農業の生活のはじまりは

フリーターしながらNGO活動していたが、知り合いになった鍼灸師の方から電話があり、患者さんの中に私の住む集落からさらに山奥で有機栽培をしてる方がいて、人手が必要というのでアルバイトしないかと。

就農しなかった理由のひとつは、「農業研修」という名目だと、きちんと賃金が出るかどうかだ。今回はハッキリとアルバイト。時給だか日給だかわからないが、ちゃんとお金がもらえる前提。

行った先は熊本県と宮崎県の県境の町。
熊本県民からでも「田舎」と思われる場所。

アルバイト先の夫婦は私の両親と同い年。東京から九州に来て農業してるとのこと。

私の関西弁に気づいた奥さんが、「あんたどこの出身?」というので姫路市と言うと、奥さんは姫路市の隣の市の生まれ。さらに母親の高校の隣の高校だという。

そこはビニルハウスの葉物栽培。

水菜、ホウレン草、小松菜、ルッコラ、葉ネギなどを栽培していたが、近隣の有機農家とグループを組んで、「有機JASの野菜セット」をコープ自然派へ販売をスタートするにあたり手が足りなくなるのでアルバイトが必要とのこと。

初日はご夫婦が収穫してきた葉物野菜を袋づめし、近隣の農家が持ってきた野菜と合わせてピッキングをさ、7品目の野菜セットをつくり、箱詰めして、コープ自然派に送るところまでやった。

時給とかの話になる。

「アルバイトで来てもらってもいいけど、栽培に興味があるなら、アルバイトではなく、研修生で来るというのもあるけど。月々5万円しか出せないけど。」

当時の感覚だと、ボランティアという名の無料奉仕でもなく、研修生と言う名のタダ働きでもなく、家賃と食費と交通費くらいはまかなえるくらいなので、別のアルバイトを続け、この日は休むという条件で、農業研修生となった。

2006年、31歳になっていた。

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