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我々はゲームを操作しているのか、それとも操作されているのか?

突然だが、あなたはゲームをどのようにプレイしているだろうか?
例えばゲームを起動し、操作できる段階まで進めたとしよう。そうすると、十中八九ミニマップに目的地が表示されるはずだ。
ミニマップと画面を交互に見ながら、目的地に向かうと、次の目標が表示される。○○に向かえ。○○をしろ。○○を倒せ。
私たちプレイヤーはこのクエスト目標を達成すればいい。そこに対して我々がなにか複雑なことを考える必要は無いし、ゲーム側もそれを望んでいるだろう。
そして、目標を達成したプレイヤーは報酬を手に入れ、クエストは終了する。
至って普通のゲーム体験だ。
しかし、私は最近違和感を感じ始めたのだ。
「私はゲームを操作しているのか、それとも操作されているのか?」…と。

クエスト目標のメリットとデメリット

この画像はクエスト目標が大量に表示される「Fallout76」のスクショ
やかましいことこの上ない

先程述べたクエスト目標のようなものは、現在のゲームにおいて標準装備となっている。
私が思うに、目標を表示するということには非常に大きなメリットが存在する……が、ゲーム体験にかかわる大きなデメリットも存在すると考えている。

メリットから話そう。
まず第一に、カジュアルなゲーマーでも迷うことなくクエストをクリアできるという点が上げられる。あまりゲームをやらない層でも、次にどこに行って何をすればいいか…ということがすぐに分かる。これは大きなメリットだ。
遊びやすいと言う事は、プレイ人口の増加に直接繋がってくる。ライト層を取り込むことが出来れば、売上が伸びるのは必然だろう。
第二に、クエストを途中で止めても何があったかすぐに思い出すことができ、再開することも出来る…ということも言えるだろう。
クエストログを見れば、自分がどんな道筋を辿ってこのクエストを進めてきたかがすぐに分かるし、クエストマーカーを追えば次の目標にもすぐに行くことが出来る。
第三に、同時に大量のクエストを追えるというところも利点と言えるだろう。片っ端からクエストを受注し、マップをうろついて偶然近くにあったクエストを進める…ということも可能だ。


ではデメリットとは?
一つ目は、自分で考えることなくクエストを進めてしまえる点だ。
例えばクエストを依頼してきたNPCが、「町から南に向かって分かれ道を左に、その後見えてきた三日月状の湖の中に敵がいるから倒してくれ。」という道順のヒントを教えてくれたとしよう。
しかし、クエストマーカーは湖に現れるため、プレイヤーはNPCの発言を全く聞いていなくても目的地へ向かうことができてしまうし、誰を倒せばいいかすぐにわかってしまう。
これは自らの思考の放棄であり、クエストにおける「目的地を探す」という面白さも損なわれてしまっている。
二つ目は一つ目とやや内容が被るが、目的地が表示されているが故に、寄り道や風景に気を向けることができない点だ。マーカーが表示されている場合、多くのプレイヤーはミニマップを見ながら直線的にそこへ向かってしまう。そうなると、ミニマップと画面を交互に見ながらプレイすることになるため、作りこまれた美しい風景をしっかり観ることができないばかりか、隠し要素やアイテムなどの探索という楽しみを奪っている可能性すらあるのだ。非常に勿体ない。

以上の二つを踏まえると、クエストマーカーの問題点はプレイヤーが得ることができたゲーム体験を損なう可能性があるということになる。
誰かに指示されたので行動した」ということよりも「自ら考え、判断の末に行動した」ほうが、自分の記憶に残りやすい
これは人生において普遍的なことだと思うが、ゲームに関しても同じことが言えるのではないか…と私は考えている。
クエストマーカーを追いかけてゲームをクリアした場合と、何も目印が無い状態から自らの知識と発想を頼りに思考しながらゲームをクリアする。
前者はなだらかな整備された道であり、道具はそれほど必要ない。後者は険しい道だが、貴方はその道を進むための「知識」「発想」「思考力」という道具を持っている。
この道具をうまく使いこなし、ゲームをクリアしたときの達成感は非常に大きなものとなり、自らの記憶の一部として長く残るだろう。

しかし、マーカーも悪いところだけでは無い。
最初にも書いた通り、ライトゲーマーにとってはこれ以上ないほどのヒントとなる。ゲーム上で迷う時間が少ないということは、ストレスがたまりにくいということでもあり、ゲームにおいては重要な部分であると言える。
更には、最近のゲームのようなサブクエストが無数にあるタイトルだとマーカーやクエストログがないと頭がパンクしてしまう。
これらが遊びやすいと呼ばれるゲームの要素の一因であり、これがあるとないとでは売り上げも変わってくるだろう。
そのため、クエストマーカーは必要な存在だと考えているし、これから先もなくなることはないと思われる。

しかし、ゲーム開発者もクエストマーカーの問題点に気が付いているはずだ。その証拠に、マーカーの問題点をうまく利用した作品も多く存在する。
ここから先は私がプレイしたゲームにおいて、クエストマーカーへのアンチテーゼを含めた作品や、マーカーが無いことによって成功した作品などに焦点を当てて紹介していこうと思う。

バイオショックファークライ4のネタバレを含むため、ここから先は自己責任で読んでほしい。

ゲームに従うプレイヤーへのアンチテーゼ

・BioShock

まず、クエストに従うプレイヤーへのアンチテーゼと言えば真っ先にこの作品が上がるだろう。BioShockだ。
BioShockは、主人公であるジャックが乗っていた飛行機が海上で墜落し、海底都市ラプチャーにたどり着くところからゲームが始まる。やけに丁寧な指示を出してくるアトラスという人物に誘導され、言われるがままにラプチャーの住人を倒しながら進んでいく。
アトラスの指示が、そのままクエスト目標となるのだ。
プレイヤーは「これはゲームだから、クエストの指示に従って進んでいけばいい。」と考え、何も疑問を持たずに先へと進んでいく。
しかし、それこそが製作者の思うつぼなのだ。
ゲーム終盤で、主人公は造られた人間であり、「指示に「恐縮だが…」という一言を付け加えられると、その指示を絶対に行う」という絶対的なプログラムがされていたことが明かされる。
その効力は絶大であり、ラプチャーの創立者であるアンドリュー・ライアンに対して「恐縮だが、あいつを殺ってくれないか」という指示に対しても、疑問を持たずに遂行してしまうほどである。
だが、この狂っている指示に対してプレイヤーが違和感を持つことは難しいだろう。なぜなら、アンドリュー・ライアンはラプチャーのボスであり、ゲームというものはボスを倒すのが目的なのだから。
アンドリュー・ライアンが絶命するシーンも非常にメッセージ性が強い。
主人公を前にしたライアンは、こう述べる。

「人は選択し、奴隷は従うということだ。殺せ。人は選択できるが、奴隷は従うだけだ。従え!」

直後、主人公はライアンから渡されたゴルフクラブでライアンを殴り殺す。
プレイヤーの意思に関係なく、主人公は我々の操作を振り切ってライアンの指示によりライアンを殺害してしまうのだ。

このシーンに秘められたメッセージをメタ的に読み解くと、プレイヤー及び主人公が「従う奴隷」であり、ゲーム制作者やクエストマーカーが「ライアン」、つまり「選択する人間」だと考えられる。

つまり、BioShockはゲーム内の指示、つまり「クエストマーカー」に対して盲目的に従っているプレイヤーへのアンチテーゼを唱えている作品であり、このようなメッセージ性が含まれている作品が2007年に発売していることは驚くべきことだと言える。

・Far Cry4

次に紹介する作品は2015年に発売した「Far Cry4」だ。

ファークライシリーズは大半の作品で「プレイヤーが関わることによって、全員が不幸になる。=ゲームに対して入れ込み過ぎるな」というようなメッセージを含んでいる作品群である。特に面白いのが、4の開始時点でのイベントだ。
主人公のエイジェイは、故郷である山岳地帯の国「キラット」に存在する「ラクシュマナ」という場所に、母親の遺言に従い遺灰を撒くためにキラットを訪れる。しかし、その最中に国王である「パガン・ミン」に誘拐され、何故か一緒に食事を取ることになる。
その途中、反乱軍を尋問するためにパガン・ミンが食事の席を立つのだが、「そこで少し待っていてくれ」とその場から離れないようお願いされる。
しかし、クエスト目標には、建物から抜け出せ。と指示が出るのだ。
普通のプレイヤーであれば、ここで建物から抜け出し、キラットの内戦に反乱軍側の人間として参加することとなる。
しかし、そこでクエスト目標を無視し、パガン・ミンの指示通りに食事の席で待っていたならどうなるか?
なんと、食事の席にパガン・ミンが帰ってくるのだ。
そのうえ、ストーリーの最後に訪れることとなる「ラクシュマナ」へと案内され、母親の遺灰を撒き、パガン・ミン率いる国王軍の仲間入りをし、あろうことかエンディングに突入するのだ。

これは、ファークライシリーズの「プレイヤーが関わることによって、全員が不幸になる。」というメッセージに対する一種の答えであり、クエスト目標に従うことが、必ずしも正しい道ではないということを示していると私は考える。(あと普通に反乱軍側に所属するとみんな不幸になる)

開発者の粋な計らい 宝の地図システム

マーカーが表示されないサブクエストや隠し要素を入れたゲームも複数存在する。
特に私が好きなのが、「宝の地図」システムだ。
レッド・デッド・リデンプションの二作や、最近のアサシンクリードシリーズ、ゼルダの伝説風のタクトなどに見られる要素である。
宝の地図をアイテム欄で開くと、宝がある場所が描かれており、その周りに存在する特徴的な地形や建物などが手書きで書かれているのだ。
プレイヤーは少ない情報を元に、描かれている場所がこの世界のどこなのかを突き止めなければならず、そのためには世界をじっくりと観察しながら回らなければならない。これにより、プレイヤーは周囲を確認し、「知識」を高め、似たような地形の場所を推測する「発想力」を使い、目的の場所にたどり着いた後に詳しく場所を探索する「思考力」を必要とする、自らの手でクエストをクリアしたという掛け替えのない経験を得ることができる。
そのため、私はこのシステムがとても好きだ。
Falloutskyrimcyberpunk2077などにも似たような隠し要素が存在し、残されたメモの文章によって宝の場所を推測し、資材がぎっしり入った宝箱にたどり着けることもある。
このような隠し要素は、自らの頭を使って目的地へ向かう必要があるため、考えがピッタリ合致して宝箱を見つけられたときは非常にテンションが上がる。このような経験が得られることが、自分で考えながらゲームをやることのメリットなのだ。

ドラクエから学ぶ、賢いクエストマーカーの使い方

最近私はドラクエ11をプレイしているのだが、この作品…というか、ドラクエシリーズの誘導方法も古き良き優しすぎない誘導システムを採用していたので紹介しておこう。
ドラクエ11には、クエストマーカーは存在しない
その代わり、次の目的地への行き方を解説してくれる人がいる。
それだけなら、いつものドラクエと一緒なのだが、11では次の目的地について話してくれる人の頭の上にピンク色の吹き出しが表れるのだ。
これにより、誰に話を聞けば次の目的地への行き方が分かるのかが一目でわかり、なおかつそこから先へは自らがマップを開いてルートを確認しないと行けないようになっている。
ライト層もヘヴィー層も、同時に納得させられる非常に賢いやり方だと感じた。

自らの意思でのみ、先に進むことができるゲーム

では、完全にクエストマーカーを撤廃した作品はあるのだろうか?
答えは「有る」だ。
完全に自らの知識、経験、探求心、発想力、好奇心などによってのみ進行し、一切の誘導が提示されないゲームも存在する。
そのようなゲームを3本ほど紹介しよう。

・Outer Wilds

一本目は「outer wilds」だ。

先日のニンテンドーダイレクトでも紹介されたゲームであり、海外では数々の賞を受賞している実力派のインディーゲームだ。
超新星爆発により崩壊してしまう宇宙を舞台に、死ぬと何故か22分前に巻き戻されてしまう主人公が数々の惑星を探索し、この宇宙で何が起きているのか、なぜ自分だけがループしているのか、なぜ太陽が爆発してしまうのか。ということを調べるゲームとなっている。
このゲームはチュートリアルこそあるものの、宇宙に飛び出せたらその後はどこへ行っても、何をしてもいいというところが特徴的だ。
いきなり宇宙の果てを目指してもいいし、宇宙船に乗らずに村を探索してもいい。
それらはすべて、プレイヤーの好奇心によって引き起こされた行動であり、開発者は広大な世界を与えただけに過ぎない。
22分経つか、死ぬかすると、主人公は記憶だけを引き継ぎ22分前の宇宙に戻ることができる。ここで重要なのが、引き継げるのは知識だけという点だ。
引き継げるのを知識だけに絞ることにより、レベルを高くしないと進めない…ある特定の道具がないと先に進めない…という場所が無くなっている最初からすべての場所にアクセスできるようにゲームが設計されているのだ。そのため、プレイヤーは最初からある程度自由に世界を探検でき、どこから探索してもいいようになっている。しかし、初期の知識ではたどり着くことができない場所が山ほど存在している。
ではどうするか?別の場所を探索し、先に進む方法が無いか調べるのだ。
これらの行動は全てプレイヤーの自主性に委ねられているため、自らの好奇心で探検し、自らの知識を高め、自らの思考力と発想力で先に進むこととなる。
そして、自らの好奇心によって世界を探検し、すべての謎を解き明かした際の爽快感や感動や満足感は、今までプレイしたゲームでは味わったことが無いものとなるだろう。

・Return of the Obra Dinn

二本目は「Return of the Obra Dinn」だ。
ゲームについて軽く説明しよう。
このゲームは航海中に乗務員60人が全員行方不明となったオブラ・ディン号の内部を探索し、この船で何があったか、誰がどうやって死んだのかを突き止めるゲームである。
しかし、最初にプレイヤーに渡される情報は「60人の名前と役職、出身地のリスト」及び「乗務員全員が描かれている絵」のみである。
これだけでは全員の名前と最期を確定させるのは到底不可能だ。
そこで、このゲームの特徴的なアイテムである、「懐中時計」が必要になる。
懐中時計を死体に向けて使うことにより、その人物がどうやって死んだのかを確認することができる。これにより、誰が、誰に、どうやって殺されたか60人分確認するのがこのゲームの目的である。
さて、クエストマーカーの話に戻すが、このゲームでは死の瞬間を見る順番は特に決まっていない。この死体を見てくれと言わんばかりの目立ち方をしている死体はちょくちょく存在するが、これはプレイヤーを誘導するためであり、実際のところはどの死体から見ても問題は無い。
そして、このゲームはすべての死体を確認したからと言ってクリアできるかというと、実際はそうでもない。むしろ、死体を全て確認し終えた程度では十数人しか身元が分かっていないという可能性のほうが高い。
全ての死体を確認するまではリニアな形でゲームが進んでいくが、そこから先は完全に自由である。身元が不明な死体をもう一度見てもいいし、もう全て見ただろうと思っている死体を見てもいい。このゲームは驚くほど細部まで作りこんでおり、もう見るところが無いと思った死の瞬間でも、目を凝らして注意深く観察すると、他の人物に繋がる大きなヒントが隠れていることがある。
もしくは、全員分の死因を埋めずにエンディングを見てもいい。このゲームは全員分の死の瞬間を見終えた瞬間からゲームを終了させることが可能になり、謎を解明せずともエンディングを見ることが可能なのだ。
しかし、現時点でのsteamにおける完全クリア実績の取得率は「43.1%」となっており、およそ半分のプレイヤーが目の前にある楽なエンディングではなく、自らの好奇心によって全ての謎を解明したという事実が数字となって表示されている。
クエストマーカーが存在しないことにより、プレイヤーは周囲を注意深く観察するようになる。そして、見つけた証拠と自らの知識と発想を組み合わせて、この死体は誰でどうやって殺されたかが理解できた瞬間の気持ちよさは、何物にも代えがたい物となっている。
これこそが、このゲームにおいてクエストマーカーが存在しないことの利点であり、プレイヤー自身の好奇心によってゲームを進めることが、非常に素晴らしい体験に繋がる理由と言える。

・Her story

三本目は「Her story」だ。
このゲームでは、主人公は画面の前から一切動かない
できることと言えば、ゲーム内のパソコンの検索画面に文字を打ち込み、出てきた映像を見ることぐらいだ。
検索して出てきた映像には、ある女性が警察に取り調べを受けている様子が写っている。
プレイヤーはその映像を見て、この女性はどんな事件に巻き込まれたか?どんな事件が起こったのか?ということを推理することが、このゲームの目標である。
検索欄に単語を打ち込むと、その単語が発言された映像がヒットする。
出てきた映像を確認し、その中に出てきた気になる単語を再度検索する。
このゲームは、この繰り返しである。
プレイヤーが迷わないように、ゲームの最初のみ開発者からヒントが与えられるが、それ以降は一切ヒントは出てこない。完全に自分の力だけで謎を解かなければならない。映像を確認して、違和感を覚えた単語、話している内容から連想した単語、その他のどんな単語でもこのゲームは検索できる。
自分の好奇心の赴くままに調べることを、このゲームは可能にした。
その結果、貴重な情報は一人一人異なる体験を経た末に辿り着いたものとなり、プレイヤーごとにまったく違う体験をすることとなる。
先述した二つのゲームにも言えることだが、マーカーが存在しないことによって、プレイヤーごとのオリジナリティ溢れるストーリーが展開できるのだ。
また、このゲームも「Return of the Obra Dinn」と同じエンディングのシステムを取っており、謎をすべて解明せずともクリアが可能になっている。
しかし、両作品のエンディングの扱いは少し違う。
オブラディンはすべての謎を解かないと、真のエンディングが見られないのに対し、Her storyではある映像を見た時点で、いつでもエンディングに入ることが可能でありながら、内容に変化はない。
つまり、このゲームはオブラディンにおける新エンディングのような「ご褒美」すらも撤廃し、プレイヤーの好奇心に全てを委ねたゲームであると言えるだろう。
そして、それがこのゲームの面白さを引き出しているのである。
プレイヤーがこのゲームに没頭し、女性の正体や事件の内容に詳しくなるにつれて、エンディングに深みが増す
時間をかけて自らの力で調査した時間に比例して、このゲームはプレイヤーの心に深く残るゲームとなるのだ。

まとめ

今回のnoteでは「私達はゲームを操作しているのか、それともゲームに操作されているのか。」という議題について私の考えを数本のゲームを交えて書かせて頂いた。
ゲームにおけるプレイヤーを誘導するクエストマーカーなどの要素は、ライトユーザー向けにゲームを開発するならほぼ確実に必要なシステムだが、自らの力で謎を解き先の展開に進むという感動が薄れてしまう。しかしながら、ゲームのクエストマーカーを撤廃するならば、プレイヤーの好奇心に対して、美しい世界観や魅力的なストーリー、先が気になる複雑な謎などでアプローチする必要があるため、非常に開発が難しくなる。しかし、好奇心を上手く引き出すことができれば、その作品はプレイヤーの心に残り続ける作品となるだろう

ゲームに命令されたとしても自分の意志を持ち続け、自らの考えで世界に触れようとするその行為こそが、好奇心だと考える。
そして我々プレイヤーも、開発者が作り上げてくれたゲームという作品に、常に好奇心を持って触れていくことが大切なのだ。

最後に、私からひとつ質問を投げかけて、noteを締めたいと思う。

貴方は奴隷か?それとも人間か?

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