16.男娼できるかな(1)
俺は鏡に映った自分を見た。
ハーフスラックスにコルセットベスト、白手袋、ハイソックスにハイヒール、ふわふわの丸い尻尾、髪はヘアピンでアップにしてウサ耳のカチューシャをつけている。
バニーガール……もといバニーボーイの格好だ。
おずおずと試着室から出ると、細身の男が甲高い声を上げた。
「んまぁ、んまぁ、イイじゃないの! ウフッ、カワイイお尻」
尻を撫でられ「ひえっ」と悲鳴を上げてその場で跳ね上がった。
「やめてくださいよ……」
顔が熱くなり、うつむいて両手で頬を押さえた。
恥ずかしくて死にそう……
(知り合いに見られたら終わりだよ……)
****
先日、闇医者に治療費を払った帰りのことだ。
切捨橋の下に戻ると知らない青年がサンドバッグをいじっていた。
黒のジャケットにスラックス、首元の大きく開いたシャツという姿で、白い首元と鎖骨を露にしている。
ほぼ乳白色に近い金髪は溶けかけたアイスクリームを思わせた。
九霊会のヤクザにしてはファッションがカジュアルすぎる。
こちらに気付いて顔を上げた彼は、信じられないという顔でつぶやいた。
「ジィエ」
駆け寄ってくると、眼をいっぱいに見開いて宵人を見上げる。
大きな瞳のせいで幼く見えるが俺よりいくらか年上のようだ。
その瞳がみるみる潤んで大粒の涙がこぼれ落ちた。
「ジィエ! そうだよね?! その傷……」
彼が額の傷跡に手を伸ばそうとすると、宵人は俺の後ろに隠れた。
「え? なに?」
青年は口をぽかんと開けた。
「オレだよ!?」
(芥の知り合いかな?)
事情を耳打ちすると、彼は信じられないという顔で俺を見た。
「そんな……いつ戻るの?」
「わからないんですよ。1分後か、それとも三日後か」
宵人がこわごわと彼を見ている。
「ココ兄ちゃん、そのひと誰?」
俺は彼と素早く視線を交わし、わざと明るく言った。
「えっと……俺の友達!」
「ああ、うん! 劉《リュウ》ヒナキっていうんだ。よろしこ~」
宵人は頭を下げた。
「はじめまして~。黒猫ニンジャで誰が一番好き?」
青年は涙を拭い、無理に笑顔を作った。
「ん~、無印のゴールデンテール。ねぇ、ゴハン行かない? 奢るよ」
彼の車に乗せられた。
向かった先は中華街にある紅龍園《こうりゅうえん》という高級レストランで、奥のVIPルームに通された。
「遠慮しないで何でも頼んでよ。オレの父親が面倒見てる店だから」
「ラーメンとからあげとギョーザ!」
宵人は大喜びで注文したが、俺はびびってお茶しか頼めなかった。
こんな高そうな店に入るのは初めてだし、部屋の隅には黒服の男がふたり影のように控えている。
どちらもカタギの雰囲気じゃない。
ヒナキが俺に言った。
「そう言えばキミの名前を聞いてなかったけど」
「連川狐々です」
ヒナキは悪戯っぽく笑った。
「アハハ、ごめん。ほんとは知ってた。うちのサマーをヘコませたって?」
「あ、じゃあ、あなたは骸龍《ハイロン》の……」
「そ。オレの父さんが組織の老板《ボス》。つってもオレは妾の子なんだけど」
(あっさり言うなあ)
俺が詳しい成り行きを説明すると、ヒナキはじっと俺を見た。
「ふうん……それじゃ、キミがずっと彼の面倒を見てたんだ」
彼は視線を宵人に移した。
「五年くらい前かな、オレがつまんないことで九霊会を怒らせちゃったとき、助けてくれたのがジィエだった。ジィエって芥の中国語読みね。それ以来彼はうちの客分ってワケ。頭を撃たれて死んだって聞いてたけど」
彼は俺の目を真っ直ぐに見つめ、自信に満ちた目で言った。
「ジィエはオレの恋人だった。〝だった〟はないか、生きてたもんね」
胸の奥がざわっとした。
「どうかした?」
「うん? ううん」
あわてて首を振ったが、実際は視線が定まらないくらい俺は動揺していた。
たぶん、芥に……恋人が……いたということに。
「話、続けるよ? 骸龍と九霊会は基本、お互いの縄張りのことには口を出さないって決めてるんだけど。
こないだ向こうが言ってきたんだよね。もし嵐道芥と連川狐々を見つけたら引き渡してくれって」
「え!? それは……」
ヒナキは眼を細めて笑った。
「ジィエはともかくキミはなぁ……かばい立てする義理はないんだよね」
「いや、それはそうですけど!」
「ん~、どうしようかな」
「変わってないな、このからあげ」
芥がボキッと骨を噛み砕いて言った。
「回りくどいぞ。要するに何をすればいい?」
「ジィエ……?」
芥が笑ってうなずいた。
そのとたんヒナキは彼の首に飛びついて椅子ごと床に押し倒し、大声で泣き始めた。
芥は呆れたようにため息をつき、ぺっと骨の欠片を吐き出した。
「お前も変わってないな、火鳴《ホアミン》」
ほんの5000兆円でいいんです。