キリンの子
昨日、いや、正確には一昨日の夜。たまたまテレビのスイッチを入れると、歌人の鳥居さんが出演していた。鳥居は、姓でも名前でもなく、鳥居さんで彼女全体だ。「全体」という言い方は、なんかヘンだけれど。
番組はドキュメンタリー風ではあるけれど、広い意味でのバラエティ番組だ。数名のゲストがスタジオに招かれ、再現VTRとともに、自分のこれまでの人生を振り返る。番組のテーマは「逆転」。苦境のどん底から這い上がり、いかにして私は今の成功を手にしたか。
正直に言うと、この手の番組はあまり好きじゃない。人の成功談を聞いても、それを実践したとしても、同じような結果になるとはかぎらない。たとえて言うなら、ファッション雑誌で感じの良いシャツを見つけたところで、それが自分に似合うかどうかは別問題だ。
なぜ、チャンネルを変えなかったのか。それは、鳥居さんが歌人で、初めて出版した歌集『キリンの子』が爆発的に売れ、増刷が間に合わないと番組で紹介されていたから。僕は短歌の門外漢だけれど、短歌を読むのは好きだ。
彼女の生い立ちについて触れておこう。
幼い頃の両親の離婚。小学校時代のいじめ。母親の自死。預けられた養護施設で教諭から「ゴミ以下の人間」「自殺するなら遺書を書け」と罵られたこと。職員や施設の子どもたちによる虐待と暴力。やがて、たったひとりの肉親だった祖母もこの世を去り、彼女は、正真正銘の天涯孤独になる。そして、住む場所も失いホームレスへ。行き場のなくなった彼女は、新聞を拾い集めては「コラム」を切り抜き、それを大切にリュックに保管していた。そこには、一日一語、「ことば」にまつわるさまざまなエピソードが綴られていた。コラムから彼女は語句を学び、言葉の力に引き寄せられてゆく。
彼女の成功に三人の歌人が関係している。コラムの筆者。はじめて図書館で手にした歌集の作者。そして「君は短歌を詠みなさい」と助言した歌人。好きな短歌をノートに書き写し、読めない漢字があったら辞書を引きルビをふった。やがて彼女は才能を開花させる。応募した短歌が約3000首の中から佳作に選ばれ、ウェブに発表していた歌は、徐々にファンを増やしていった。
番組で印象的だった言葉がある。「自分は生きていていいんだ」「私のような人間でも誰かの役に立つ」。手垢のついた言葉かもしれない。けれども、「死ね」「ゴミ以下」と罵られ続けた人間のそれは、重さが違う。今も、彼女がどこかで歌を作り続けているだろう。そのことを想像するたびに、ぼくは勇気をもらう。言葉の力を信じようと思う。キリンの子でいたいと思う。(2016年5月記)
目を伏せて空に伸びゆくキリンの子 月の光はかあさんの色 鳥居