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私の父

 坂北村はかつては陸の孤島などと呼ばれる貧しい村だった。作物が生育する梅雨の時期から夏にかけて、ヤマセと呼ばれる冷たい風が流れ込んでくるから、毎年冷害に苦しめられる。働いても働いても村は豊かにならない。だからこの村で生まれた子供たちの大半は、成人すると村を出ていった。しかし菅野健太はちょっと違っていた。

 納屋の横に廃車にした軽トラックが置いてあった。中学一年生のとき彼はこの車のエンジンをばらして、新しい部品などを装填して組み立て直した。スイッチを入れると死んでいたエンジンがブルブルと起動した。それからというもの片っ端から納屋のなかに収納されている農機具──田植え機、トラクター、コンバイン、刈払機、草刈り機、動力噴霧器、水田耕運機と、農家にはたくさんの農機具がある──をばらしては組み立て、ばらしては組み立てるという遊びに熱中した。すっかり機械に精通した健一に、近所の農家からトラクターが動かなくなった、田植え機の調子が悪い、ちょっとみてくれるかと声がかかるほどだった。

 彼が進学したのは工業高校だった。健太の両親は失望した。農業を継いでくれたらというのが彼らの本心だったのだ。しかし両親は一度もそのことを口にしたことはなかった。ヤマセが駆け抜けていく坂北村の農業は、どこまでいっても貧しさから抜け出すことはできない。そんな農業を継がせるよりも、村を出て豊かな生活ができる道を歩むほうがいいに決まっているのだ。
健太が高校の三年生になったときだった。菅野家に思いもよらぬ話がもちこまれてきた。菅野家に隣接する農家の主人が倒れてしまったのだ。子供は三人いたがみんな都会にでてしまっている。彼らはもう村に戻ってこない。もう農業をたたむので農地を引き取ってくれないだろうかという話だった。菅野家は大家族だった。それでも自分たちの農地だけで手一杯だったから持ちこまれたその話に戸惑っていると、高校三年生になった健一が声を上げるのだ。その畑、おれがやる、おれにまかせて。

 三年生になると職員室の掲示板に次々に企業の求人ポスターが貼り出されていく。自動車や農機具メーカーのポスターも貼られる。健太が工業高校に進学したのは、そんな会社に就職してエンジニアになることだった。いよいよ進路を決断しなければならなくなったとき、彼のなかで深い迷いが生じていたのだ。就職するとは坂北村を出ていくことだった。エンジニアになるということは農業を捨てることだった。三人の妹たち、父と母、おじいちゃんにおばあちゃん、それのひいじいちゃんにひいばあちゃんがいるあの大家族をだれが引き継ぐのか。納屋に並んでいる何台もの農機具が故障したとき、いったいだれが修理するのか。山麓から村道までの広大な農地を、いったいだれが引き継ぐのか。それは自分しかいない。そんな思いが彼の心のなかに攻め寄せていたのだった。

 彼は子供のころから農作業をしていた。中学生になるとトラクターや田植え機やコンバインを動かしていた。彼は一度も農業が嫌だと思ったことはなかった。トラクターが好きだった。勇敢に、大胆に、力強く耕作していく。田植え機が好きだった。まるて織物を敷きつめるように広大な田圃に苗を植えこんでいく。コンバインが好きだった。黄金の穂波を刈り取り、一瞬のうちに脱穀し、刈り取った稲をくるりと束ねて、大地に返すように放り投げていく。

 父が機械のメカニズムに心を奪われたのは、それらの農機具にあった。農業とは農機具を自分の手足として駆使していくことだった。農業者になるにはこれらの農機具の機能に精通していなければならない。つねにそれらの道具を最上の状態に整備しておかなければならない。彼が工業高校に進学したのはそういう内なる声があったのである。だから農業をたたむ隣家から田畑のことが持ち込まれたとき、「おれがやる。おれにまかせて」と宣言したのは、自分の内なる声に気づきその言葉を発したのだった。


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