誓って、お笑いのサークルに本腰を入れ始めた。他の同回生には後れを取って、ちょっと浮いた状態からのスタート。その僕がこうやってライブの大トリとMCを務められたのは本当にありがたいことだし感慨深い。ようやく胸を張ってサークルの一員だと思えるようになった。がんばるぞ!!!

とはいえ最近は燃え尽き気味。というのも、上述のライブの後、仲のいい同期でねぎらいあう会と題してタコパをしたんだけど、これが最高すぎた。いつものようにふざけたことを言いつつ、新しくできた後輩たちのこととか、サークルの今後のこととか、自分たちがサークルの中心を担うことになる近い将来のこととか、いろんな話をした。そのあと、珍しく、真面目なトーンで話をする空気になった。その場にいたメンバーが、ひとりずつ、自分の大学までに歩んできた人生の道のりと、その過去が現在の自分にどんな影響を与えているかをぽつぽつと話して、みんなでそれを聞くという流れになった。そういう話をすることはあまりないので、みんな真剣な顔で聞いていた。これがめっちゃよかった。サークルでいつも一緒にいるときに見るみんなの顔は、こうやって形作られてきたものなんだ、この人はこういう思いで今この在り方でいるんだってわかると、いつも一緒にいる同期たちのことをより深く愛せるような気がした。そのあとはいつものおふざけモードに戻ったりして、なんだかんだで僕らは朝8時までしゃべり倒した。仲良すぎ。

もうちょっとその日の話をさせてほしい。
真面目な話が一通り終わった後、おふざけモードに戻り、眠気もあってみんなテキトーなこと言って遊ぶようになったと思うんだけど、朝5時ぐらいだろうか、みんなでサークルのメンバーのモノマネをするノリになった。で、モノマネが30分ぐらい続いた後、ひとりずつ「自分のモノマネ」をしていくという奇妙な時間が始まった。サークルでは誰かがネタを見せたら見た人が順番にコメントしていくしきたりがあるんだけど、そのふだんの自分のコメントの言い方を自分で再現するという時間。傍から見たらわけわかんないと思うけど、僕らはこれが最高に楽しかった。うまく言えないけど、言葉の選び方とか間の開け方、語尾のイントネーションがその人らしい、その人特有のものであること(本人だから当然なんだけど)がめちゃくちゃ面白くいとおしく感じた。で、それは僕らが一年間時間をともにし、その人のコメントをいっぱい聞いてきたことの証でもあるのだ。加えて、これは勝手な意味付けなんだけど、お互いの人生の話を聞いて、それぞれの「自分らしさ」がいかにして形成されたのかを分かち合ったその夜に、それぞれの「自分らしさ」で笑いあったことが、笑ってもらえたことが、すごく特別なことであるように思う。本当に幸せな時間だった。ここが自分の居場所だと思えた。

で、この夜(から朝にかけて)が最終回すぎて、今俺は燃え尽きているって訳だ。他にも同じ症状のやつが二人いた。そりゃそうだよね。最終回が終わったんだもん。普通に寝て起きて大学行ってバイトしてネタ合わせする日常が続くことの意味が分からない。何も楽しくない。夢中になれない。輝かない。どうでもいい。別にしんどくはないからそれとなくこなすけど、胸は躍らない。ちょっといいことあればその時は楽しいけど、すぐ冷める。覚める。そんな感じ。生活リズムもぐちゃぐちゃで4時寝12時起きが平均ぐらい。今日は13時45分に起きました。9時間寝たのに機嫌が悪いです。ヘルプミー

それがこれを書いてる理由でもある。6月の美しき思い出たちを宝箱にしまって鍵をかけるんだ!ちゃんとこの足で7月を一歩ずつ踏みしめて歩くんだ!!

話は飛ぶけど俺はスロースターターだ。うじうじ考えるから何かに本気になるのが人より遅い。でも大丈夫。うじうじ考えた分、本気になった俺は人より速い。ここからはビュンビュン行く。見とけよ、お笑いも哲学も。

そういえば、おれは何か迷ったとき、ほかの人ならどうするかとか、ほかの人がしてるかしてないかとかをよく考える。めっちゃ他人基準であまり自分の中に軸がないのかも。最近ふと思った。治せるなら治したい気もするけど、それで損してる気はあまりしないし難しいところ。とりあえず気づきはした。どう向き合うかはこれから考えればいい。

バイト先で先輩にうまく質問できるようになった。成長。

後輩に後輩ムーブを学ぶことがよくある。

将来のことを考え始めた。とりあえず哲学で修士まではいきたい。博士まで行くと引き返せないらしいけど、もしすべてうまくいくならその道に進みたいとも思う。でもかなり茨の道だから、もしそうするなら教員免許をとって保険掛けとくことが割と必須。でも今から教員免許目指すのも大変だし、、、どうしましょうか。とりあえず今は哲学の勉強頑張る。あと語学も頑張る必要がある。まずは英語をマスターしなきゃ!




だいぶすっきりしました。ひと月終わるごとに、その月を振り返るnoteを書こうと思います。1か月って期間がちょうどいい気がする。7月はどんな1か月になるでしょうか。梅雨でじめじめしてて、春とも夏とも言えない微妙な季節。どこか僕の心境と重なります。力強く生きていこうと思います。おわり



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