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三宅 教道「開かれた場の力」

1.喪失との向き合い方

新型コロナウイルスの感染拡大が続くなか、国内外の死者は増加の一途をたどっている。

コロナ禍は、人々の死に際の光景を一変させた。

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三密を避けるために葬儀や法事は簡素化され、大切な人を失った哀しみを癒やすことは、ますます難しくなっているようだ。

そうしたなかで、一般社団法人リヴオンが発行する『コロナ下で死別を経験したあなたへ』という書籍が話題になっている。

死別の臨床現場にいる医療従事者や僧侶に向けて、必要な情報とセルフケアの方法などが掲載されたこの本は、クラウドファンディングで資金を集め、遺族などに1万冊が無料配布される予定になっている。

この本の制作にも協力し、愛知県名古屋市昭和区の隨喜山 教西寺」(ずいきざん きょうさいじ)で住職を務めているのが、三宅教道(みやけ・きょうどう)さんだ。

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三宅さんは、教西寺の住職としてお盆や法事など先代から行われてきたお寺の儀式的なことを丁寧に行うことはもちろん、子ども向けに法話を説いたり様々なイベントを開催したりと従来の寺院のイメージを一新するような活動を続けている。


2.お寺に生まれて

三宅さんは、1973年に3人兄妹の長男としてこの寺で生まれた。

小さい頃は引っ込み思案で、自己評価が低く、どこか自分のことが好きになれない子どもだった。

真面目で勉強はできたものの、運動が苦手だったため、スポーツが得意なクラスの人気者を羨ましく思うこともあった。

1928年に建立され90年以上の歴史を持つ教西寺では、父親が二代目の住職だったため、将来は跡を継がなければならなかったが、小さい頃から自分の将来が決められていたことが嫌でたまらなかったという。

「反発して親と喧嘩することまでには至らないんです。親のことを気遣って諦めている自分がいました」と当時を振り返る。

そんな三宅さんが得度し、「僧侶」になったのは高校生になった夏休みのときのこと。

10日程の合宿研修を受けたが、それも自ら志願したわけではなく、同じく僧侶を目指していた従兄弟も受けるからと勧められたためだ。

高校卒業後は、京都にある龍谷大学文学部仏教学科真宗学専攻へ進学した。

「入学前に滋賀県にある母の実家の寺へ遊びに行ったら、ちょうど『花まつり』をしていました。そこで、子どもたちと遊んだのが楽しかったんです」

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こうした経験もあり、大学入学後には、京都女子大学とお寺で子ども会など開催する合同サークルである宗教教育部へ入部した。

週末はお寺で子どもたちと人形劇や影絵劇、童話劇やレクリエーションなどをして遊ぶようになった。

人前で話すことは苦手だったが、子どもと触れ合っていくうちに中学校と高校の社会科の教員免許状を取得することを決意。

大学4年生のときには、お寺へ勤める間の社会勉強も兼ねて教職を志し、教員採用試験を受けたが挫折。

そこで、浄土真宗に関する専門的な勉強をするために大学院の修士課程に進んだ。


3.教職から住職へ

大学院を卒業するタイミングで、東京都にある中高一貫教育を提供する浄土真宗本願寺派の中学校・高等学校へ勤務し、教職員として働き始めた。

赴任した年から担任を持つことになったが、色々と苦労も絶えなかったようだ。

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「浄土真宗で『どの人もそのままで素晴らしい』という教えがあるので、茶髪の生徒に対して『茶髪も個性だよな』と感じていました。生徒を指導する立場であるのに、厳しく注意することができなかったんです」

他人へ強く言うことができない性格だったこともあり、教義と業務の間で揺れていた三宅さんは、生徒や保護者との対応が上手くいかなくて3日間ほど学校を休んでしまうこともあったようだ。

いずれ寺へ戻ることを考えていた三宅さんは、13年経ったときに、実家へ戻り、副住職として働き始めた。

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働いていくうちに、世の中の情勢の変化や核家族化により門徒(檀家)が減少している状況に危機感を抱くようになった。

そこで、2016年から1年掛けて「未来の住職塾」を受講。

地域や宗派をこえて僧侶が集い、寺院のマネジメントや経営について学び、多くの人たちと交流を深めることができたようだ。

「お経を読むことが、果たして人のためになるのかと疑問に感じていたんです。でも、ここで学んだことで、お経を読むことで誰かを亡くした人の心が安らかになることに気づいたんです。昔から続けてきたことが一番大切だったんですよね」

2017年からは父親に代わって住職に就任した。『子どもも大人もつながる・つなげる みんなのお寺 教西寺』を掲げ、3年前からは掃除や茶話会などを通じてお寺の朝を楽しむ「テンプルモーニング」の活動を始めた。

このテンプルモーニングは、オンラインで全国どこからでも参加することができる。

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さらに、お寺にお供えされる色々な「おそなえ」を「おさがり」として貧困家庭などに「おすそわけ」する「おてらおやつクラブ」の活動やコーラスや影絵劇、ヨガなど多彩な活動を続けている。

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根底にあるのは、お寺を開かれた場にしたいという思いだ。


4.グリーフケアとは

そして活動を続けていくなかで、一般社団法人リヴオンが提唱する「グリーフケア」の考えに出合った。

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「グリーフケア」の「グリーフ」とは大切な人、ものなどを失うことによって生じる、その人なりの自然な反応、状態、プロセスのことを指す。

そして、「グリーフケア」とは、お寺や僧侶がケアを施すのではなく、法事やお話をする中で、「ともにいる」ことによって、お互いにケアされていく場を担っているとされている。

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「以前は、お葬式でご遺族の方々にどんな話をしたら良いのか分からない状態でした。そうした儀式作法以外のことは、浄土真宗では学ぶことができなかったんです。『こうしなくてはいけない』と考えていましたが、グリーフケアの学びを続けていくなかで、『決めつけなくても良い』ことや「自分なりの声の掛け方」という方向性が見えてきたんです。いまは、グリーフケアを世の中に届けていくことこそが、お寺の使命だと感じています」

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グリーフケアの視点を獲得してからというものの、子どもたちがお寺へ遊びに来た際なども「ちゃんとしなさい」と指摘するのではなく「そのままで良いよ」と声をかけるなど、グリーフケアは、三宅さん自身のあり方にも大きな影響を与えた。

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「親や学校にも相談できないことが、お寺に相談できるような世の中になれば良いと考えています。そのためにはお寺へ気軽に足を運んでもらうことが必要だと思って、いろいろな取り組みを行っています」


5.開かれた場の力

そもそも仏教が生まれた古代インドでは、雨季に一定の場所に留まる仮住まいこそが寺の起源だとされている。

僧侶たちが寝食を共にしながら仏法を学び、ときに語り合い、ときに瞑想する場所として寺が誕生したというわけだ。

そう考えていくと、本来の寺とは単なる信仰の場というだけでなく、居住の場であり説法の場であり学問を研鑽する場でもあった。

いわば、文化施設のような役割を果たしていたわけだ。

多くの人たちが何らかの生きづらさを抱えながら生活を続けている現代社会において、「安らぎの場」としての寺の役割は、ますます欠かすことができないものになってくるだろう。

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そして、お寺の本来の機能を取り戻そうとする三宅さんのさまざまな取り組みは、それを続けていけば自ずとお寺に人々は集まってくるという力強い信念に後押しされている。

どんなに世の中が変化しようと、宗教を必要とする場は必ず存在する。

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そうした人々に優しく包み込み、ときには手を差し伸べてくれるのが、三宅さんのような存在なのだろう。


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