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マツタキなる人々を訪ねて④インターネットを囲炉裏に見立て、松崎の語り部。




松本晴雄さん

松本晴雄さんは1936年松崎生まれ。
4月に82歳を迎えた。

「半日百姓」の現在、
もう半日はデジカメ片手に自転車で松崎中を巡り、
町の変化を追い続け、記録し続けている。

そのニュースが発信されるのは、Facebookだ。

Facebookの友人は約3000人、
1日の投稿数は、
他の投稿のシェアも含めて10件以上にのぼることも。

松本さんの「記録と発信」は、
「囲炉裏端(いろりべ)」の名で2001年に開設し、
現在も更新中のホームページ、
その前は10年間のミニコミ誌「ほっとらいん」「ほっといず」の編集発行と、
ライフワークとして人生に刻み込まれているものだ。

その人生のほとんどを松崎で過ごし、
日々の松崎の出来事や人たちを追ってきた、
松本さん自体が松崎の生き字引である。




十勝の拓聖・依田勉三、琵琶湖運河計画・偽勅使事件・小沢一仙など、
松崎に関わる人物研究をライフワークとして行い、
その成果を出版、自身のホームページにも掲載している。

ホームページは、伊豆の長八の年譜や松崎の神社仏閣の概要など、
松崎に関する文化的な資料は全てあるのではないかと思うほどの、
充実したポータルサイトだ。

これらの情報の発信を行なっていることで、
全国から問い合わせがあり、
研究者や編集者などとの交流も盛んだと言う。

伊豆のことを調べていて、
知らぬ間に「囲炉裏端」にたどり着いて情報を得ていた人も多い。


書くことの喜びとの出会いは、中学時代。

無口で気が弱かった晴雄少年は、
歌人としても有名な校長の須田昌平先生が「もう少し心臓(度胸)が強かったら、
弁論大会に出してやりたいが……」と言っていたことを聞き、
劣等感を「文章ならば書くことができる」と書く力に変えた。

中学卒業後、
東京、沼津の印刷会社に勤めたのち、
松崎の文寿堂印刷所に入社し、結婚。
以後現在まで、
松崎をベースに、仕事とは別に取材や執筆、編集活動を続けてきた。

ホームページの作り方も自身で勉強し、日々更新している。



昔はどの家にも囲炉裏があり、
それを囲み、心を向き合わせて話をしていた。

松本さんはこう言う。
「家族、近所の人、見知らぬ人も寄り集まって、毎日少しでも話をする、それがコミュニティで、社会から溢れていく人を無くすのだ」と。
「囲炉裏端」にはそんな思いが込められている。
また、「受け取るだけではだめ。勉強し、発信しないと退化する」とも。

松本さんを通じて発信される松崎の日々には、松崎を愛し、
心のつながりを大切にする松本さんに思いが込められている。

ぜひ、松本さんとFacebookで繋がり、
今日の松崎、今日の伊豆を感じ取ってほしい。




松本さんのホームページ「囲炉裏端」 (Facebookページもリンク先にあります)

内容は、2018年5月現在の情報です。
また、松本晴雄さんは、
令和3年10月12日に永眠されました。
心よりご冥福をお祈りいたします。

聞き手 : 住麻紀
撮影 : 行貝チヱ

(松崎町「絲」concept webサイトより転載)

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