気分が悪いときは自分を責めているサイン
ハローワークに行ってきた。
ハローワークでは対応してくれる人が大体決まっているけど、私はその人たちが嫌いではない。
この人たちは私をジャッジすることがない。
必要な手続きをしてくれているだけだ。
少なくとも彼らは、私の考え方や人生に何か異議申し立てしてくることはない。
興味もないだろうし。
もちろん裏で何か思ってるのかもしれないけど、それはどっちでもいい。
色んな場面でここがダメだと言われることがあって、それはもちろんありがたいアドバイスであることが少なくないけど。
相手を思うからこそのアドバイスでもあるのだろうと思うからありがたいと思っている。
でも、ハロワのような私を知らない人の中にいるのはそれはそれで気が楽だ。
こういうことを言うのには、私は人をたくさんジャッジしてきた。
人のダメなところをいつも非難してきた。
言おうが言わまいが。
きっと自分自身のことも非難して責めてきたのだろう。
帰りの車の中で、また色んなことを考えていると気分悪くなっていた。
やる気になっても、結局こうやって気分悪くなって落ち込んでくる。
結局自分は変われないのだろうか、そんな風に思う。
でも、今まで学んだ色々なことを思い出すようにする。
気分が悪いということは、自分を責めているサインだと思い出す。
私は自分の何を責めているのだろうか?
→ハローワークで愛想よく対応したいなどと考えている自分をしょうもないと思っている
→なんだか気分が悪くて何もやる気がしないこと
→昨日夜、気持ちが落ちていて彼と話したけど楽しくなかったこと、そんな時には一人の時間が必要だったとわかっているのに自己嫌悪
→ブログ書きたい気持ちに中々なれないこと
→元気が出ないこと
→何も現実が変わっていないように思えること
全部、モヤモヤとする中で、全部自分はダメだなあと思っているのかもしれない。
今頭の中で考えていることは、本当ではないかもしれない。
⇒元気が出なくてもいい。
⇒彼との電話も失敗したと思ったけど、そんなことないかもしれない。
⇒一回の失敗で圧倒的に挽回できない未来に変わってしまうわけではない。
⇒私は失敗したと思っていても、他の人は全然そんなこと思っていなかったりする。
⇒だから、私が今感じているその感覚も、正解ではないかもしれない。
⇒上手くいっているのかもしれない。
⇒本当は、全部問題ないのかもしれない。
⇒元気でなくていいから、そんな中でもやりたいことをやろう。
⇒少しずつやりたいことやろう。
いきなり、これは違うんだ!と思おうとしてしまいがちだから(そしてまた自己嫌悪の繰り返し。。)
本当は違うのかも?くらいがいいみたいだ。
少しだけ気持ちがふわりとして少し眠くなる。
少し勉強したらゆっくりしようかな。
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