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筑附はLGBTs的社会に合っている

こんにちは、くつばこのりこです。この画像は去年の桐陰祭翌日、台風で枝が廊下に挨拶している写真です。今日は昨日の続きで、ちょっと話を広げて、ジェンダー、セクシュアリティの観点から、LGBTsにとっての筑附の良さを考えてみます。

☆男女が友達として親しい

筑附は男女が素朴に仲が良いと思います。素朴に、というのは「男女として」というよりも、「それぞれが人間として」という感じがあるからです。学年でどのくらいカップルがいるか、恋愛に興味があるかというのは学年によって差がかなりありますが、授業は机をくっつけて受けて、教室に、近くに、当たりまえに様々な性別・性格の人がいる環境で自然と生活しています。3分の1が小学校からの同級生であるからかもしれません。小学校の距離感のまま、成長しているといっても過言ではないのではないでしょうか。それはさすがに過言か。

☆性別で役割を決められることがない

「女子だから」「男子だから」で役割が決められることがありません。委員長は女子のこともあるし、男子のこともあるし、というかわざわざ性別を気にする感覚がありません。委員会の仕事や授業中のワークなどでも、「女子なのにすごいな」とか言われることはないですし、個人を性別にかかわらず能力で評価する雰囲気があたりまえにあります。そのおかげで今大学生になり、少しずつ社会に近づき、「女子なのに」の圧や、男性からの見下した視線を感じるとき、「これか!世にいう男女の差というものは!新鮮!」と思う結果になっています。(さらっと自慢しないで下さい byうた)

☆改善点もあります。

名簿の並び方、おかしいな、と私でも思っていました。筑附の名簿は、男女別のあいうえお順で、男子の20人が先、そのあとに女子の20人が続きます。おかげで「常に男子が先」になり、女子はテストの返却までに心の準備ができるのはいいのですが、男か女かははっきりしなくてはいけません。(「男子が先、女子が先」から「男子のほうが偉い」になってしまう、という一般的な男女混合名簿を主張する方の理由は、筑附では当てはまらないように思います。「名簿順でえらい!」というのはあまり感じられません。)トランスジェンダーなどの生徒が入学したら、どう対応するのでしょう。ごちゃごちゃなら、せめて普段の生活の中ではまぎれて、心理的に楽なのに。いつか変わりますか?

こんなところで、母校愛あふれた筑附の良さ紹介をおわります。
ありがとうございました。

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