訪れた国
Episode 38– India 5W2
インドの西側(インド洋のアラビア海沿岸)はカラチ(パキスタン)に近いクジャラート州から海岸沿いに下るとムンバイがあります。さらに下ってゴア。ゴアからさらに南へ行くとケララ州になります。モディ首相の出身地であるクジャラート州には行ったことがありません。前回ムンバイの話をしたので、今日はゴアの思い出を書きます。
日本からゴア行きの直行便はありませんから、ムンバイで国内線に乗り継ぎます。ゴアはアラビア海を隔ててアラビア半島に意外と近いです。日本と台湾くらいの距離で、飛行機だと2時間くらいでしょう。
海岸沿いの街ではアラブ系のグループをよく見かけます。その昔、アラブの人がアラビア半島から“船乗りシンドバッド”のように冒険航海に出て、最初に着いたところがゴアだったのでしょう。いい所だというので、そのまま住み始めたのだと思います。
アラブ人の冒険航海はもっと先まで続いています。彼らはインド沿いに南下する航路を切り開いて、マラッカ(マレー半島)からシンガポールに達しています。
アラブ人には知られていた航路ですが、初めてヨーロッパ人でインドへの新しい航路を発見したのはヴァスコ・ダ・ガマです。彼がリスボン(ポルトガル)を出たのは1497年で、アフリカ大陸を南下して、喜望峰を回って大西洋からインド洋へ出ました。インド洋を横切ってゴアに着いたのは1498年です。
ゴアの海岸に、ヴァスコ・ダ・ガマのゴア上陸の記念碑(写真)が建っています。あたりは何もない所なので、訪れる人はあまりいないようです。
1500年頃と言えば、日本は室町時代の後半で戦国時代です。マゼランが西回りの世界周航に出たのが1519年で、鉄砲伝来が1542年ですから、西洋人の冒険は40数年でインド、マレー半島、インドシナ半島、マカオを経て日本まで伸びたようです。
ゴアで講演した時のこと、戦後の日本に象がいなくなって、子供たちがかわいそうだという話を聞いたネール首相が日本へインド象を贈ってくれた話を思い出して、“今日からみなさんに水道の水を供給できるのは、象のお返しではありませんが、みなさんの生活のお役に立てることはうれしいことです”といった話をしました。なぜかよくわかりませんが、インドの人は昔から日本を大切にしてくれます。
インド陸軍が自衛隊と共同訓練をしたことが報道されました。シークの兵隊さんがいて、やはり頭はターバンでヘルメットは被っていませんでした。建設現場でも被らなくていいことになっています。スポーツをするときは脱ぐのですが・・・。
今、G20の外相会議がデリーで開かれています。アメリカやロシア、中国などの主だった外務大臣は参加していますが、日本は外務副大臣の参加です。誰も日本の外務大臣が来ようが、来まいが気にしないのでしょう。国際会議と国会のどちらを代行者が担当するかの価値判断があったのでしょう。日本の存在感が薄れていくばかりで残念です。
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