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組織の運営の技術

まえがき

 日本のGDPが世界2位で安定成長を続けていた頃から、バブル崩壊後の失われた10年と言われた頃、そして失った30年と言われるようになるまでの40年間を海外からの目で日本を見てきました。

1980年代の日本は、経済大国で“Japan as Number 1”と言われていた頃です。多くの海外駐在員たちが、日本株式会社の“恩恵”にあずかっていました。東南アジアでは、日本株式会社の“恩恵”を背景にした駐在員のふるまいに“おごり”が見え隠れしたことも少なくありませんでした。「もう欧米から学ぶことはない」と言う人までいました。

しかし、彼らのプロジェクトの運営手法と問題解決の方法には、学ぶところはあったのです。そうした海外で得た経験を2021年に「組織運営の技術」としてまとめました。引き続いて2022年には第2,3部として組織運営に関わる個別のテーマについて発表しました。今回(2023年)は第4部として「どうする、ニッポン」-失った30年とコロナ後の社会、と題してまとめてみました。

2019年の暮れに、中国で未知の感染症が発生したらしいという報道がありました。世界保健機構(WHO)は年明けに、未知の感染症は新型のコロナウィルスによるものだということで、この感染症をCOVID-19と名付けました。新型コロナウィルスは短期間で世界中に蔓延し、各国は手探り状態でCOVID-19対策を始めました。

日本政府も、独自の新型コロナウィルス感染症対策を進めました。外国の対策状況を毎日メディアが報道したので、私たちは彼我の新型コロナウィルス対応の違いを知ることができました。報道される他国の状況と比べると、医療に限らず日本社会の“遅れ”がいろいろな分野で明らかになりました。特に、行政におけるデジタル化の“遅れ”は顕著でした。先進国から日本が滑り落ち始めているような姿が繰り返し報道されたので、日本社会が世界から3周くらい遅れていることは現実味を帯びてきました。 “遅れ”は私たちの実感するところとなったのです。

振り返りますと、日本が高度成長から安定成長へと進む時代の経済を支えてきた中心的存在は「モノつくり」産業でした。輸出の柱である製造業のお陰で円は強くなり、日本のGDPは1968年に世界2位となり2010年までの42年間2位を保ちました。

その間は“日本のモノは高いけれどもいい”という評価が定着していました。当時、日本のモノが高いのは“日本人の人件費が高い”からだといわれたものです。

経済大国になったので円はますます強くなり、バブル経済(1986年)になりました。私たちは異常な経済を経験したのです。社会全体がバブル景気に浮かれていた裏では、製造業が後続国と激しい競争をしていました。後続国が日本の「モノつくり」を習って、より良いものをより安く提供し始めていたからです。

バブル経済の崩壊(1991年)に端を発して金融危機が発生し、90年代の日本は不良債権の処理に明け暮れしました。高度経済成長期に「護送船団方式」といわれ、日本の産業をみんなで一緒に支えた金融業の絶対安全神話は崩れ去って、負債だけが残りました。 “日本経済は21世紀には回復するだろう”という楽観的な予想はありました。しかし、海外発の経済危機の影響もあって、日本経済は回復しませんでした。多くの会社は負債の後片付けに追われて、産業の構造改革もできませんでした。

バブル崩壊以降の日本は失われた10年といわれましたが、今もって日本経済の停滞は続いています。停滞は相対的には遅れとなって、私たちは30年を失ったのです。

日本銀行はデフレを脱出して経済を発展させるために、消費者物価指数の2%上昇を目標にして“異次元”と言われた金融緩和政策を導入しました。金融緩和政策は10年以上続けられましたが、成長しない経済は続いています。日銀が10年以上続けた“異次元”の金融緩和政策による副作用が見えてきました。

日銀総裁は4月から交代しますが、次の一歩をすぐには踏み出せない状況にあります。このままの社会運営が続けば、日本社会の停滞は続いて相対的に世界からますます遅れていくことになります。さらなる“遅れ”は即、先進国脱落を意味します。

2022年2月24日にロシアがウクライナに侵攻しました。侵攻の影響を受けてエネルギーや食料の供給が不安定になり、原材料価格も上昇して輸入価格が高騰しました。輸入価格の上昇は企業者物価に反映し、先進諸国の金利引き上げに伴う為替の円安も影響して消費者物価を上昇させました。消費者物価指数は前年比で4%を越える上昇を記録しています。

戦時下ともいえる2023年の世界経済はますます不確実性を増して、先行きの不透明感はぬぐえません。とはいえ、先進諸国は新型コロナ感染症が蔓延した社会から立ち直りつつあります。近い将来に日本のGDPはドイツに抜かれて4位に落ちることが予想されています。インドのGDPはイギリスを抜いて5位になりました。日本が先進国グループから脱落するときは、もうそこまで来ているのかもしれません。

話は変わりますが、1992年にリオデジャネイロで「環境と開発に関する国連会議」(国連気候変動枠組条約締約国会議、COP)が開催されました。毎年COPは開催されて2022年はエジプトのシャルム・エル・シェイクでCOP27が開催されました。

また、2015年に国連は17項目の持続可能な開発目標(SDGs)を掲げました。SDGsの13番目の目標は気候変動に具体的な対策を求めています。世界各国は目標に沿った具体的な対策行動として、化石燃料の消費を抑えCO2の排出を減らそうとしています。しかし、北(先進諸国)と南(発展途上国)の意見の違いは大きく、地球温暖化に歯止めはかからず、世界中で異常気象が見られるようになっています。

最近の異常に暑い夏や寒さが厳しい冬などの気候と、年間平均気温の上昇は間違いなく地球温暖化の影響といえます。2050年にカーボンゼロを達成したとしても、温暖化が収まるまでには100年かかるという話も聞きます。国としての取り組みは重要な課題ですが、一人ひとりの意識改革も大切です。私たちが未来の子供たちに過剰な負担をかけないためにも、環境保護への意識を高める教育が望まれています。

昔から“親苦、子楽、孫乞食”といいます。戦後の昭和時代は戦争を生き抜いた世代と団塊世代が苦労して先進国の仲間入りをしました。次のX世代は、猛烈に働く団塊世代の後ろ姿を見て育ちましたから、日本がどのように“Japan as Number 1”といわれるようになったのかを体験的に知っています。

Y世代はバブル経済に浮かれる大人たちを見て育ちました。バブルがはじけて一気に生活が苦しくなった時代を経験しました。本来ならば、今頃は中堅として社会を支える世代ですが、現実は就職氷河時の苦労から抜け出せないで、日々の生活に困窮する人が少なくありません。彼らはインターネットが普及する前の最後の世代です。

Z世代は物心ついたときからインターネットのある世界で育ちました。デジタル文化のSNSを駆使して社会へ参加し始めています。Z世代は停滞した日本しか知りません。彼らも決して楽な生活をしているわけではありませんが、あまり将来に希望を持てないでいます。自分ひとりだけでも今の生活を続けることが精一杯なので、よりよい変化は望みようがないようです。

この「組織運営の技術」改訂版(第4部)は「どうする、ニッポン」と題しました。初めに、日本社会が歩んできた道とヨーロッパの先進諸国の歩みを復習します。次に、現在の日本の立ち位置を確認して、私たちが抱えている課題を考察します。考察では“日本はもはや先進国ではない”と意識せざるを得ない状況を検証し、日本社会が停滞している原因を探ります。日本が抱える課題の検討を通して、遅れを取り戻す処方箋を探してみました。日本が再び輝くためには何を、どのように社会に生かす運営をすればいいのか提案しました。

“みんなで一緒に”を掲げて駆け抜けてきた昭和と同じ手法で、現在の遅れを取り戻すことはできません。果たして私たちは令和時代に元気を取り戻せるでしょうか。

 

「どうする、ニッポン」

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