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ワイマン教室の語学教育思想とメソッド

こひー1

間違った英語を話すことを恐れない

ワイマン教室の一時間半のレッスンは、最初から最後まであなたが独力で話すためのレッスンで組み立てられています。まずレッスンは生徒たち一人一人の身辺報告からはじまります。身辺で起こったこと、興味をひかれた事件、感動した出来事、あるいは面白かった映画や本の感想など、生徒はそれぞれ短いスピーチをします。このとき私たちの英語にはたくさんの間違いがあります。しかしこの教室ではそのことが問題ではありません。この教室が目ざしているのは、たとえ間違いだらけであろうとも、たとえよたよたの千鳥足であろうとも、独力であなたの英語を話すという訓練なのです。むしろこの教室では、たくさんの誤った英語を話すことが奨励されています。実はこのことが言葉を獲得していく重要なステップなのです。

日本人の大半は英語に関する膨大な知識を持っています。しかしまったく英語が話せない。なぜ英語を話せないのか。その一つの大きな原因が、文法的に正しい英語を要求する学校の英語教育が、私たちの体内に徹底的に植えつけられているからだと思います。学校の英語教育では、つねに文法的に正しい英語が必要です。間違った答えはバツであり、零点であり、恥ずかしいことなのです。ワイマン教室のレッスンは、日本人に深く植えつけられたこの呪縛を自ら解き放つことからレッスンがはじまるのです。

赤ちゃんや子供を見ればよくわかることですか、人間が言語を獲得していくには、夥しいばかりの幼稚な言葉、単語をつなげるだけの言葉、文章にならない言葉、意味不明な奇妙な間違った言葉を、繰り返し繰り返し話すことによって、はじめてその言葉がその人のものになっていくのです。

逆に言えば、幼稚な言葉や単語をつなげるだけの言葉や奇妙な間違った言葉を話すという圧倒的な時間がなければ、人はその言葉を話すことができないということです。日本の英語教育は、人が言語を獲得していくこの最も重要な時間を、ばっさりと断ち切ったところで成り立っています。いきなり文法的に正しい英語だけを生徒に求めます。かくて日本人の99パーセントは全く英語が話せません。間違った英語を大量に話すという基礎土台ができていないからです。

セルフ・アクセス・ペア・ラーニング

よく語学教室でみられるのは、グループを組んでのデスクカッション方式によるレッスンです。しかしこのレッスンが効果的なのは、それぞれの生徒が、自分の意見を表現できる力をもっている場合に限られます。議論の流れに応じて積極的に発言していく力をもっている生徒ならば、この方式は表現力を飛躍的に高めるでしょう。しかしその力を持っていない私たちには、いたずらに無駄な時間が流れるばかりです。議論の中に入れず、ほとんど沈黙したままでそのレッスンが終わり、あとに残るのは空しさと惨めな思いばかりです。

ワイマン教室では、ペアを組んでのレッスンです。この方式を有名にしたのはスイスの言語学者ニコラス・ファーガソンです。彼が創立したスイスの語学教室には、英語に限らずさまざまな言語を獲得しようと世界中から生徒がやってきます。そして三百五十時間から四百時間、このセルフ・アクセス・ペア・ラーニングによる集中的な訓練によって、その言語をはじめて学ぶ全くの初学者でさえも、大学の講義が受講できるばかりの語学力を獲得していくのです。

この方式が日本で受け入れられていないのは、おそらくこの方式がビジネスにならないからでしょう。さらには先生が教壇に立ち生徒に教えるという学校での授業形式を、一種否定しているようなシステムでもあるからでしょう。このシステムでは語学教師は、図書館の司書といった存在です。相談にきた生徒たちに適切なアドバイスや教材になる資料や本などを教えるといった役割に徹します。

セルフ・アクセス・ペア・ラーニングとは、文字通り生徒が互いにペアを組んで、それぞれの生徒が選んだテーマを、レッスンの全時間話しあっていくのです。すべて生徒の自主的な訓練によって成り立っているレッスンなのです。言葉を訓練するのは生徒たちです。そのことを徹底的に追及したシステムです。ワイマン教室では、明らかにこのセルフ・アクセス・ペア・ラーニングの哲学と思想を受け継いでいるレッスンが行われています。

新聞記事を速読していく訓練

レッスンの主題に入る前のウォーミングアップとでもいうべきレッスンがありますが、その一つに分断された新聞記事が私たちに渡され、その記事をすばやく読み取り、そこに何が書かれているかを表現できるようにして、分断された記事の相手を探すという一種のゲームが行われます。そのゲームはまず私たちに新聞記事をすばやく読み取ることが要求されます。

これもまた学校の英語教育で植え込まれたことですが、英文を読むとき一行一行の意味を正確に掴み取り、次の行に進んでいくという読み方が体内にしみこんでいます。その行に何が書かれているかわからないと、次の行に進めないのです。しかし私たちが日本語の新聞を読むとき決してそんな読み方をしません。その記事がどんなことを話題にしているかを一瞬に読み取っています。

ワイマン教室でのそのレッスンは、記事を瞬時に読み取る速読の訓練なのです。知らない単語がどんどん現れてきます。しかし気にするな。辞書をひくな。立ち止まらずにどんどん読んでけという訓練なのです。とにかく最後まで全力で読み切れと。読み終わったとき、未知なる単語ばかりでほとんどわからなかった。しかし一割程度はわかったとする。それで大成功なのです。一割もわかれば、その記事が何を話題にしているのかがわかります。この訓練を続けていくと私たちの速読力は鍛えられ、記事の理解度は一割から二割へ、二割から三割へと増えていく。三割もわかれば、もうその記事の全容がわかるというものです。一語一語、あるいは一行一行を読むのではなく、二、三行、ときには四、五行、文字のかたまりを一瞬に読み取るという訓練です。

自分の言葉を作り出す訓練

もちろんワイマン教室の中心のレッスンは、新聞記事を精読することにあります。未知なる単語や、わからない熟語の意味など調べて、その記事を細部まで正確に読み取ることが必要です。それは私たち生徒がレッスンを受ける前にしておかねばならぬことで、レッスンの主題はさらに次の段階にあります。

いよいよワイマン教室のレッスンの本番がはじまります。その日のレッスンで取り上げられた新聞記事は「Work-Life of Balance」。政府が打ち出した新政策「仕事と生活の調和」について書かれた記事です。生徒たちはこの記事について対話していきます。ワイマン先生は、生徒たちがより深い対話をするためのプリントを作って生徒たちに配布してくれます。そのプリントに書かれた質問を、ペアを組んだ相手に問いかけて、会話を展開させていくのです。その記事に書かれたフレーズを、互いにリピートするということではありません。その記事を自分の言葉にして、自分の言葉で表現するという訓練なのです。

その対話は記事以外のことに発展していきます。その記事がさまざまな問題を問いかけているからです。過労死の問題、サービス残業の問題、金持ちと貧乏人という二極化が急激に進行している問題、男性が子育て休暇を取らない問題、社会は今なお女性に閉鎖的であるという問題と、困難な問題が私たちの社会には山積しています。私たちはそれらの問題を語ろうとします。
しかし私たちの貧しい英語力では、なかなか深い対話ができません。頭のなかに湧き立ってくる日本語を、どう英語で表現するのかわからずいらいらします。

しかし話さなければならない。ペアを組んだ相手のためにも、話さなければならないのです。どんなに稚拙な表現であろうとも、どんなに間違った英語であろうとも、どんなに文法的にでたらめな英語であろうとも、単語をつないだだけの英語であろうとも話さなければなりません。再び水泳にたとえると、私たちはすでに二十五メートルプールに飛び込んだのです。プールに飛び込んだ以上、その二十五メートルを泳ぎ切らなければならない。私たちの泳ぐ力といったらせいぜい五、六メートルです。しかしとにかく二十五メートル先にあるゴール目指して泳げという訓練なのです。

懸命に泳ぎ切ろうとしますが、力のない私たちは途中で挫折します。毎週毎週挫折の連続です。自分の英語力の貧しさに打ちのめされ、みじめな思いで教室をあとにします。しかしこの悔しさやみじめな思いこそ、困難な課題な立ち向かう根源の力だと思うのです。英語という未知なる言語を、自分の言葉にすることは容易なことではありません。長い年月がかかります。気の遠くなるばかりの年月が必要です。いや、生涯をかけても英語はついに私たちの言葉にならないかもしれません。私たちの立ち向かっている山はそれほど巨大なのです。だからこそ一つ一つの課題に、誠実に取り組むことが必要だと思うのです。まずは二十五メートルです。私たちの目標はまずこの二十五メートルを独力で泳ぐ力をつけることなのです。

ワイマン先生は、ワイマン教室のレッスンについてこう書いています。

One of most important things for learners is to learn how to learn. I believe that the first and essential step toward this is for the learners to establish autonomy in their learning environment.

このautonomy という言葉は自己確立と訳すべきでしょう。ワイマン先生のレッスンは、実に一人一人の生徒が、英語という言語で自己を確立していくことを目指しているのです。

ワイマン教室に立ち向かう姿勢


ワイマン先生は「タイム・ライフ」社のスタッフです。本職は毎日が激務ですが、毎週火曜日、「ワイマン教室」のレッスンのある日は、メイプル・センターに五時に到着します。レッスンは七時半からはじまるのに、五時に教室に来ているのです。なぜそんな早くに教室に入っているのか。それはテキストとなる「ジャパン・タイムズ」のすべての記事を読んで、レッスンに備えているのです。レッスンでは毎週プリントが配られます。このプリントをつくるためにもまた多くの時間を費やしています。

ワイマン先生の毎週のレッスンに向かう姿勢を見るとき、私たち生徒もまた「ワイマン教室」のレッスンに、真摯に立ち向かわなければならないと思うのです。市民講座はすべて生徒の自主性にゆだねられていますから、レッスンを休むのも自由ですが、しかしこの教室に入った以上、意味なく休むべきではありません。

毎週ホームワークが出されます。このホームワークをしっかりとやってくることもまた強く求められています。スイスにある「セルフ・アクセス・ペア・ラーニング」の語学教室のことにふれましたが、その教室で四百時間の集中的なトレーニングをすれば、大学の講義が受講できるばかりの語学力が獲得できるのは、教室での毎日のトレーニング、そして膨大なホームワークを自室で学習するという徹底的なトレーニングをこなすからです。スイスの教室から較べるとき、私たちの教室は一週間に一日、それも一時間半のレッスンは、圧倒的に語学トレーニングとしては不足しています。ですからホームワークをきちんとやることが大切なのです。ワイマン教室の真価は、あなたがどれだけホームワークに情熱と時間を費やすかにかかっています。

ワイマン教室が取り組むこと

この教室から未来を切り開く雑誌「ワイマン教室の英語」が創刊されました。その創刊号に「適塾」のことが書かれています。江戸時代の末期に、町医者であった緒方洪庵が創設した小さな語学教室でした。この語学教室に外人教師がいたわけではありません。緒方洪庵その人が語学に堪能であったとも思われません。ではいったいだれが語学教育の指導にあたったのか。それは「ゾーフ・ハルマ」とよばれるたった一冊の辞書でした。日本で最初に誕生したこの「蘭和辞典」こそこの語学塾の教師であり指導者だったのです。

たった一軒の家屋を構えるに過ぎないこの貧しい語学塾に、日本各地からなんと三千人にもおよぶ青年たちがやってきて、オランダ語という未知なる言語と格闘したのです。彼らが目指したのはオランダ語そのものにあったのではなく、オランダ語を通して西洋の文化を知ることでした。日本は世界から閉ざされていました。彼らはその扉を開いて世界をみたかったのです。西洋の経済や政治や科学や医学や文化を軍事や社会を。そのために彼らはその塾で懸命にオランダ語を学んだのです。やがて彼らは日本の各地で、社会の一隅を照らす光となっていくのです。

われらの雑誌に「適塾」を載せたのは、ワイマン教室が「適塾」のような新しい時代を切り開く可能性を孕んでいるからなのです。日本人は英語の勉強に膨大な時間をかけています。いったいどれほどの時間を、英語の勉強に費やすのでしょうか。何百時間などではなく、何千時間、何万時間という単位です。それなのに99.9パーセントの日本人は英語を話すことができません。私たちはもうそのことに気づくべきなのです。なぜ話せないのか。それは日本の語学教育が根本的に間違っているからです。この日本の語学教育を根本的に、構造的に変革する時にきているのです。「ワイマン教室」のレッスンは、そのことを痛切に私たちに突きつけています。

やがてこの教室から、新しい英語教育を打ち立てるためのテキストが作られるでしょう。そのテキストが広がり、日本各地で「ワインマン教室」の英語教育が実践されていくに違いありません。あるいは日本の英語教師たちが、「ワイマン教室」のレッスンを受け、それぞれの学校でそのレッスンを実践するでしょう。あるいはまた生徒たちが、さらなる語学訓練の場として、カナダのバンクーバーに「ワイマン教室」の支部を設立するでしょう。「ワイマン教室」は変革の場であり、未来を作り出すたくさんの可能性を孕んだ教室なのです。

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