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ホイットマンとドストエフスキー   ヘンリー・ミラー 田中西二郎訳

 この問題を別の角度から検討しよう。ここで一人は小説家であり一人は詩人であるから、本来は比較すべきではないのだが、比較してみよう。つまりドストエフスキーとホイットマンだ。この二人を任意にえらんだのは、ぼくからみるとかれらは近代文学の二つのピークを代表しているからだ。もちろんドストエフスキーは無限に一小説家以上であり、その点ではホイットマンも一詩人以上に偉大だった。だがこの二人のあいだの違いは、少くともぼくの眼からみると、ホイットマンは、芸術家としては劣るけれども、また深さでも劣るけれども、ドストエフスキーよりも大きく世界をみた、ということだ。彼には宇宙的な眼界があった。ぼくらは彼を、偉大な「民主主義者」として語る。

 ところがこの特定の名称はドストエフスキーには与えられない。それは彼の宗教的、政治的、社会的信念の故にではなく、ドストエフスキーが「民主主義者」以上でありまた以下であったからである。(ぼくが「民主主義者」という言葉を使うとき、それはユニークな自己充足的なタイプの個人を意味し、どんな政府も彼を市民として包容するに十分なほど大きく賢く寛容にはなりえていない。そういう人物を言いあらわすものと諒解してもらいたい)否、ドストエフスキーはニーチェのいわゆる「あまりに人間的な」意味において人間的だった。彼はその生涯の目録をくりひろげるとき、われわれを圧倒する。

 これに比較すればホイットマンは非個性的だ。彼は群集、大衆、厖大な人数の密集群を包みこむ。彼の眼は不断に人間の可能性、神のごとき可能性をみつめる。彼は兄弟愛を説き、ドストエフスキーは共同性を説く。ドストエフスキーはわれわれの心の深奥をかきみだし、われわれを戦慄させ、眉をひそめさせ、たじろがせ、ときには眼を閉じさせる。ホイットマンは違う。ホイットマンは一切を、神的なものも魔的なものも、やむときのないヘラクレイトス的な流れの一部としてみる能力を持っている。終りもなく、始まりもない流れ。彼の詩のなかには高邁な、たくましい風が吹き抜けている。彼の直観には病を癒す性質がある。

 われわれはドストエフスキーの大きな問題が、神であったことを知っている。神はホイットマンにとっては問題だったことはない。「言葉」が神とともに在ったごとく、そもそもの始めから彼は神とともに在ったのだ。ドストエフスキーはいわば神を創造しなければならなかった。何というヘラクレス的な仕事だったことか! ドストエフスキーは深淵からよじ登って頂点に達したが、なお彼の周囲には深淵的なものを残していた。ホイットマンの場合は、荒れ狂う激流にコルクのように揉まれている男の姿を思い浮べる。ときどき波の下に姿をかくすけれども、永久に沈みきりになるという心配はない。彼の本質そのものがそれを防いでいるのだ。

 もちろん、われわれの本性は神からの贈物だと言う人もあるだろう。またドストエフスキー時代のロシアはホイットマンが育った世界とは似ても似つかぬものだったとも言えるだろう。だが、一人の芸術家の性質なり性格の発展なりを決定するあらゆる要素の存在をみとめ、それぞれを適切に強調した後に、最後にぼくは直観の問題に帰って来る。二人とも、予言者的傾向を持っていた。二人とも、世界に向って告ぐべき言葉を吹きこまれていた。そして二人とも世界をはっきりと知っていた! のみならず二人は、これまた忘れてならぬことだが、世界のうちに溶けこんでいた。ホイットマンからは神に似た寛容さがにじみ出ている。ドストエフスキーにはほとんど超人的な強烈さと尖鋭さとがある。しかし一方は未来を強調し、他方は現在を強調する。ドフストエフスキーは、多くの十九世紀ロシア人と同様、終末観的である。彼にはメシア的傾向がある。ホイットマンは「永遠の今」、その蓼々(りょうりょう)たるなかに、がっしりと錨をおろして、世界の運命にはほとんど無関心だ。

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 彼にはしばしば上機嫌な、騒々しいほどお人好しな、やあどうしたいと肩をたくような調子がある。彼は底抜けに世界について楽観している。いや、彼はそれ以上よく知っている。世界について何か間違ったところがあるとしても、下手に金槌をもちだしても直せるものではないと達観している。世界を正しい途へ引き戻す唯一の方法は、すべての生きている個人がまず自分自身を正しい途に置くことだ、と彼は知っている。娼婦や乞食や宿なしや、悩める者に対する彼の愛と同情とは、社会問題の検討から彼を引き離す。彼はいかなる教理をも説かず、いかなる教会をも祝福せず、いかなる媒介者をも認めない。

 彼は戸外に住み、風とともにめぐりゆき、天空の四季の循環を観察する。彼の信仰は暗黙の、考慮を要せぬものであり、それ故に彼には朝から晩まで讃歌をうたいつづけるよりほかにすることがない。彼にもいろいろな問題があった。それはわかっている。彼にも怒る時があり、試練、苦難の時があった。おそらくは懐疑の時もあったことだろう。だがそれらは彼の作品には決して出しゃばって来なかった。彼は偉大な民主主義者である以上、陽気で上機嫌な宇宙的噴火口としてとどまっている。彼には豊穣な健康さと活力とがある。おそらく、ぼくが指摘したいのはこの点だ。ぼくが語っているのは彼の言葉からにじみ出る健康さと活力であり、したがってそれは彼の内的状況を反映している。彼が文化的関心からの解放、文化に関する胸くそのわるい諸問題への関心を欠いていたという点を強調することにより、ぼくは、だぶん彼の詩を豊穣に強壮にしたということを指摘したいのだ。

 この無関心は、大多数のヨーロッパの文化人が、いつかは必ず引き込まれるわき道へ入る手間をはぶかせた。ホイットマンはほとんど彼の時代の病患に無頓着だったようだ。それは彼が他の時代に住んでいたからではなく、一種の心霊的充実の状態に住んでいたのだ。ヨーロッパ人にはこのような状態に到達したときも、これを維持するのは遥かに困難である。彼らはさまざまの立場から包囲されている。彼らは味方になったり敵になったりしなくてはならない。参加しなくてはならない。

 ぼくの言わんとするところをハッキリさせただろうか? ぼくは文学に反映したものとしての生の充実について語っていたのだ。ほんとうに、ぼくが関心を抱いているのは世界の充実だ。ホイットマンは「ウバニシャッド」に近く、ドストエフスキーは新約聖書に近い。ヨーロッパの豊かな文化的シチュウは一種の充実であり、日々のアメリカ生活のもつどっしりした鉱石も他の一種だ。ドストエフスキーに比較すると、ある意味でホイットマンは空虚だ。それは決して抽象性から来る空虚さではない。むしろそれは一つの神聖な空虚である。それは混沌がそこから躍り出るところの、かの名づけようのない虚空のもつ性質である。創造に先だつところの空虚である。

 ドストエフスキーはカオスであり、多産である。人間性は、彼の場合、泡だつ濁流のなかの一つの渦にすぎない。彼は人間性の種々の階層を誕生させるべく、その渦を彼の内部に抱いていた。何らかの生き甲斐ある秩序の処方箋をつくるために、彼は強いて言えば神を創造しなければならなかった。彼自身のために? 然り。だが同時にすべての他の男や女のためにも。さらにこの世界の子供たちのために。ドストエフスキーはいかに彼の生活が完全であろうと、またこの世界の人生が完全であろうと、ひとりでは生きてゆけなかったろう。ホイットマンにはそれができた、とぼくらは感ずる。そして偉大な民主主義者と呼ばれている人はホイットマンである。

 たしかに、彼はその名にふさわしい。なぜなら彼は自己充足に達していたから‥‥この考えが何とさまざまな反省を呼び起すことだろう! ドストエフスキーがまだ天国への道を羽ばたき飛んでいるのに、ホイットマンは到達した。だがここにはどちらがさきかという問題ではない。優劣の問題はない。もしお望みなら、一は太陽であり、一は星であると言おう。

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 ロレンスはどこかで、ドストエフスキーは彼自身の本質の月世界へ到達しようと苦闘したと語ったが、実にロレンスらしい想像だ。その背後にはロレンスが支持しようと努力していた一つのテエゼが横たわっている。ぼくは彼らを二人とも受諾する。ドストエフスキーもホイットマンも。その木質においてもその言説においても。ぼくはこれら二つの輝ける星を並べてみて、単に若干の差別をとりだしたにすぎない。片方は人間的な光でかがやいているようにみえ、そして狂熱家、魔性的存在と考えられている。他は清涼な宇宙的光を放ち、全人間の兄弟、生の真只中に立つ人間と考えられる。二人とも光を与えたこれが重要なことだ。ドストエフスキーは全身これ激情(パッション)であり、ホイットマンは同情(コンパッション)である。電圧の差だ、と言ってもいい。ドストエフスキーの作品では天使と悪魔とが手をたずさえて歩む思いがある。両者はたがいに理解しあい、たがいに他をゆるしている。ホイットマンの作品はこのような実体を欠いている。そこには大まかな人間味、壮大で永遠的な「自然」がある。そして大いなる「精神」の息吹がある。

 何ページか前に、ぼくはホイットマンの眼がヴェールに蔽われたようによそよそしい感じがあることに言及したが、それはぼくが彼を冷たい、無関心な、超然とした人、高踏性のうちに一人はなれて生き、折々その気分になったときだけに庶民とまじわるため雲の上から降りて来る人といった印象を与えることは、ぼくの本意ではなかったのだ。戦場と病院とで暮らした幾年間の記録は、こうした疑惑を払拭するのに十分である。彼以上の大きな犠牲、彼以上の自己放棄をかって誰がなしえたか? 彼はその経験から脱け出て来たとき、骨髄まで砕き去られていた。彼は人として人間的に要求される以上のものをその眼で見て来た。それは大き艱難を忍びはしたものの、惨苦の極みにまで侵されたものは彼の健康ではなく、むしろあまりにも身近な同胞との心の語らいから受けた試練であったのだ。彼の無尽蔵な同情(シンパシィ)については多くが語られている。激情(エムパシィ)という言葉のほうがより近いだろう。しかしこの情感の拡大された状態を写す言葉を、ぼくらの国語はいまだもっていない。

 この体験、それはシベリアにおけるドストエフスキーの試練に比せらるべきもので、無限の思索を喚び起すものだ。いずれの場合も、それはゴルゴタだった。ドストエフスキーの生得の兄弟愛的感情、ホイットマンの自然な同志的精神は、ともに「運命」の指図によって熱い惨禍のなかで試された。いかに大いなる人類愛が彼らのうちにあったにせよ、このような体験には両者ともみずからその任に当りたくはなかったろう。(人間の歴史には個人がみずから立って怖るべき試練をくぐった輝かしい事例が幾つがあった。すぐに思いだされるのはイエスとジャンヌ・ダルクだ)。ホイットマンは共和国(北部)の義勇兵としてまっさきにかけつけて志願したのではなかった。ドストエフスキーは殉教者としての自己の能力を証明するために「運動」に身を投じたのではなかった。

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 両者とも、状況のほうからかれらにぶつかって来た。要するに人間のテストはそこにある──いかに彼が「運命」の打撃に立ち向うかのテストが! ドストエフスキーがほんとうにイエスの教えを知るようになったのは流刑中だった。ホイットマンが自己放棄の意味──あるいは報酬を考えずに奉仕することの意味と言ったほうがいい──を発見したのも戦場で、死者や傷者のなかに入ったときだった。英雄的な人間だけが、かかかる試練を生き抜くことができる。神の知恵に照らされた者のみが、これらの体験を愛と恵みとの偉大な音信(メッセージ)に変形することができる。

 ホイットマンはその生涯のこの決定的時期の数年前に、この光を見、神からの照明を受けた。ドストエフスキーはそうでなかった。両者ともに学ぶべき教えを学び、それを学んだのは苦悩、病気、死の真只中にあってだった。ホイットマンのあの陽気で放胆な精神が、一つの変化、深化をなしとげた。彼の「友愛」は、同胞人間のより熱情的な受入れへと発展した。1854年の顔、自分の得たヴィジョンにいささか胆をつぶしている男の顔は、あらゆる有情の者の世界さらに非情の世界をも含む全宇宙を抱擁する、より豊かな、より深いかがやきへと変ずる。彼の表情はもはや遠くからそこへ来る人のそれではなくて、その世界の混乱の只中にいる人、何事が起ろうともままよと完全におのれの運命を自覚し、渦中にあって莞爾としている人の表情である。神的なものは少くなっているかも知れぬが、純粋に人間的なものが増している。ホイットマンはこの人間化を必要としたのだ。

 もし、ぼくが確信するように(1854年か55年に)彼の内部に意識の拡大が起ったとすれば、必ずやあらゆる人間的価値の再評価もまた起らざるを得なかっただろう──気も狂わない限りは。ホイットマンは神としてではなく人間として生きざるをえなかった。ドストエフスキーの場合にも、「人神」の観念と結びついたこの執念がいかに執拗に続いたかをぼくらは知っている。深淵からの知恵の光に照らされたドストエフスキーは、彼の内なる神を人間化せざるを得なかった。彼岸からの光を受けたホイットマンは彼の内なる人間を神化しようと努めた。この神と人との受胎作用──神のうちに人を、人のうちに神を──は両者の場合とも遠大な効果を及ぼした。今日、この二巨人の予言はすでに無に帰したという声が普通に聞かれる。ロシアもアメリカも徹底的に機械化され、専制的になり、暴君的、唯物的、権力狂になった、と。だが、待ちたまえ! 歴史はみずからのコースを辿らざるをえぬ。否定的な相はつねに積極的な面に先だつのだ。

 伝記家や批評家は、しばしばこうした決定的時期をとりあげ、「兄弟愛」や「精神の普遍性」について考察しつつ、その人物の内部でこれらの属性が発展したのは単に苦悩や死に近づいたためだと書き記していく。しかしホイットマンやドストエフスキーが影響されたのは、もしぼくが二人の性格を誤りなく読んでいるならば、二人はその戦場で、魂の絶え間ないうちあけ(裸になること)を目撃したということであった。したがって、それは影響されたというより、魂を傷づけられたという言葉が当たっている。ドストエフスキーは社会事業家として牢獄へ行ったのではないし、ホイットマンも看護人、医師、聖職者として戦場へ行ったのではない。ドストエフスキーは同国者たちのなかで一匹の獣のように生きた。ホイットマンが看護人と医師と聖職者とを一人で兼ねるほかなかったのは、ほかにこれらの天分を兼ねそなえた人間がいなかったからであった。

 彼の資質はこれら三つの務めを一つも捨てることはできなかった。両者に共通なあの動物磁気──あるいは両者の内なる神性──が、これら二人の個人を強制して、相似た圧力のもとで、かれら自身を超えるところまで行かせたのである。通常人ならば、こうした位置から解放されれば、その後の生涯を不幸な人々の世話をすることに捧げるだろう。このような献身をばおのれの使命と考えるのはもっともなことだろう。しかしホイットマンとドストエフスキーは、もとの文筆生活へ戻って行く。

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 以上ではっきりしたと思うのだが、なお的確に言わせてもらうなら、二人がその残酷な世界との遭遇を体験し、その体験を変形し高貴なものとして高めていったのは、まさに彼らが芸術家であったからである。人は魂と魂との裸の出会いに耐え忍ぶことなど誰にでもできることではない。人間がおのれの魂の閂を開いてみせる光景を、一度ならず、何度も見ることは、ほとんど人間の耐え忍ぶ力を越えている。ぼくらは通常みずからの魂をあけひろげては出さない。人はその心を裸かにして横たえることはあろうが、その魂までは裸かにしない。ある点で、ぼくはドストエフスキーの立場のほうがホイットマンの場合以上に辛かったと思う。ホイットマンがしたと同じような奉仕をドフトエフスキーは行ったが、人々の目には犯罪者とみなされていたのだ。彼がホイットマンと同じように報酬を考えなかったのは当然であるとしても、彼はつねに人間的存在としての威厳を剥奪されていた。この事実こそ彼を「守護天使」の役をつとめさせることになる。

 しかし大切な点は、二人が人々の苦悩の魂を引き受けたというより、むしろ世界の苦悩といったものが、彼らのほうに向って突き進んでいったということである。それゆえに彼らは神と人とのあいだの媒介者、あるいは神と人の間をつなぐ橋としてこの地上に立たなければならなかったのだ。彼らはいかなる経験をも斥けることはしなかった。彼らは世界の苦悩といったものをその全身で受諾した。義務や使命といったものからではない。彼らの天性の素質が世界の苦悩をしかと抱擁させたのだ。こうして、彼らと彼らが苦悩をともにした人々とのあいだに生じたすべてのことは、普通の経験の音階を超えるものになった。人々は二人の魂のうちを見、二人は人々の魂のうちを見た。どちらの場合も小さい自我は捨て去られた。それが終ったとき、二人はもはや文学者でもなければ、芸術家でもなくなっていた。
 
 あえて言葉にすれば救出者であった。ぼくらは二人のそれぞれの音信(メッセージ)が古い器の枠をいかに爆破したかをよく知っている。二人が到達した芸術の革命というのは、それは今日でさえわれわれはまだ正しく自覚していないが、あらゆる人間的価値の価値転換といったものであり、他の革命家たちがめざしたものはまったく異なったものだったのだ。人間実在の中心から外へ向う運動であり、その外の世界からの帰ってくる響きのなかでつくられていったのだ。
 
 彼らのめざしたこの芸術の革命といったものは、依然としてヴェールに包まれていて遠くにあるが、しかし彼らの戦いが無駄であったとか、挫折し敗北に帰したとかいった疑念を、一瞬たりともぼくらは持つべきではないのだ。ドストエフスキーは彼の矢を飛ばす前に、誰よりも深く潜ったのであり、ホイットマンはぼくらのアンテナがその音信(メッセージ)を受信する前に、誰よりも空高く翔けあがっていったのだから。

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特集 ウォルト・ホイットマン
平等主義の代表者ウォルト・ホイットマン 夏目漱石
ワルト・ホイットマンの一断面 有島武郎
ホイットマン詩集 白鳥省吾
ホイットマンの人と作品 長沼重隆
ヴィジョンを生きる 酒井雅之
ウォルト・ホイットマン 亀井俊介
ホイットマンとドストエフスキー ヘンリー・ミラー

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