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国産旅客機プロジェクト(Domestic Aircraft)

 国産旅客機の開発に再挑戦することが報道されました。国産旅客機というと、双発ターボプロップエンジンの旅客機YS-11と、開発が中止された双発ジェットのMRJを思い出します。
YS-11は1959年に政府と民間が出資し設立した特殊法人日本航空機製造の製造で、1962年に初飛行し1973年までに182機製造されました。運用は1965年に始まり、国内はもとより世界中で活躍しました。2006年に国内の定期路線は終了し、海上保安庁所属の機体も2011年に退役しました。
特殊法人日本航空機製造は赤字のまま1983年に解散しましたが、YS-11の運用が始まった翌年にはすでに赤字経営が問題となっていたのです。特殊法人日本航空機製造の赤字体質は、営業活動に不慣れであったことや技術偏重の組織に問題があったといわれています。また、寄せ集め人材による甘い経営や公務員の天下りなどによる無責任体質がまん延していたともいわれています。
一方、2008年に事業化を決定したMRJは2011年に初飛行して2013年に航空会社へ納入するというスケジュールと、開発費は約1,500億円という計画で始まりました。事業が始まるとすぐに設計変更が必要なことが明らかとなり、翌2009年に初号機の納入を2014年に変更する一回目の納期延期が発表されました。その後も設計変更は続き三度の納期延期を経て、初飛行は2015年11月に行われました。
計画ではMRJの採算ラインは350機と想定されており、利益確保のためには最低600機の生産が必要としていました。しかし、納期延期で受注は伸びませんでした。受注が伸びない理由は納期延期ばかりではありません。たとえば、100機の契約をしていたアメリカの会社がMRJは「スコープ・クローズ」という労使協定を満足する仕様を満たさないという理由で契約を解消したことがありました。
2020年に六度目の納期延期を発表したとき開発費総額は8,000億円を超えており、事業化総額は一兆円を超えるとの見通しが報じられました。当時の受注は300~400機で、投資を回収するためには1,500機の販売が必要といわれていました。
MRJの開発を中止した理由として、安全認証(形式証明)取得についての理解不足があげられています。約300万個といわれる部品のうち海外事業者からの調達に不慣れだったことや、六回も納期を延期した間に市場環境が変化してしまったこと、政府の支援が足らなかったことなどもあげられています。
 機体は製造できましたが「モノつくり」以外の要素で開発中止を余儀なくされたといえます。その原因として、技術者たちが「モノつくり」の技術を笠に着て、謙虚さに欠けていたという見方があります。技術者たちは「モノつくり」の技術を誇って、ハードの技術だけが独り歩きしていたようです。YS-11のときも同じように飛行機は作りましたが、それ以外の状況に対処できていませんでした。
「モノつくり」のハードの技術は「コトの営み」というソフトの技術があって初めて発揮できるものです。プロジェクトを成功させるためには、両技術が車の両輪のように対等に回ることが不可欠なのです。YS-11もMRJもハードの技術だけの片肺飛行ともいえる状態だったために、YS-11は会社の赤字体質の是正ができず解散に、MRJは開発の中止に追い込まれたといえます。YS-11もMRJも「モノつくり」と「コトの営み」の技術がシンクロされておらず、組織の運営面でつまずいたことは明らかです。
なぜ多くの組織でハードの技術がソフトの技術に優先しているのかは、明治時代の近代化の過程に原因があったようです。
明治維新を成し遂げて権力を握った明治政府は、欧米先進諸国を回って近代化の必要性を痛感しました。当時の喫緊の課題は、徳川時代に先進諸国と結んだ不平等条約の改正でした。欧米先進諸国と条約改正について対等に交渉するためには、日本が一流国にならなければならないことを思い知らされたのです。欧米先進諸国と肩を並べるために必要な近代化とは、産業を興し強い軍隊を持つことだと理解し「殖産興業」と「富国強兵」をスローガンに一流国をめざしたのです。
 明治政府は国の運営手法についても視察しましたが、欧米先進諸国の運営手法は日本の伝統的な「力」による運営とはあまりにも違いすぎるとも感じました。明治政府は「廃藩置県」によって中央集権を確立していましたから、幕藩時代の「力」と「民はこれを由らしむべく、これを知らしむべからず」を基本とする運営が馴染みやすかったといえます。日本の組織運営における根本思想です。現在も多くの組織で「モノつくり」のハードの技術が重視されて、組織を運営する「コトの営み」のソフトの技術が旧態依然としたままなのは、明治時代の近代化政策に原因があったのです。
 どのような組織で国産旅客機の開発に取り組むかはわかりませんが、YS-11やMRJの経験を踏まえてハードの技術とソフトの技術がシンクロするようにしなければなりません。プロジェクトの参加予定者は、両方の技術をシンクロさせるためにハードの技術と同様に組織運営というソフトの技術を習得する必要があります。ハードの技術の進歩は重要ですが、ソフトの技術を進化させることも大切です。

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