十月櫻の自死を待つ

 春光のなかにある桜色の、儚くも美しい季節よりも、わたしは、うら寂しいばかりの十月桜と共に息絶えたいと乞い願う。白く霞むひかりの帯は十月桜の小枝に絡み付き、天女の羽衣のようにしな垂れた。さくら。さくら。写真が好きなきみは、寂しいのが嫌いなきみは、この季節をどんな風にファインダーにおさめるだろうか。あの日、カメラに残された35ミリのフィルム。耐え切れずに陽の光の中で乱暴に、ずたずたにフィルムを引っ張り出して、本当に、本当に、ごめんなさい。二度と許されないことをしたね。やっていいことと、悪いことがあったよね。きみに隠された悪事があろうとも、激昂して殴って暴れて傷付けていい筈がなかった。きみはいつだって言葉少なに微笑んで、未熟な僕を許してくれた。僕は確信していた。きっと今度も仕方ないなぁと甘く笑ってくれるって。ハーゲンダッツの新作ふたつね! と笑いながら言ってくれるって。でもそんなわけはなかった。きみが命を吹き込んだ、いわば大切な作品だ。怒らないわけがなかった。悲しまないわけがなかった。辛くないわけがない。泣きじゃくってくれたらよかったと、この期に及んで僕はまだ僕のことだけ考える。きみは詰らなかった。ただ静かな湖水のような瞳で僕を見つめてから、笑った。笑って飛んで、そして落ちた。鈍い音がしても、よく分からずに呆けていた。生唾を飲み込んであたりを見回すと時が止まったようなプラットフォーム。通過出来なかった特急列車が酷い音で止まる。知覚神経は失われたかのようになにも感じなかった。サラリーマンに羽交い締めにされて駅員に受け渡された後もなにもなかった。がらんどう。なにもわからないまま、どう自宅に辿り着いたのかも記憶にない。さくら。さくら。きみは何処? 間違えて幹から直接咲いてしまった、おっちょこちょいの、きみみたいな十月桜に手を伸ばしたら花弁ははらりと散ってしまった。ああ、また僕は。何度でも同じ轍を踏む。傷に、新しい傷を重ねてもはじめの傷は一生消えないんだって。僕は知らなかったんだと、嘯く。小枝を折ると悲鳴みたいな音が世界を染め上げた。さくら。さくら。いつしか悲鳴はやんで、世界の入り口、扉がひらく。これでもうきみの元にいけるかな。十月桜の自死をまつ。さくら。さくら。

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