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一輪挿し

皆さんが「生きている」と思う瞬間はどんな感覚でしょうか?
私が「生きている」と思う時、
感情が動き、楽しくなり、自分以外の人間の存在やその空間を身体で感じます。

「生きている」時間は想い出となり、私の記憶に確実に刻まれていきます。
想い出すと感情が蘇り、笑みが溢れるような。
その記憶は、私だけのほほえみフォルダに保存されるのです。

『工作シリーズ vol.1』Listening to Thelonious Monk.


先日、突然思い立って一人旅に行ってきました。
小さなギャラリーで、お蕎麦屋さんの店主が作っているという一輪挿しを発見しました。素朴でありながら品のある佇まいで、旅の初日にうっかり割れ物を購入してしまう私。ぐるぐる巻きの梱包を見て「荷物が増えたな…」と思っていると、店員さんが「WEBショップにも出しているのでそちらをSold outにしておきました」と。
そうか、今WEBショップから購入すれば手ぶらで家に着けるじゃん。
だけど、思いとどまりました。

この場所から、思い出ごと一輪挿しを持ち帰りたいと思ったのです。

花を活ける度に思い出すギャラリーの真っ白の清らかな空間、窓から見える田園風景、店員さんとの和やかな会話、迷いながら歩いた辿り着くまでの長い道のり、その時のわくわく感。
今、私は旅の思い出ごと一輪挿しを買ったです。
その「生きている」感覚がとても心地よく感じました。

ここでしか買えない物なんて、今はほとんどないんじゃないでしょうか。
通販で扱われる物は日に日に増えていき、身体をまったく動かすことなく家でポチッとするだけで即手に入ります。
でも、通販で買った物には自分のもとに辿り着くまでの想い出が欠けています。
見た時、手に取った時に心の中にあたたかかいものは込み上げてこない。

『想い出』はその場所と時間にしか存在しません。
場所は身体を動かさないと辿り着けないし、
人との会話は1秒ずれただけでも違うものなり、1日ずれればまったく別人との会話のようになる可能性もあります。
自分も相手もその時々によって発する言葉が違うからです。

ある瞬間の特別な会話、特別な物との出会い、特別な場所。
身体性を伴い二度と来ない場面に遭遇した時、「生きているな」と感じます。
そしてその瞬間は大切な『想い出』として確実に記憶に刻まれていくのです。
ほほえみフォルダ
感動フォルダ
爆笑フォルダ
ギョッとフォルダ
自分のHDの中にある無数のフォルダにちゃんとしまってあって、いつとり出しても色鮮やかに想い出せる。心が動く。
それらが私の一部になっていく。

このフォルダに記録されるような
確実に「生きてる」時間をもっと増やしていきたいと思うのです。

行きたい場所に足を運び、人との会話を楽しみ、五感を使って感動を味わう血の通った想い出を、もっと増やしていきたい。
一人で粛々と制作するフリーランスが、そんなことを考えた楽しい楽しいひとり旅でした。

皆さんは最近いつ「生きている」と感じましたか?


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