なぜ『生きる』ことを強いるのか

世の中には『自分は生きている必要があるのか』と悩む人達が大勢いる。

僕もその1人だ。

少し前は死にたい気持ちがあった。

自分の無力さ故。人望の無さ故。成功体験の少なさ故。

今は別に死にたいとまでは思っていない。

かと言って強く生きたいとも思っていない。

ただ身体が生きているだけ。


「若いんだからどうとでもなるだろ頑張れよ」


なんて無責任な言葉なんだ。

これ以上なにをどう頑張れというのか。

頑張ったって、得られるものはたかが知れている。

他にもっとできる人間がいるんだから、僕は必要ないじゃないか。

僕である必要ないじゃないか。

家族にも、社会にも、僕は必要ない。

だが皆口を揃えて言う。


『死ぬな』『死は逃げることだ』『生きろ』と。


酷な話だ。なにもできない人間に容赦なくただ漠然と『生きろ』と言ってくるのは。

僕みたいな人間にこの社会で生きろということは、実質『死ね』と言っているようなものだ。

しかも死ぬよりもっと難しい。


『身が朽ちるまで生き地獄を味わえ』と言っているように僕は聞こえる。


腹立たしい。

理不尽だ。

人は平等ではない。

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