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私のお腹は『作品』

画家は自分の描いた画を、書道家は自分の書いた文字を、デザイナーは自分のデザインした服を、人に観てもらう時、どれほど誇らしく嬉しいか。

外科医にとって、自分の手がけた手術で出来上がった患者の体はひとつの『作品』なのではないか。

稲妻のようにそんな考えが天から下りてきたのは回診の時だった。

主治医は私のお腹を風呂敷から取り出し(妙な表現だが私にはそうとしか思えなかった)「順調です」と嬉しそうな声で言った。

パジャマを広げてお腹の傷を皆に見せるというより、さっと風呂敷をほどいて自分の手がけた『鎌倉彫のお盆』を周りにお披露目する作業のようだった。

回診は単なるセレモニーのように見えるが、医師にとっては、晴れがましい『作品展』でもあるのではないか。

この『作品』。

主治医、他の執刀医二人、麻酔医二人、看護師二人の合計7人でワン・チームを作り、最新の機器を使って実に4時間かかって作り上げたものだ。

その間、私は麻酔でぐっすり寝ていただけ。

自分のお腹がどういじられてどうなっているか知るよしもない。目を開けたらすべて終わっていたのだ。

手術によっては8時間ぐらいかかるものもあるとか。途中で想定外のことが起こり、結局はお腹を切り拓くことも。

開いたが手術不可能でそのまま閉じるケースもあるらしい。

事前にありとあらゆる検査をしていても、生身の人間の体、何が起こるか分からないのだ。

最悪のケースを覚悟で「同意書」にサインし、手術台の上に乗った。

チームのメンバーは、ひたすら各々が自分のやるべきことをやっただけだろう。結果責任は主治医。それはラグビーと監督の関係にも似ているように思える。

予定通り麻酔から目覚める幸運。

お腹の傷が回復し、まずは流動食から食べられるようになる幸運。

それを一つ一つ達成したとき、主治医は自分の手がけた『鎌倉彫』が最後の仕上げに近づく!と感慨を覚えるのではないだろうか。

土、日、祭日も顔を見せ、朗らかな声をかけてくれたのは、自分の手がけた『作品』に対する愛情と責任からだ。

回診のとき、

主治医の嬉しそうな表情に、突然、こんなことを感じたのだ。

七日目、ついに固い食事までたどり着いた私、リハビリを兼ねて、廊下を早足で歩いていた。後ろで「ハセガワさ~ん」と呼ぶ声。

病院内で、私を苗字で呼ぶ男性は主治医しかいない。

振り返ると

主治医が早足でやってきた。

「順調ですね。それはいいけど注意してください。頑張り過ぎないで下さい。転んだら大変ですから、ほどほどに」

恐ろしいぐらい真剣な表情。ついでにとてもハンサムな人だと思った!

彼は私がスタスタ歩いているのを見て(私の作品が歩いている!転んで壊れたり欠けたりしたら大変だ)と思ったに違いない。

私から言うと、私のお腹はいびつになった。余り良い作品とは言えない。

看護師さんによると、初めのころは腸がぐちゃぐちゃになっているから仕方がない。日が経てば、腸は自分の力であるべき位置に収まり、綺麗なお腹の形になるとか。

退院してもうすぐ一週間。

4カ所の孔を縫った傷は染みぐらいになり、メスを入れたとは思えない。おへその下の縦の切り傷も浅くなり、何よりお腹の形がバランス良くなってきた!

凄い自己回復力!

修理され、ひとつの作品となってからも、生身の体は日々、変化する。

人体こそ一つの芸術作品、神秘的な作品だと思った!


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