自殺へと追い込まれていく子供たち
毎週のように痛ましい子供たちの自殺が報じられる。未来の時間が前方にいっぱい広がっているのに、追いつめられて生命をたっていく子供たち。この子供たちの自殺の基因をなすのがいじめである。はげしくいじめられていく。子供たちはいじめの天才ある。そのいじめの思想はどんどん進化していく。品川にある荏原中延中学校の三年二組では、いま福島から転校してきた少女を、次のような三段階のステップを組み立てて自殺へと追い込んでいこうとしている。
民主主義を実現させるためのステップ1
そいつはクラスから嫌われている。そいつがいるだけで教室の空気がどんよりと澱んでしまう。息ができないばかりに悪臭がただよう。そいつは呪われた国からきた放射能だらけの危ないやつなんだ。そいつを消そう。そいつがいなくなれば、放射能は除染され、悪臭は消え、クラスは明るくなり、みんながハッピーになる。社会科の時間で民主主義の原理を学んだ。民主主義の目的は、最大多数の最大幸福を実現させることにあるという。英語では「The greatest happiness of the greatest number」というらしい。そこでうちらは民主主義を実現するために、そいつをクラスから追放する三段階のプロジェクトを立ち上げた。
第一段階は徹底的にそいつを無視するという作戦である。だれもそいつと口をきいていけない。徹底的に無視する。無視するだけなく、大げさに手をふってホコリやチリを払いのける仕草をしたり、悪臭を吹き飛ばさんとバタバタと下敷きで煽ってみたり、鼻をつまんであわててとびのいたりする。そんな示唆行動だけでなく、きもいんだよ、うざってんだよ、たのむから消えてくれよと、ささやき、つぶやき、ときにははっきりと面と向かって愛のメッセージを伝えてやる。お前はクラスを腐敗させる、呪われた国で生まれた腐ったリンゴなんだから、最大多数の最大幸福のために学校にこないでくれる、と。
民主主義を実現させるためのステップ2
しかしこいつは意外にしぶとい。しぶとく学校にくる。呪われた国に生まれ、人殺しのパパに育てられたやつはしぶとくできているんだ。そこで民主主義を実現させるプロジェクトのレベルを上げて第二段階に突入する。第二段階はアクティブに攻撃をしていく。そいつの持ち物を襲撃していく。そいつのノートの全ページに、死ね、死ね、死ね、死んでくれ! というメッセージを書き込み、教科書はカッターナイフでメタメタに切り裂いてしまうのだ。そしてそいつのバックを給食室の外に出してある残飯を入れたポリバケツのなかに投げ込む。同時にそいつの肉体に打撃を加える攻撃もスタートさせる。顔面をひっぱたき、髪の毛につかんで引き倒し、全員でそいつに蹴りをいれていく。トイレに連れ込み、たわし、モップ、ブリキのバケツなどの武器を手にして、そいつの肉体に叩きこんでいく。しかしそいつはしぶとい。泣きもせず、痛いと叫びもせず、しぶとくたえている。とんでもないモンスターだ。このモンスターを消すために、プロジェクトは第三段階に引き上げる。
民主主義を実現させるためのステップ3
学校の屋上に連れ出して、うちらの民主主義を実現させるプロジェクトが最後の段階に入ったことのセレモニーを行う。そいつを金網の前に立たせて、クラス委員がうちらのメッセージを読み上げる。お前は人を殺したパパの子どもであり、そのパパはいま刑務所に入っている。お前は自分の正体をよくみてくれ。お前は犯罪者の子供なんだ。もともとお前は呪われた国に生まれた、生きている存在の意味がない人間なんだ。それはうちらのクラスでよく証明されて、お前もよくわかったはずだ。お前はこれから生きていたって、どこまでも日本の空気を汚し、人々を不幸にしていく存在なんだから、ここであっさりと生命を断ってしまった方がいいのだ。生命を断つなんて簡単だ。その金網をよじ登って、そこから飛び降りればいい。それでお前の人生は完成する。さあ、旅立ってくれ、民主主義を完成させるために旅立ってくれ。
合唱コンクールの課題曲「旅立ちの歌」を歌ってお前を送り出すことにする。お前が屋上から飛び降り、生きていく意味のないお前の生命にピリオドを打ったとき、ついに民主主義の「The greatest happiness of the greatest number」が完成するんだ。
自殺へ、自殺へ追い込まれていく子供たち。こういう子供たちを救い出さんとする今日の思想は逃げなさいである。そんな学校に行く必要はない、君を苦しめ、君の存在を否定するような学校にいく理由などまったくない。君が君となっていく道はいくつもある、だからそんな学校から逃げなさい。
しかしこのプロジェクトは逆である。逃げるな、戦えである。どんなに苦しくとも、逃げずに戦えなのだ。いじめとは君が君となる試練なのだ。だから戦え。「最後の授業」はいじめと対峙した物語ある。「悪魔のように現れた日本英語」のなかにも壮絶ないじめにあっている少女の物語がある。あるいは「ゼームス坂物語」のなかには幾編にもいじめのことが語られている。それらの物語をいま自殺せんとしている子供たちに届けたい。その一冊を手にした子供たちのなかに、戦う新生な血液が流れこんでいくだろう。
一九七三年に一冊の雑誌が刊行された。日本の教育を転覆させんと遠山啓らが創刊させた「ひと」である。このムーブメントは深く大きく広がり、ついに文部省は「ゆとり教育」へと一大転換させた。ところがこの「ゆとり教育」への非難は年々激しく(教師たちからも)、ふたたび転換されて、もとの学力向上、テストの点数をあげる教育になってしまった。この「ゆとり教育」というネーミングは、それまでの「詰め込み教育」に対比する言葉として捻出されたのだろうが、日本の教育の大転換を伝えるキャッチフレーズとしては劣悪のコピーだった。
遠山啓たちが起こしたムーブメントの本質は「ゆとり教育」などといった甘ったれたものではなく、「教え込む教育」から「教え込まない教育」に転換させることであり、教壇に立つ教師が生徒たちに教授する「一方通行の教育」ではなく、生徒と教師がともに作り上げる「双方向の授業」であり、いってみれば日本の教育を天動説から地動説へコペルニクス的転回させることだった。二千枚を費やして描いた「ゼームス坂物語」四部作はこの問題と対峙した物語であり、さらに「ゲルニカの旗」でもその大転換の本質が書き込まれている。
子供たちが虐待されている。その数が年々上昇している。日本の子供たちは、なんと六人の一人が貧困状態にあると統計されている。いったい子供たちの世界に何が起こっているのか。子供たちは訴えている。子供たちは叫んでいる。大人はその声を聞き取っているのか。子供たちの権利となにか。子供の権利条約ではこう記されている。
Article 12
1 States Parties shall assure to the child who is capable of forming his or her own views the right to express those views freely in all matters affecting the child, the views of the child being given due weight in accordance with the age and maturity of the child.
2 For this purpose, the child shall in particular be provided the opportunity to be heard in any judicial and administrative proceedings affecting the child, either directly, or through a representative or an appropriate body, in a manner consistent with the procedural rules of national law.
Article 13
1 The child shall have the right to freedom of expression; this right shall include freedom to seek, receive and impart information and ideas of all kinds, regardless of frontiers, either orally, in writing or in print, in the form of art, or through any other media of the child's choice.
2 The exercise of this right may be subject to certain restrictions, but these shall only be such as are provided by law and are necessary:
a. For respect of the rights or reputations of others; or
b. For the protection of national security or of public order (ordre public), or of public health or morals.
《しかしこのとき私は、はじめて吉森がどんなに深く傷つき、どんなに深いところで懸命に戦っているかを、まるで電流に打たれたように知るのだ。吉森のなにか苦しみの底から叫んだその声は、私の心臓を突き破るかのようだった。
こうして吉森が訳した「子供の権利条約」が、私たちの新聞に毎日連載されていったのである。この新聞はいまでも私の手もとにあって、それをいまも取り出してみるのだが、例えば、子供たちの表現の自由をうたっているところは、
第十二条──ぼくたち私たちは、自分たちの考え方やこうした方がいいということをしっかりと発表することができるのだ。このことを大人たちはぜったいにじゃまをしてはいけないのだ。
第十三条──ぼくたち私たちの考えや、こうした方がいいという意見を、みんなに発表したり、手紙をかいたり、壁新聞で出したり、新聞とか作文集にしたり、また絵とか彫刻とかにして発表してもいいのだ。このことをみんながまもってやらなけばならない。そしてぼくたち私たちの意見とか考え方を、ほかの町や村の子供たちに伝えたり、外国の子供たちに伝えたりして、自由に交流してもいいのだ。そのことをまただれもじゃまをしてはいけない!
その吉森訳は、二十七条あたりで終わってしまったが、もしそれが全文訳されていたら、子供によって訳された権利条約として、子供の文化史といったなかに燦然たる偉業として残っていただろう。権利という言葉のなかには、戦ってかちとるという意味がある。その部分をしっかりと訳するために、「……しなければならないのだ」「……することができるのだ」といった強い表現を試み、それでも足りないところは、言葉を繰り返すなどの工夫をしている。もちろん子供の文章だから稚拙であったが、しかし子供の権利条約の核心をしかととらえているという点では、これほど見事な訳はないと思うのだ。
もともとこの子供の権利条約というものは、戦争が生み落としたものだった。二十世中葉に、ヨーロッパとアジアで第二次世界大戦とよばれる大規模な戦争が起こった。おびただしい子供たちが虐殺されていく。その惨状を目のあたりにした一人のポーランド人が、戦争の最大の犠牲者である子供たちを救い出そうとして、その条約の骨子をつくっていったのだ。子供の権利条約とはおびただしい血が流されたなかで生まれた、まさに血で書かれた条約だったのだ》