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【第0夜】空想商店よるべの成分①

    はじめまして、空想商店よるべと申します。
    初回である今回と次回は第0夜と題し、店主の自己紹介とnoteを始めることにしたいきさつ、そして当店のコンセプトをお伝えしたいと思います。現代ではめずらしいノンSNS20代ですが、持ち前の好奇心と精一杯の語彙力を結集させて挑戦してまいりたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします!

はじまりは8歳の夏
   
わたしは東京のとある離島に就職して2年目の24歳女子である。「東京の離島」、「新卒で島就職」、「女性単身で移住」となれば、さぞかし志の高い人間なのでは…?と思われるかもしれない。しかし当人からするとこの流れは必然であったというか、気づいたときには流れ着いていた、という方がしっくり来る。

    わたしが東京の島と縁を結んだのは今から14年前、小学2年生の夏のことだった。我が家の夏の行事といえば海。東京23区の端っこに住むわたしたちは毎年千葉の海に赴き、早朝の車内で食べるたまごサンドや漁師町の朝市の喧騒、ほっかほっか亭のハンバーグ弁当、地元の甘味処のにぎやかなおばちゃんで夏を感じていた。

    そんな家族行事の転機となったのが、東京の離島への旅行だった。伯母の同級生に東京の島出身かつお母さんの実家が民宿という方がおり、その方の帰省にわたしたち家族も便乗させてもらうことになったのだ。

 船に乗ってたどり着いたその場所は、強烈な輝きを放つまさに楽園だった。海の青さ、緑の濃さ、空の広さ、星の数、魚の味、島民の言葉と醸す人間味、どこをとってもカルチャーショックの数日間。それまでの「海へ行く」という家族行事はどちらかというと海以外の、移動そのものや食べ物が主役だった。しかし島ではみずみずしい自然そのものが絶対的な主役として君臨していた。この体験を機にわたしたちは勝浦の海を海と認識できなくなってしまい、そこから夏の家族旅行の行き先はこの島一択となった。

    姉やわたしの部活動や受験の都合で毎度全員でとは行かなかったが、個人としては計6回家族と一緒に島を訪れて夏のひとときを過ごした。その経験は相当わたしの琴線に触れていたようで、当時の風景―船と並走する無数のトビウオ、かき氷か何かを食べながらみんなで見た夕焼け、夜の桟橋で見た人生初の流れ星など―は今も鮮明に思い出すことができる。こうしてわたしは、まず旅行者として東京の島と関わることとなった。

(次回に続く・・・)

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