見出し画像

壁は乗り越えなくてもいい

壁は乗り越えないといけないものなんでしょうか?
こんにちは!くつばこ+のせんです。妹の部活が取材されて、テレビに出ていました。知っている人や場所がたくさんテレビに映ってるのは、なんだかすごく変な感じでした笑

☆壁は乗り越えるもの?

「大きな壁を乗り越えてここまで来ました」
障害をはじめとするマイノリティの人が何かを成功させたとき、よく耳にするこのような言葉。「壁」と聞いたら「乗り越える」と続けたくなるほど、この2つの結びつきは強い気がします。でも、「壁は乗り越えなくて良い」と言う人がいました。

☆「必要だからそこにある」

前に紹介したドラマ「しずかちゃんとパパ」 このドラマの登場人物の中に、思ったことをはっきり口にする、道永圭一という青年がいます。彼は、壁は乗り越えなくて良いと思っているタイプ。その理由は…?

「建築の設計上、壁は必要だからそこにある。だから壁は乗り越えなくていい。目的は頑張ることではなくて、壁の向こうにあるどうしてもいきたい場所に行くこと。だから空を飛んでもいいし、回り道をしたっていい。
塀を含む壁の主な役割は守ることで、何かを何かから大切に守ってる。だから、簡単に乗り越えようとするべきじゃない。」

本当の目的は、壁を超える行為そのものじゃなくて、その先の景色を見ること。それなら壁にこだわらず、方法を変えたらいいじゃないか、という意見です。

☆マイノリティと壁

ろう/難聴の人と音声情報、盲/弱視の人と視覚情報、車椅子やベビーカーユーザーとスロープのない場所…これらの間には、何かしらの壁があります。分厚いかもしれないし、薄いかもしれない。所々穴の空いた壁かもしれない。その壁は、なんとか壊すことでその先にある情報を得ようとさせること(例えば口話や目視の強要)がなされる場面がありますが、圭一の言う「目的」が達成されていないことが多い気がします。例えばろう学校を卒業した人の中でよく聞くのは、

・「将来聴者の中に入って音声でコミュニケーションが取れるように」と厳しい口話訓練を受けて、ろう学校の中では「あなたは口話が上手だ」と褒められたけど、社会に出たら全然伝わらない。
・「口話ができるようにならないと困る」と言うけど、筆談の方が確実に伝わる。

など、教科の勉強時間や遊びを減らしてまでしてやってきたことが、その後の人生に活かしきれないケースもあるそうです。壁を壊すことに一生懸命になって、やっと壊せた時には疲れ果ててしまう。これでは何のために頑張ったのかわかりません。

☆障害(壁)を乗り越えて?

「障害を乗り越えて」
24時テレビやドキュメンタリーによく出て来る言葉ですが、せんはずっと引っかかっていました。障害を乗り越えるの?と。障害を医学モデルで見るか、社会モデルで見るかによって解釈は変わりますが、テレビで取り上げられる障害は、まだまだ医学モデルの見方が多いですよね。これだと「障害を乗り越えた」とは言わないと思うんです。なぜなら、医学モデルの障害はなくならないから。この言葉を使えるのは、障害を社会モデル的にとらえて、完全にバリアフリーが実現したときなんじゃないかなと思います。なので今は、「障害を乗り越えて」ではなく、「アプローチ方法を変えて」の方が意味合いはしっくりくるような…。

時には、壊して乗り越えないといけない壁もあると思います。でも、何のために壊すのか、壊をす以外の方法がないか、一緒に考えられる人になれたらと思います。

「しずかちゃんとパパ」の紹介noteはこちら↓


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?