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われらが汚した海と大地と人間を    いったい誰が蘇生するのか      君よ、日本のマーク・トウェインとなれ


 

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 風が唸っている。外は猛烈な吹雪だった。ケータイが鳴り出した。商品を運び込んでくるドライバーからの電話に違いない。降り積もる雪で道路が消えてしまって、配送できないという電話なのだ。大雪が降るたびにそういう事態になった。手を伸ばしてケータイを取ろうと朦朧とした意識の中でもがいていると、呼び出すことをあきらめたのかケータイは切られた。
 稲穂は一世紀を生きた老人だった。老人は昨日のことはさっぱり忘れてしまうが、何十年前のことをありありと蘇らせることができる。夢のなかにも遠い過去のことが鮮明にあらわれてくるのだ。ケータイの発信者は、商品を配送するドライバーからのものだと朦朧とした頭の中で思い浮かべたシーンは、なんと七十年前の話しだった。原発が爆発して坂北村に死の灰が大量に降り注ぎ、全村民が避難させられた。彼女の一家は東京に移住した。しかし二十六歳のとき、坂北村に帰還してコンビニエンスストアーを開いた。赤字続きのストアーだったが、坂北村が復活していく拠点の一つになっていった。
 これが死なのだろうか。人がこの世を立ち去るとき、その人生のすべてが一瞬のうちに回想されるというが、その生を織りなした人々がランダムに次々にあらわれてくるのだ。生の炎が消えかかっている、その炎を消すまいとするかのように。

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 軽トラックが森の中を走っているシーンがあらわれた。運転しているのは坂北村の伊藤村長だ。ヤマセに苦しむ村に、ビニールハウス栽培農業を導入して、豊かな村に変革していった村長だった。敬老センターと保育園を共存させた「希望の家」と名付けられた建物があらわれる。村長は車をその建物の前で止める。全村民避難となってその建物にも人の気配はない。村長は奇妙な風体をしている。初夏だというのに厚手のオーバーを着て、毛糸のマフラーまで首に巻きつけているのだ。助手席のドアをあけ、灯油をいれたポリタンを取り出す。そのポリタンを右手で左手でと持ち替えながら、その建物の正面玄関へと向かっていく。その玄関には前庭といったスペースがあり、そこで村長は灯油を全身に注ぐと、オーバーのポケットからマッチを取り出した。マッチ棒を箱にこすりつけると一瞬にして火が燃え上がり、村長の全身が火だるまになった。そのシーンがまるで目撃したかのようによぎっていくのは、彼女はそのシーンを短編小説に刻み込んでいるからだった。

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 泣いている母があらわれた。体の底から絞り出されるような嗚咽を上げ、ごめんね、ごめんね、と妹に謝っている。福島県は原発事故後に子供たちを対象にした県民健康調査が行われていた。その調査に稲穂の妹に陽性の反応がでたのだ。再度精密検査すると腫瘍は十ミリ以上に成長して、他のリンパ筋に転移しかねないハイリスクにあると診断され、小学三年生の頸に執刀のメスが入れられることになった。そのことを母は妹にあやまっているのだ。それは母が死の灰を甘く見ていたということなのだろうか。死の灰は目に見えない。においもない。どこにも姿を見せない放射能が、牙をむいてわが子に襲いかかってきたということなのだろうか。国も福島県も原発事故との因果関係はないと否定する。しかしそのとき母は立ち上がったのだ。福島県、さらには近県の放射性物質で汚染された地帯の住むすべての子供たちを、汚染されていな地での長期留学と保養させるという体制を国に構築させるための戦いを。

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 稲穂の父があらわれた。山奥でブルドーザーを起動させている父が。弁当を届けにいった彼女が大声で叫ぶと、父はエンジンを止めて不愛想な顔をむけて軽く手を上げた。その手がありがとうという父の言葉だった。父と娘がもっとも深く交流していたときのシーンである。三年の刑を果たして出所してきたその夜、父は「明日、おれは坂北村に帰る。あそこでまた農業をはじめる。おれは農夫だった。おれが生きる道は農業しかない。そのことを刑務所のなかで気がついた馬鹿者なんだ」と四人の子供たちに告げると坂北村に帰っていった。しかしその地で再び農業をはじめるには、広大な山林に降り積もった放射性物質を除去しなければならない。父はその作業に取り組んだのだ。この狂気の沙汰としか思えぬようなことをはじめたのは、田畑を包み込むように横たわる山林の所有者だったこともある。その領土に立っている木立を皆伐して、降り積もった放射性物質を全面的に除去──除染ではない、村民を欺いたその言葉をもうそのときの父は使わなかった──するという途方もないことをはじめた。だれもがあの男は頭がおかしくなったと言った。

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 工業高校出身の父は機動する車には精通している。だからショベルカーや木材裁断機やブルドーザーを運び込んでの格闘だった。それは危険な作業だった。放射線量測定装置は始終警報音を発する。原発事故が起こってからすでに十年近い月日がたっているがあちこちにホットスポットが点在しているのだ。内臓が破壊されるばかりの高濃度な線量だ。防御服を着ての作業だった。そんな父の前に一人の男が訪ねてきた。そしてその人は父に言った。ただちにその作業を中止しなさい。坂北村にとって東京電力はいわば最大の敵だった。安永はその最大の敵である東電で、原発事故処理の指揮をとっていた人物だった。そんな人物が東電を退職して坂北村に移住してきたのだ。最大の敵は最大の友になるということなのか。安永は父と組んで坂北村から全面的に放射性物質を除去するという驚くべき事業体を起立させた。その事業体をスタートさせるためにいくつものハードルを越えなければならなかった。その最大のハードルは、坂北村を放射性物質に汚染された土砂や廃棄物の聖地にすることだった。安永は坂北村の住民一人一人に会ってその事業を説明していく。しかし住民からはげしく罵倒される。聖地だって、ふざけるな! 坂北村を放射性物資に汚染された土壌や廃棄物の永久貯蔵基地にするということだろう。お前たちの事業の本当の目的は、原子力開発と原子力事業をさらに拡大をするために、坂北村を核のゴミ捨て場にするということなのだろう。住民たちの怒りは言葉だけでなく、石だって投げつけてくる。その攻撃を安永は土下座して耐えている。その姿が夢にあらわれてきた。

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「草の葉ライブラリー」より近刊

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