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配慮を頼むのが難しいわけ

 一筋縄ではいかない試験での配慮。配慮を受ける側にも条件や葛藤があるのはご存じですか?今日は心理的な側面から、みうが普段感じている葛藤を描いてみたいと思います。

 こんにちは!くつばこ+のみうです。

 昨日、本当に久しぶりにnoteを出しました。まさかの2月を一回も出さないで過ごしていたとは驚きです。しかも、その期間中にせんに抜かれていました…
 そして、驚くべきことに彼女のnoteは、1100字未満で収まっていることが多いですよね。1000字前後と言われた時の超理想的な長さに、きちんと収められるようになってて、色々負けを感じました…。文系のせんに勝てるなんて、ハナから思ってないんですけどね。
 私も頑張ります!

☆配慮申請をする時に生じる心理的負担

 昨日から続いている入試の時の配慮依頼について。昨日は配慮を受けるためには障害開示をするのが義務になる、というお話をしましたね。

 そもそも開示にマイナスイメージが染み付いているみうは、義務を果たすこと自体がかなり辛いことなんです。しかし、それを果たした後でもなお、試験における特別措置は他の配慮申請とは違う辛さがあります。
 今日は、みうが試験を受けるときに配慮を受けることに慎重になる理由をお話ししたいと思います。

☆主催者側の負担が大きすぎる

 まず一つ目、主催者側の負担についてです。
 特に、みうの場合は時間延長だったり、問題の出題・解答方法の調整が入ったりします。なので、『普通』だったらいらない手間を、私一人のためにかけてしまうというのは、いつも申し訳なく感じています。実際、センター試験でも国立の二次試験でも、私一人のために試験監督が2人もついてくれました。大学で一人だけ延長という形になっても、教授自らが私と二人っきりの教室に残って監督をしてくれることも多いです。
 席を変える、という程度の調整ですまないレベルのお願いをしてしまうのは、申請する際の躊躇の原因になります。

☆同じ立場の人との軋轢

 もう一つ配慮を受けることで問題になるのが友人関係。以前から「合理的配慮と友人関係は両立させられない」と言っている私ですが、その背景には高校時代の苦い思い出があります。
 高校時代、古典や日本史など、読む分量が多いものの1問あたりに掛ける時間が比較的短い教科は、時間を伸ばして貰えば貰うほど、どんどん点数が上がって行きました。他にも、それまで思考時間を短くして対処していたみうが、時間の延長までしてもらったら「他の人が解き終わらない中でもみうだけ解き終わる」状況が頻発した教科もありました。
 詳しくは触れませんが、このような状況下において、配慮を受けることで少なからず「ずるい」という視線を向けられた経験があるんです。
 確かに、みんな時間がない中、解いている問題を一人だけ延長して解くことができます。しかも、それが理由でテストの点数や通知表に差がついたとなれば、やっかみの対象になるのも当然でしょう。
 もちろん、今になれば配慮を受けられていなかった時に、実力を発揮できてなかっただけからと客観的な理解もできます。しかし、当時は「みんな解き終わらない時間の中で頑張っているのに、私だけずるをしているのではないか」という気持ちがどうしても拭いきれませんでした。

☆最後に

 今日は、なぜ試験における特別措置を求めづらい理由についてお話ししてきました。
 みうは、そもそも昨日書いた「障害開示をすること」自体にもとても抵抗があるのですが、試験での特別措置はそれに加えて更なる心労があるということがわかっていただけたらと思います。
 とはいえ、合理的配慮はとても重要なものなのも事実。明日は配慮申請についてのラスト、とっても大事だよというお話をしたいと思います。

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