Vtuber界の「嘘」の話
さて、最初に何を書くべきか。
まずは何故ワシがこの界隈に執着するのか。その理由の一つを語ろう。
Vtuber界の「嘘」の話。
Vtuber界隈は、どこもかしこも嘘つきばかり。
誰も彼もが口を揃えて嘘をつく。
そして、ワシはそんな嘘が大好きじゃ。
無論、人を傷つける嘘や他を害する無責任な嘘など見たくもない。
ワシが好きなのは責任を伴う嘘。
口にしたからには「真実」にする、しようとする。
そんな強い意思を持った嘘じゃ。
自らに課す嘘、あるいは「誓い」とも言えるかもしれんな。
本心。本音。本当の話。
実際、これらの事で感心することはあっても、熱中する事はまず少ない。
ワシの経験では、むしろ興ざめさせられる事の方が多かった気もするな。
当然といえば当然とも言える。
「本当の話」というのは、得てして「当たり前の話」でもあるのだから。
真実がいつも一つなら、嘘は八百。まさに選り取り見取りじゃな。
世の中を面白くするのはいつだって嘘八百。
エンターテイメントの本質は「嘘」である。
とワシは勝手に思っとる。
舞台の上で嘘をついたものが演劇と呼ばれ、
紙の上に文字や絵で嘘を書いたものが文学、漫画。
映像を嘘で彩れば映画、ドラマ、アニメと多岐にわたる。
一々「ノンフィクション作品だってある」など興ざめな指摘はしてくれるなよ。
それらだって見せ方や演出などに多分に嘘を含んでいる事を忘れてはいかん。
そしてそれらを「真実」に見せよう、近づけようとする熱量こそが、
ワシらを芯から夢中にさせてくれる。
Vtuberという業界は、本当にどこもかしこも嘘ばかり。
ある者は、ありもしないものを「ある」と言い、
ある者は、真顔で荒唐無稽な夢物語を語り、
ある者は、どんなに辛くとも笑顔を絶やさない。
嘘つきとは元来、孤独なものである。
嘘とは多勢と共有するものではないし、できるものではない。
本当のことを洗いざらい衆目の前で白状できればどれほど楽なものか。
しかしそれでもなお、Vtuberは「嘘」を抱え込む。
ましてや、それが「人を楽しませる嘘、喜ばせる為の嘘」であるならば。
そんなものを内に秘めて溜め込む連中が、
なおのこと、光り輝いて見えぬはずがない。
Vtuber界隈は見渡す限り、嘘つきばかり。
誰も彼もが口を揃えて嘘をつく。
まさに輝く星々が彩る満天の星空じゃよ。
これに魅せられぬはずがないじゃろ。
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