壮大な史劇にして雄大な政治劇に取り組むための素材集 6
イプセンの「民衆の敵」を翻訳した笹部博司氏は、この劇についてこう評している。
「民衆の敵」は、エンターメントとしても申し分なく、コメディとして最高で、人間ドラマとして一級で、なおかつ政治劇、社会ドラマとしてもきわめて深く、本質的である。人間の愚かさ、醜さ、いい加減さをあますところなく描き尽くし、なおかつ突き放していない。そしてそのどうしょうもなさからこぼれおちるのは、人間という生き物の魅力である。生きているということは、嘘をつき、間違いを犯し、罪を犯し続けることだ。イプセンはそのことを厳しく断罪しながら、少しも否定はしていない。強く告発しながら、容認してもいるのだ。
ホヴスタ
ここにいるのはみんな民主的で進歩的な人民です。彼らはいい加減な、嫌味な真実には慎重なのです。彼らは冷静な分別ある心で真実を検証する。そして実証された確かな真実を受けて入れる。それが健全な考え方というものです。
ストックマン
なかなかうまいことを言うね、ホヴスタ君。しかしいかにも実態のない言葉だ。じゃ聞こう。多数が承認し、受け入れる実証された確かな真実とは何かね、真実とは常に最前線にあるものだ。血みどろの戦いで勝ち取るものだ。何の努力をせずにあちらから転がりこんできた真実に一体、どんな意味があるというんだね。
いま私たちの目の前に出現したドラマは、なにやらイプセンの「民衆の敵」をお子様ランチのようにしてしまうかのようだ。百条委員会という怪しげな委員会によって退職させられた斎藤元彦と、政治的リングでヒール役であった立花孝志によって、日本の民主主義、日本の政治、日本のマスコミ、そして日本人が鋭く深く暴かれていく。
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