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訪れた国

Episode 8 – India 1

 

インドは南アジアに位置する国でヨーロッパと東アジアの中間です。東京から行くときは往路を昼便で復路は夜行便でという利用が多いようです。夜行便にしてはちょっと短いと感じますが、東南アジアから6時間くらいで成田に到着してしまう「おはよう東京」便よりは少し長く寝ていられます。インディラガンジー国際空港ではパリ便と成田便が夜の同じような時間に出発しますから、会議で一日中激論を交わしたフランス人とラウンジでまた会ってしまうこともあります。

2011年に訪れたインディラガンジー国際空港ターミナル3は開業から1年経っていましたが、まだ新しい空港の雰囲気がありました。免税店などの商業エリアは広くありませんが、コンコースは広くて搭乗ゲートまで長く時間のかかる大きな空港です。空港周辺のホテルや鉄道などは建設中でしたが、今ではホテルも地下鉄の延長線も完成しているでしょう。

地下鉄は2~3本が開通していましたが、引き続き建設は続いていました。しかし、市内の移動手段はまだ車が中心で道路は渋滞していました。庶民の足ともいえる緑と黄色の(昔懐かしいミゼットのような)三輪タクシーとバス、トラック、乗用車などがひしめき合って、市内はいたるところで大渋滞です。空いていれば10分で行けるところが1時間位かかることも珍しくありませんから、約束時間に間に合うように出発しても、時間どおりに到着できることは難しかったのです。

 人も多いです。香港の雑踏は東京よりすごいなと思っていたのですが、インドの混雑にも驚きました。大勢の人が一方向に向かって整然と歩くということはなくて、どの人も自由勝手にどの方向へも進みます。東京のラッシュに慣れていてもインドの人込みで人を避けながら歩くコツを覚えるまでは苦労します。

ショッピングセンターというか市場というか人の集まる地区の青空広場の地べたには、店を持たない商人たちが服装や日用品などの店を広げています。集まっている人を見ると何かの仕事をしているような人も多いのですが、職がないのでしょうか、ただたむろしているだけ?と思わせる若者も多くいました。

彼らはインドなまり(わたしたちからみて)の英語をとにかくよくしゃべります。ヒンズー語と同じ調子とアクセントで英語をしゃべりますから、会話はいつの間にかヒンズー語になっていたり、英語に戻っていたりします。あまりにも聞き取りにくい言葉をペラペラと話し続けるので「少しは正しいBritish Englishをしゃべれば」と言ったら、「日本人のお前に言われたくない」と返されてしまいました。わたしたちの英語も彼らに言わせると日本なまりのJapanese Englishなのでしょう。

英語を書いてもらうとたくさん見慣れない単語を使いますから、格調の高い文章にみえます。わからない単語を調べてみると、今ではあまり使わない19世紀の単語です。教科書には今も古い単語が使われており、彼らはその教科書で授業を受けてきたのです。むつかしい単語をよく知っているわけです。わたしたちが会話する人たちの間では、むつかしい単語を普通に使うことは常識でした。インドの方たちとの仕事はインド英語と古い単語に悩まされる毎日なのです。

文房具屋さんへ行くと、香港やミャンマーで売っているF4サイズ(A4より少し縦長)のノートがあります。F4サイズで分厚い(150, 200, 300ページなど)ハードカバーの(格調高い装飾がしてあります)ノートは持ち運びには少し重たいですが、半年から1年間は使えます。毎日の出来事や会議の記録を書き留めておくと、前回の会議ではどうだったかなどがすぐにわかるので重宝します。使ったページの隅を三角に切り落としておくと、毎日さっと新しいページが開けることができるのです。1970年代頃のイギリス人はみんなこのF4サイズのノートを使っていたものです。アナログ時代のパソコンともいえる優れものでした。

アメリカとフランスとインドと日本の会社が一緒になってプロジェクトを運営したことがあります。インドの方たちとだけでも大変なのに、アメリカ人とフランス人のやり取りも激しいですから、行司役として業務まとめ役のわたしたちは苦労の連続です。イギリス人の弁護士からは「Mission Impossible」とコメントされました。ウクライナ問題の対応を見ていてもお分かりと思いますが、どの国の人たちも随分と違う文化を持った人たちです。

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