中世的世界の形成 石母田正
中世的世界の形成 石母田正
本書はかつて伊賀国南部の山間地に存在した庄園の歴史である。一つの庄園の歴史をたどりながらそこに大きな歴史の潮流をさぐりたいということは、久しい間の私の念願であった。日本の歴史の大きな流れをその全体性において把握し叙述するということはいうまでもなく、その発展の諸特質についてさえ明確な観念をもつにいたらなかった私には、まず一つの狭い土地に起った歴史を丹念に調べることよりほかに全体に近づく方法はないように思われた。この場合無数の庄園のなかで関係古文書のもっとも豊富な庄園の一つであり、かつ平安時代から室町時代までの長い時代を生きつづけた東大寺領伊賀国黒川庄はもっとも適当な研究対象であった。
しかし本書において庄園の第一義的問題は地代や法の問題ではない。庄園の歴史は私にとって何よりもまず人間が生き、闘い、かくして歴史を形成してきた一箇の世界でなければならなかった。いかに関係古文書が豊富であっても、所詮それは断片的な記録にすぎず、庄園の歴史を一箇の人間的世界の歴史として組立てるためには、遺された歯の一片から死滅した過去の動物の全体を復元して見せる古生物学者の大胆さが必要である。この大胆さは歴史学に必須の精神である。
しかしこの大胆さを学問上の単なる冒険から救うものは、資料の導くところにしたがって事物の連関を忠実にたどってゆく対象への沈潜と従来の学問上の達成に対する尊敬以外にはない。本書もそれが学問上の著作たろうと期する以上、この二つの精神をうしなわないように努めたつもりである。
しかし本書の目的は本来庄園の発展史の分析ではなくして、むしろそれの歴史的現象を叙述するところにあった。この叙述的方法はいたるところで分析的構成的方法によって中断されており、全体としての調和は全くほころびてしまったが、この破綻はいかようにもなし難いものとして諦めざるを得ない。かかる不調和な叙述ではあるが、私がこの庄園の歴史の研究から多くのものを学び得た如く、年少の友人たちが本書によってわれわれの祖国の古い歴史がけっしてそれほど貧困なものでないことを学んでくれることを希望している。
学窓を出て七年も経ながら、ようやく一巻の貧しい著作を世に問うことが出来たということは私の怠惰を示すものである。しかしこのことさえ私にとっては多くの人々からの援助と好意なくしては考えることも出来ないことであった。これらの人々からの忘れ得ぬ愛情と好意に対して、私はこの一冊の書物を献げることよりほかに応えるすべを知らない。しかし今はこの書物をもって郷里に独り住む母を訪ねる時の悦びで一杯である。
昭和十九年十月