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ろうと音楽 全国ろう学生の集い より

こんにちは、くつばこのりこです。今、絶賛夏の集いの休憩中です。
夏の集いってなんだって??
先日のnoteでも紹介した、「全国ろう学生の集い」の通称です。
今日はそんな「全国ろう学生の集い」の分科会で得た新しい視点をお話しします。

☆テーマは「ろうと音楽」

私が選んだテーマは「ろうと音楽」で、映画「LISTEN リッスン」(https://www.uplink.co.jp/listen/)の制作などに携わっている、牧原依里さんの公園kを聞きながら、ろう者、聴者一緒になって、そもそも音楽とは何か、そしてろう者にとっての音楽とは何かを考えました。

☆手話ソングしか知らなかった

そもそも私は、ろうと音楽について、ろうだから音楽が発達するという話の展開ではなく、手話ソングなどについての話になるのかなと思っていたので、すべてがとても新鮮でした。筑波大学附属聴覚特別支援学校の文化祭で、手話ソングをみたり、以前noteにも上げたように、HANDSIGNさんの「僕が君の耳になる」を聞く中で、手話と音楽の親和性が高いことはわかっていましたが、それ以上だったのです・・・

☆音楽とは、なにか

まず、音楽とは何かという話になりました。私は小学校の時、「音を楽しむ事が音楽なんだ」とずっと教わってきたため、何かしら音楽にかかわる、自己表現の一種だと感じました。しかし、音楽の英語のmusicの語源であるギリシャ語のミューズから考えると、musicとは本来音に関係せずもっと広義的な、芸術的な自己表現を指すものであるというお話がありました。日本語に翻訳するときに、musicが音楽の意味になっていたのでしょうか。「なるほど、音が関係してなくてもいいのかもしれない」そう思いました。

☆私には、手話以外の音が聞こえた

次に、サインポエムと呼ばれる、手話で作った詩を見ました。その後、さらにそれにリズムがついたミュージカルのような物を見ました。ここで、私は、「音が聞こえる」と思いました。幼いころ、ピアノ教室に通っていた時、よくやったトレーニングが、絵や動画を見て何が聞こえるか想像しよう、というものでした。その練習を続けると、だんだんと絵から曲や音を作ることができるようになるのですが、それと近いような感覚で、音が聞こえました。しかも、かなりたくさんの音、歌だけでなく、オーケストラのような、パーカッション、弦楽器、そのような音が不思議と聞こえてくる感覚がありました。

☆私は音に縛られている

私は、家でいつでも歌っています。かなり、いつでも歌っています。音楽が好きですが、私は一方で、音楽がない状態を純粋に楽しむことはできないのかもしれないと気付きました。誤解を招くようで怖いのですが、どちらが良いとか悪いとかそういう話ではありません。純粋に、同じものを見ても脳の反応が違うのだなと気づいたのです。邪魔するものが多すぎます。耳が聞こえるとか聞こえないとか、表面的な、「人間の違い」ではなく、それがどのように違いをもたらしているのかを知ることは、相互理解などといった当たり前のレベルを超えて、社会がより強く発展していくためのカギとなるのではないかと感じました。

今回は真面目になっちゃった!以上です~
夏の集い実行委員の皆様、そして牧原さん、ありがとうございました。
「LISTEN リッスン」見てみたいです!

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