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「仮想舟上饗宴歌」制作当時を振り返ってみる

・「仮想舟上饗宴歌」とは何か?

始めるに至って、まず知らない方が多いと思うので最初に少し解説させて頂く。

「仮想舟上饗宴歌」とは、以前にワシがVtuber界隈を想い、
そこで見てきたもの、感じたものを可能な限りに詰め込んで作った自作曲である。

「仮想舟上饗宴歌」
https://www.youtube.com/watch?v=A36CcXQvCN8

平たく噛み砕いて言えば、
当時、活動していたVtuberさんの名前やその活動内容、
あるいはそれにちなんだ名称などなど、
それらをごちゃ混ぜにして、一つの歌詞として落とし込んだ曲である。

その歌詞の謎解きについて今更に語るつもりはない。
聞いた人が聞いたまま、その答えを導き出してくれれば良い。
幸福なことに内容を読み解いて記事にしてくれた方もいらっしゃったので、
もし興味を持っていただけたなら、そちらに目を通してみるのも面白いと思う。
記事は「仮想舟上饗宴歌」で検索すれば、すぐに見つかるじゃろ。

さて、そんな曲を発表したのが昨年の8月末頃。
つまり、ちょうど今から一年ほど前になる。
月日が流れる早さに驚きつつ、
徐々に当時の記憶もおぼろげになっていく実感がある。

このまま忘れていくのも風流かと思う一方で、
当時の七転八倒を思い返していく内、
あの頃の奮闘を少し名残惜しくも感じられるようになってきた。

かくして逡巡の末、ワシは今回の記事の執筆を決心した。
この一周年の機会に恥を晒す思いで、
思い出せる限りの当時の話を書いてみようと思う。
そんな訳だから非常に取り留めもない、長い話になる。
それでも良い、という酔狂な方のみ、話に付き合って欲しい。

さてさて、制作当時のクソだるま君。
あの頃を振り返り、どんな状態であったかと言うと、

毎晩、悪夢にうなされ、完全に神経衰弱状態で幽霊のようじゃった。

無論、最初からそんな状態であったはずがない。
では何故、そんな有様になったのか。
順を追って話していきたい。

・制作に至るまでの経緯

ご存知の方はご存知と思うが、こうした曲を作るのは初めての経験ではなかった。
現在、活動の主軸となっているVtuber News報道局が設立される以前。
既に同チャンネルにて同様の趣旨の曲を一つ発表していた。

バーチャルYouTuber148人をモチーフにラップしてみた/絆がつないだ愛の舞台
https://www.youtube.com/watch?v=P6jn7zKVVAY

絆がつないだ愛の舞台」という曲は、
これもまた当時の界隈で活躍するVtuberさん達の名称などをまとめ、
次々と舞台に上がっていくVtuberを称える歌として、
約148人のVtuberさんが登場する内容となった。

ラップを聴いた事はあっても作曲の経験など微塵もなかった自分が、
それまでPC内に眠っていながら完全に無視していた標準付属の音楽制作ソフト、
GarageBandを立ち上げる事になったのもまた、
Vtuberという存在によって、「作曲」という分野に興味を持ったからである。

Vtuberの瀬戸あさひ氏が発表したラップ、
バーチャルYouTuberでラップしてみた」で言葉遊びの面白さを体感し、
同様の曲を作ってみたくなったのが事の発端。

しかし、いかんせん何から手をつけていいものか分からない。
迷っている時に手がかりとなったのもまたVtuber。
作曲系Vtuberのミディ氏が投稿していた作曲講座を基盤に、
この歳になって久々に門前の坊主のような気持ちになって学ばせて頂いた。

そうして完成した「絆がつないだ愛の舞台」は、
当時、ただ一人のVtuberファンによるファン作品として公開された。

そこから紆余曲折を経て、Vtuberが生まれる時代を称える歌を作ったワシ自身が、
のちにVtuber News報道局を開設し、そのVtuberとなってしまったのも、
なんとも不思議な話のようにも感じるな。

さて、そんな「絆がつないだ愛の舞台」の作曲作業は、
ほぼ二週間にも満たない期間で終了した。
この曲はGarageBand付属だったループ素材を組み合わせただけのものなので、
作曲、と言ってしまっていいのか少々疑問ではあるが、
ともあれ、この経験によって大まかな制作手順を理解した。
そして、この誤った認識が、後々の見通しの甘さを招くのである。

・どのようにして今の形になっていったのか?

3月に「絆がつないだ愛の舞台」の制作が終了し、
Vtuber News報道局を立ち上げてからほどなく。
また同様の曲を今度はループ素材に頼らず、一から作ってみたいと考えた。

当初は漠然とした「祭り」のイメージに、
長くても2、3分程度の曲を想定していたに過ぎなかった。
界隈のニュースを追うかたわら、
記憶に残ったVtuberさんの名前を書き留め、その特徴をリスト化していく。

Vtuberのカンブリア大爆発とも形容すべき時期の話である。
魅力的なVtuberが続々と世に出て、リストの名前は日増しに増えていく。
手探りで作曲を続けながら、界隈の急激な膨張に何か危険な予感を覚えつつ、
しかしこの頃は当初の予定通りに何事もなく時間は過ぎていった。

2018年晩春。
Vtuber激動の時代にあって、この頃、界隈に一つの大きな変化が起き始めていた。

ENTUM
アイドル部
upd8(正確にはバーチャルタレント活動支援プロジェクト)
ホロライブ(本格始動は6月に入ってから)
など、のちに「箱」と呼ばれるVtuber企業によるグループの急増である。

当時、ワシが認識していたVtuberのグループの多くは、
にじさんじ、岩本町芸能社、バーチャライズなどの常設グループを除けば、
個人勢のコラボによる突発的なグループがほとんどだったように記憶している。

この大きな流れを横目で見ながら、一つの着想が形を成していく。

前作「絆がつないだ愛の舞台」でも好評だった、
にじさんじパートで一期生の名称をひとまとめにした繋がりを、
今度は曲全体で表現できないだろうか。
そうしたつながりを強く意識する事で、
Vtuber界隈全体を一つのお祭りとして描けるのではないか。

かくしてサビではグループを、それ以外では個々を意識した歌詞。
「仮想舟上饗宴歌」の背骨と言うべき形状が出来上がっていった。

・歌詞の作り方

何度か褒めてもらって有頂天になったものだが、
実はどうしようもない力技によって制作されていた事をここに明かす。

例えば「クソだるま」という名前があったとして、
その前後に五十音をひたすら当てていく、というのがもっぱらの作詞方法だった。

「あくそだるま」「いくそだるま」「うくそだるま」.....。
これをひたすら繰り返し、単語になる言葉が見つからなければ、
今度は「くそだるまあ」「くそだるまい」「くそだるまう」....と続けていく。
それでも見つからなければ「ああくそだるま」「あいくそだるま」....と続け、
単語として成立するものが導き出されるまで、これを延々と繰り返す。

もちろんこんな事だけやっているわけにもいかないので日常の合間、
移動中、食事中、トイレ中などなど、余暇の全てはこの念仏作業に当てられた。

才能なんて上等なものはいらない。
根気さえあれば誰でもできる作業である。
ただし、絶対にオススメはしない。

少し話は飛んで後日、全ての作業を終えて平穏を取り戻した頃の話になるが、
ワシは時間が取れずに積んでいた漫画「ゴールデンカムイ」を読んでいた。
その作中のセリフが、ふとワシの目に止まった。

「暗号解読の歴史は解読者を脳病院(精神病院)送りにしてきた歴史でもある」

本来ならば気に留めるようなセリフではないのかもしれないが、
このセリフを読んでワシの頭に真っ先に思い浮かんだのが、
「仮想舟上饗宴歌」じゃった。

当時としては何の疑問も持たず、文字をこねくり回す楽しさに没頭していたが、
今になって当時を振り返ってみると、
この作詞作業は確実にワシの精神を蝕んでいったように思う。

・どのようにして狂っていったのか?

まず大前提として、制作作業は非常に楽しいものじゃった。
しかしやはり、どこか無理がある工程であった感は否めない。

2018年夏。
折しもこの夏は記録的な暑さが猛威を振るった年でもあった。
これによって大幅に体力も削られ、帰宅する頃には意識が朦朧とし、
冷えた麦茶を飲み干して、ようやく人心地ついたものだった。

加えて、活動の主体だったVtuber News報道局が、
この時期から目に見えて多忙になっていた。
開局当初は今にしてみれば信じられないほど界隈は静かじゃったが、
徐々にVtuberのメディア進出が増え、ニュース量は今もなお増え続けている。
ありがたい事に掲載希望という形のプレスリリースも、
Vtuber News報道局宛に幾つか頂けるようになり、
いよいよ身を入れてニュース番組を製作していくようになった。

そうしていく内に必然、時間が足りなくなってくる。
足りない時間はどうすればいいか?
そんなものは決まっとる。
古今変わらず、時間が不足すれば睡眠時間を削るのが世の常。
かくして根を詰めた作業に加え、慢性的な睡眠不足の状態が続いた。

さらに作業を続けていく内、一つの問題が表面化してきた。
絶えず変化を続けるVtuber界隈によって大幅に予定が狂ってきたのである。

「仮想舟上饗宴歌」を聞いてもらえれば分かるように、
あの曲の構成は全てパズルのような組み合わせによって形成されている。
例えばAさんとBさんに繋がりがあればそれを連続させ、
あるいは様々な共通点を見出し、一つの流れとして繋げていく。

だが当初こそ順風満帆であったが、この方法には致命的な問題があった。

致命的な問題。
それは、既に出来上がったはずのパズルが時間と共に変化することにあった。
一人のVtuberの立ち位置は絶えず変化していくのである。

とある個人があるグループに参画を果たす。
或いはグループから抜け、改めて個人として活動する。
もしくはグループそのものが消えて無くなる。

こうしたVtuber界隈では見慣れたニュースも、
「仮想舟上饗宴歌」というパズルを組み上げる上では、
まこと困った次第に成り果てた。

既に完成し、組み上がっていたはずのパズルが、
ある日突然、別の形に変わってバラバラになってしまう。
数日の間、ブツブツ念仏を唱え続けてようやく出来上がったものが、
翌日には意味のない文字の塊になってしまうのである。

こうなると「まるで風に飛ばされる砂絵のようじゃな」と、
一人自虐して高笑いをしてから、大きく溜め息をつくのが常じゃった。
なまじニュースを追っている立場上、
最新の界隈の変化を真っ先に見つめる事になるのも実に皮肉と言えた。

古い拷問の一種に、囚人に意味のない穴を掘らせ、
そしてその穴を埋めるという作業を延々繰り返させる、というものがある。
屈強な兵士ですら、これをやられると一ヶ月も持たずに発狂するのだと云う。
あるいは、その効能を、この身を以て体感したのかもしれん。

おそらくこの頃から神経衰弱のきらいがあったように思う。
具体的に加害妄想が酷くなっていった。

・人間はちゃんと休まないとロクな事を考えなくなると云う実例

この頃、動画で画像を使用させて頂くにあたり、
各Vtuberさんの規約を読み漁り、
使用の際には連絡が欲しい、と書かれている方に宛てて、
使用許諾を求める連絡を行って回っていた。

ほとんどの方が気さくにOKの返事をくれる中で、
当然ながらNGの返答もいくつか頂いた。

それ自体はしょうがない。
しかし、心身ともに衰弱していると、実にろくでもない発想を始めるものである。
「これまでOKをくれた方々も、本当は迷惑だったのではないか」
そんな邪推を始めるようになってしまっていた。

一人の自己満足によって制作される楽曲に、
人様を巻き込んで手を煩わせる事に一抹の罪悪感を覚えるようになっていた。
ここまではあるいは一面では事実だったのかも知れん。
だが、やはり当時のワシの頭はどうにかなっていた。

そこから妄想が飛躍し、
「仮想舟上饗宴歌」を世に出した時に起きると思われる、
諸々の問題まで考えるようになってしまっていた。

ようやく曲自体は完成したが、当初は2、3分で終わるはずの曲が、
膨張していくリストに合わせて7分を超える長い曲になってしまっていた。
しかし、それでもやはりどうやっても入り切らない。
最終的に制作したVtuberリストからは100人以上の余りを出してしまった。

「○○さんが入っていない」
こうした批判がファンから、あるいはVtuberさん本人から出た場合はどうなるか。
実際、ファンが制作したVtuber集合絵などに自身が入っていない事に不満を表明するVtuberさんを何度か目にした事があった。
その気持ちも理解できないではなかった。

そうした状況に孤独感を覚え、追い詰められた挙句、引退。
などという事態になった場合、ファンに対してワシはどう責任を取ればいいのか。
そうなった時はチャンネルを閉鎖し、責任を取って自分も引退すべきではないか。
終いにはそんな事まで考えるようになっていた。

この他にも曲内で扱うVtuberさんの名称、情報が合っているかどうか。
動画内に使用する画像を間違えたりしてはいないか。
不安の種には枚挙に暇がなかった。

こうした不安がわずかな睡眠時間にすら悪影響を及ぼすようになり、
もはや内容までは細かく覚えていないが、
「仮想舟上饗宴歌」公開後、炎上して謝罪を続ける夢を幾度となく見た。
覚えている範囲であれば、枕が2回ほど濡れていた。

…………改めて文章にしてみると、本当に呆れるほかない。
アホじゃな、こいつ。

・破綻を迎えず、支えとなったもの

かくして曲の完成が近づくと共に、
大馬鹿たれの心身は一人で勝手に限界に近づいていた。

途中、何度か制作の中止を考えながら、
それでも折れずに完成までこぎつけられたのは何故か。

もちろん折角作ったのだからみんなに見て欲しい、と言う思いも依然強い。
しかし、もし、ワシ一人がこっそりと誰とも関わらず、
この曲を作っていたのであれば、おそらくは折れていた。

奇しくも迷惑をかけない為に各Vtuberさんに連絡を取った事が、
ギリギリの一線を保っていたように思う。
一種の責任感のようなものを感じていたのも偽らざる本音であるが、
画像使用に許可を下さった方々からの返信の中には、
いくつか応援の言葉も添えられていた。

社交辞令と言えばそれまで。
しかし思い思いの言葉に励まされていたのも事実である。

私信である故、その内容をここで明かす訳にはいかないが、
突如、見知らぬ相手から送られてきた胡散臭い申し出に、
許可を下さったばかりか、温かい言葉を掛けてくれた皆様には感謝の心しかない。
この場でも改めて御礼申し上げる。

・絶対に伝わらない部分の解説

あまりにも愚痴ばかり続いても申し訳ない気がしてきたので、
ここでワシだけにしか伝わらない部分の解説をしたいと思う。
歌詞の解説は無粋、としながらも前言を翻すがどうか容赦して欲しい。

「仮想舟上饗宴歌」は実に多くのVtuber関係から得た着想で成り立っている。
このタイトルにしても実に二転三転してから今の形に落ち着いたのだが、
言わずもがな、そこにもVtuberが関連している。

まず前述の通り、イメージにあったのは「終わらない祭り」であった。
ちょうど夏に公開する予定ではあったし、祭囃子はこの季節に一致する。
しかしあくまで朧げな像に過ぎず、タイトル案はあてもなく迷走した。

そんな折、目にしたのが、
バーチャル劇団まぼろし座の第一回公演「電子の大海」

果てのない海の物語は、ちょうど考えていたイメージにバッチリと嵌った。

Vtuberが思い思いの形の船に乗り、電子の海を行く姿が見えた気がした。
それぞれの舟では賑やかに祭騒ぎを起こしながら好き放題に歌い、
時に舟同士が出会い、別れ、果てのない海のあちこちからは楽しげな声が響く。

「仮想」までは決まっていた。
そこに「舟」「饗宴」「歌」が降ってきた。
「舟上」を「センジョウ」とし、「線上」「戦場」「煽情」と掛けた。
かくして表題「仮想舟上饗宴歌」が瞬く間に完成した。

もちろん歌詞の部分にも多くの影響を受けたのだが、全ては思い出せない。
なので今、思い出せる範囲のみを語るとしよう。

聡明な諸君はすでにお気付きの事と思うが、
サビのパートには「花鳥風月」の文字を潜ませている。

恵あり清ます を咲かそうが     
天まで届く そのの高度だ
微酔い夜空 息吹もの香   
人見に持参 自慢のお

これは当時見かけたVtuberファンのある呟きが元になっていて、
残念ながら該当するツイートを見つけることが出来なかったので、
記憶のみで適当な引用させて頂くが、確か、
Vtuberを追うようになって季節の行事や変化を気に留めるようになった。
 これまで見落としていた花鳥風月を楽しめるようになった

と言うような内容だったと記憶している。

そして、このファンは重度のそらとも(ときのそらファン)であった。
故にホロライブのパートは春夏秋冬を意識した内容となっている。

続いてこれまたサビの部分。

暴れ 内部から この身ここに

こちらはVtuber関連の考察が元ネタになっている。

Vtuberの魂を「中の人」と表現する場合があるが、
本人が望んでその姿をしている場合は逆なのではないか。
精神の内部にあった本来の姿が外面に現れるようになっただけ。
つまり、中の人こそ外の人であり、外の人こそが中の人だったのだ。

という考察だったと記憶している。
これまたTwitterでの誰かの呟きだったはずなのだが、
残念ながら見つからなかったので大まかな概要のみで申し訳ない。

いかんせんワシは記憶力が良い方ではない。
他にも色々と仕込んだ記憶があるのだが、
残念ながら今のところ、思い出せるのはこれくらいである。

・公開に向けてのラストスパート

さてさて、話を当時に戻して、
瀕死のゾンビのような有様で制作を続けていた状況だったが、
ようやく一つの光明が見え始めていた。

長らく作っては崩れ、崩れては作ってを繰り返していた歌詞が、
ようやく完成に至ったのである。

完成した。
にわかには信じ難くもあったが、何とか大きな破綻なく一つに収まったのである。

ただし、喜んでばかりもいられなかった。
完成はした。
しかし、その完成図が明日に崩壊しないという保証はどこにもないのである。

急いで歌の収録を始めたのだが、ここでも一つの問題が発生した。
曲が長くなりすぎたせいで曲の雰囲気が全体的に起伏に乏しくなっていたのだ。
技量があればパートごとに歌い回しを変えたりも出来るのだろうが、
無い袖は振れない。そんな器用な真似はできない。
出来ないものはいきなり出来るようになったりしないのである。

どうしたものかと頭を抱えた。
そこでふと、以前視聴させてもらったある配信が思い出した。
ミディさんと樋口楓さんのコラボ配信の一幕で、
ちょうど声にエフェクトをかけて変化をつける方法が紹介されていたのだ。

これだ。
と飛びついてみたものの、エフェクターというものは非常に種類が多く、
ドがつく初心者のワシにはどれも区別が付かなかった。
端から端まで試してみればいつか答えが見つかるかもしれない。
だが、そんな猶予は残されてはいなかった。

頭を抱えたワシはもはやすがる思いでYouTubeで検索をかけた。
困った時はVtuber。
この様々なVtuberが大量発生したカンブリア紀に、
エフェクターを解説してくれるVtuberがきっといるはず。

いた。
いてくれた。

エフェクター解説動画などの活動を行なっておられるVtuber、
樫野創音さんである。
ワシは小躍りして氏の動画を視聴させていただいた。

そうして「キズナアイ面接をエフェクターで聴く」などを参考に、
何度か調整を繰り返して現在の形に落ち着いた。

何はともあれ、ようやく「仮想舟上饗宴歌」が曲として完成したのである。

ここからは完全に時間との勝負じゃった。
いずれ崩れ落ちる砂の楼閣を足場に、
ここまでに用意しておいた動画素材を急いで組み上げて行った。

当時のワシは動画編集をimovieで行なっていたので、
たった2枚のレイヤーで動画を制作せねばならなかった。

最終的にのべ406名に及ぶVtuberさんの札を、
それぞれの位置関係も考えながら歌詞の順番に配置し、
一つずつ一つずつ細心に画像編集ソフトを使って出力した。
そうして出来上がった一枚の画像をタイミングに合わせ切り替えていく。

この作業自体、実はあまり記憶にない。
異常に集中していたのか。
それとももはや意識を保っていられないほど憔悴していたのか。
おそらく両方なのだろう。

かくして無様な七転八倒の末、
動画「仮想舟上饗宴歌」が出来上がった。

・それから

公開後、炎上すら懸念し、最悪引退すらも考えた「仮想舟上饗宴歌」は、
思いがけず、様々な人々から反応をもらった。

事前に許可をいただいた方々はもちろんの事、
本当に様々な方に視聴してもらい、感想を頂くことになった。
幸いにも炎上する事もなく、どれも好意的な意見ばかりであった。
ご視聴ありがとうございました、というのは真実、偽らざる気持ちである。

そんな歓喜の日々も瞬く間に流れ、
MoguraVRにてたまごまごさんの記事に取り上げて頂けたり、
年末に行われた「V紅白歌合戦」のピックアップでは二番手の栄に浴した。

全て終わってしまえば良い思い出。
と締めくくるにはあまりに見苦しい有様ではあったが、
改めて創作の醍醐味というものを味わわせて頂いた。

その喜びが狂気の先にしかないと言うのであれば、
またいつか狂ってみるのも面白いかもしれん。


最後に。
「仮想舟上饗宴歌」の説明文にワシはこんな言葉を入れた。

1日でも長くこのお祭りのような日々が続きますよう。

あれからVtuber界隈は拡大の一途をたどり、
本当にいろんな出来事が起きた。

そんな折、久しぶりに「仮想舟上饗宴歌」の感想を読み漁った時、
気になる感想を一つ目にした。
この説明文に対して、投げかけられた言葉は以下のようなものだった。

「今も祭りは続いているのだろうか」

おそらく様々な不安や急激な変化への戸惑いから発せられた言葉だと思う。
これに答えるべきは、ワシしかおるまい。
故に最後はこんな言葉で締めくくろう。

「今も絶えず、祭りのような日々は続いている」

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