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私のパートナー
私にパートナーは存在しただろうか。そもそもパートナーってどういう意味?
辞書をひいてみたら「仲間、同伴者、二人一組となるときの相手」。
最近は配偶者のことを指すことが多いみたい。
配偶者がもうデイケアを利用している友人がいる。すでに配偶者が他界している人もいる。
思えば、私の年代の女性たちはほとんどが専業主婦になった。当たり前のように。
私の年代の女性は、大企業に勤めて収入の高い男性を夫に持ち、専業主婦になることが「人生の目標」であり、「勝ち組の生き方」だった。
何の屈託も葛藤もなく(私にはそう見える)楽しそうに「主人が、主人が、孫が孫が」とお喋りしている、かつての才女たちを見ていると、女の人生って何かな、と思う。
クラス会の出席者も年々少なくなり、今後、案内が必要でない人はそう申告することになった。
私は「必要ない」欄に印をつけて投函した。
中学、高校のクラス会はこうして「卒業」した。
人生が大変で悩みを抱えている人はそもそもクラス会には出席しない。
パートナーなしでシングルで生きてきた女性は出席しにくいと思う。
私は、夫持ちだ。
だが、夫をパートナーと思ったことはない。
私は、ささやかな仕事を我が人生のパートナーにして生きてきた。
どれも非正規のアルバイトのようなものだ。
だから厚生年金にも入っていないし、労災に入っていたわけではない。
でも、ここまで続けてきた。
よく続けられたと思う。
家事も子育てもほとんど一人でしてきた。私の年代の男性は家事を手伝うなど論外という教育を受けてきたのだ。
期待する方が間違っている。
私は自分自身を褒めている。私自身をここまで連れて来たのは「私の体」。
丈夫でも頑丈でもなく、故障ばかり起こしていた。
でも私の体こそ私のパートナーだった。今からもそうだ。
今日まで、私の夢と志を乗せて走ってくれた。かくも永い間。
ありがとう。私の体。私の真のパートナー。
メンテもろくにしなかったのに良く持ちこたえてくれたね。私の愛しい、もうくたびれかけた私の体。愛しいパートナーよ。
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