春はあけぼの
写真は今朝、家の近くで撮ったもの。5時半ごろの情景。もっと早く撮ればもっと美しい写真になったと思う。
枕草子の冒頭『春はあけぼの』をまさに体感したのは病室の窓から見たときだった。
1月15日の4時半ごろだったと思う。旧暦ではまさに春。
眠れないまま窓から外を見ると、美しい星のような灯りが沢山灯っていた。
商業用のイルミネーションではない。慎ましく透明な市井の灯りだった。
車やバイクの灯りも、時折、地を行く流れ星のように流れている。
こんなに早い時間にもう起きて働いている人がいるんだ、と胸を打たれた。
東の方に目をやると、『紫立ちたる雲』が細くたなびいていた。ビルの並んでいる辺りは『少し明りて』という、まさに、そんな感じだった。
この世はこんなに綺麗だったのか!体に稲妻が走ったのを感じた。内科でガン宣告を受けた直後のことだった。
朝一番に告げに来た若いドクターは「すみません」と頭を下げた。謝る必要はないのに。
そのあと来た主治医は何も言わず、しばらく立っていたが、そのまま立ち去った。
よほど悪いのか、と思った。手術も出来ないほどなのか……。
衝撃に打ちのめされていたころ見た「夜明け前の空」だった。
枕草子に関してはいろいろ勉強した。冒頭の第一段、それに続く四季の美しさや様々な行事は、絶望のどん底にいる女主人定子に捧げた「命の賛歌」であるとは知っていた。
確かにそうだ、と思っていた。
でも、私は何も分かっていなかったのだ。
何も分かってはいなかった……。
『一年中、すべてが素敵、面白い」と書いた清少納言。
彼女は心の中で『生きていることが素敵。生きているだけで楽しい。すべての行事が歓びに満ちている!だから、定子さま、何があっても生き抜きましょう」と呼びかけていたのだ。
文字には残さなかった彼女の心の声を、私は初めて聞いた。
なんて美しい空、雲、灯のきらめき……。
自分の住んでいる町がこんなに美しいなんて思ったこともなかった。
しばらく窓の外の光景に見とれていた。
車が病院に入って来るのが見えた。患者だろうか。患者の家族だろうか。それとも職員だろうか。
皆、生きている。懸命に生きて、こんな早朝から動いている……。
今度、授業することがあったら、絶対、第一段をやろう。でも、この感動を言葉に表すことはできそうもない。
今までも、ウソを教えていたわけでもないし、いい加減なことを言っていたわけではない。
でも、今、分かった。『春はあけぼの』が命の賛歌だと言う意味が。
多分、人は、この感覚を自分で分かるしかないのだ。自分が危機的状況に立った時に、初めてこの段を体感できるのだ。
この写真を今見ながら、私はあの日々を思い出す。
そして、絶対、長生きしようと、100歳までも、と思ってしまうのだ。
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