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演出による不自然さはしょうがない。

ようやく長い梅雨も明けて夏到来!久しぶりの太陽は大変心地よいものでした。さあ浴びて浴びまくって体内でビタミンD生成しなければ!しかし、日照時間が大幅に増加したことによって大変気温が高くなって暑くなりつつあります。プラットホームで電車を待つときも電車がくるのがいつもより待ち焦がれるようになりました。ウィーン…ドアが開き…冷房きいた別世界へダイブ!その瞬間が私を「ああ生きてる…」と普遍的事実を思い出させてくれます。

☆本性を試す番組が人気

昔からドッキリ番組が人気ですね。私も良く見ています。特に小峠さんへのドッキリが好きです。良くドッキリに掛けられて本人自身も飽き飽きしているでしょうけど、あんなに新鮮かつ激しい反応を毎回見せてくれる芸人はそういません。制作側もそういうリアクションをしてくれて、尺・ネタの収穫が出来て大変喜んでいるでしょう。きっと安パイとして扱われているに違いありません。話が逸れましたので本筋に戻すとして…この間、問題になったリアリティー番組のテラスハウスなども審議される前には大変人気のある番組としてその名を世間に知られていました。でも数ある番組、ジャンルの中でどうして最近はこういった本性に近いリアリティー番組が人気になっているのでしょうか?理由は様々だと思いますが、その人の内心そのものをむき出しにしている姿を見ていると何だか心地よさを感じているからなのかもしれません。

☆不自然なものは嫌い!

でもなぜここまでリアリティーを追求するようになったのでしょうか?初めから仕組まれている「やらせ」や「キャラ被り」をやると、反感を買うような風潮になっているのは一体どうしてなのでしょうか?単純に考えてみれば、人間は不自然なものは受け入れがたいからでしょうか。やらせ、キャラ被り…いずれも意識して作っているものでかなり歪な感じがありますね。間に人為的なものが介入していればいるほど、不自然さは増大していくものです。日常的に何かかに演じなければならない…と考えているうちに、ついテレビなどの映像の向こうに本当の自分であり続けている人の姿を見たい!と潜在的に思っているのかもしれないなと思いました。

☆ペルソナの役割

私たちは日常的にキャラを被って生活をしています。家族の前にいるときの自分、病院にいるときの自分、友達と話しているときの自分、それぞれ全く異なる顔を見せています。部活の時はオラオラ系なのに、クラスに戻ると借りてきた猫のように大人しくなるヤツ…高校生あるあるのアレが分かりやすい例だと思います。対応する人に合わせて無意識に顔を変化させているこの状態が「ペルソナ(仮面)」といいます。相手の関係性に応じて距離感や態度を変化させているものなのですが、私はこの仮面を“無意識”に被れているときこそが自然な状態なのではないかと思います。(無意識なものって潜在的な部分から出てくるわけなので、何となく自然な状態に近いものだと感じませんか???)え?ペルソナ?そんなもの要らんちゃう?コロコロ顔を変えるなんざ不自然じゃん。って思うのですが、家の中でも父が会社の顔の状態のままでいたら…「あ、はい。どうも。とても美味しそうですね。あ、私にお酌させてください!おお、息子さん。学校楽しかったかな?」おお、何とも奇妙です!ペルソナというものは決して道化師のように自分を含め、誰かを偽るためにあるような不信感を高める道具とイコールではないと理解できるでしょう。

☆あちらもお仕事。

女優や俳優を職業として生きている方々は、演じる役を想定して、日常生活でのペルソナレベルまでに近付けられるように現実上にいる自分と空想上のキャラの乖離を出来るだけなくすために練習を繰り返しているプロたち…だと思っています。そんな降霊術のような技術を身に付けるのはプロでも難しいものですから、いきなりお笑い芸人やアイドルなどその分野においては素人な方に対して、なるべく自然に表現しなさいなどいろいろ注文するのは無理がありすぎる気がします。難しいからどうも全て決まっている台本や、意識して演じて別の顔に頼ろうとするので不自然なものになっちゃうのでは…と思います。(見ていられないほど下手な場合を除いて)そういった不自然さを上手く解消していけるように応援していけば、プラスな気持ちで改善していけるだろうと思うので、より面白くなるんじゃないかと思いました。つまるところエンターテインメントなんだ、楽しもう。

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