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最後の最後まで、君は真の革命児でした

弔辞  唐牛健太郎を悼む  島成郎

 
 私は遠く南島にありながらも、この一年間唐牛の生涯のなかでも最も親しく身近につきあえることができましたが、彼の癌との闘いの日々は、医者でもある私にとって、まさしく驚嘆すべきものでした。彼は自分の肉体を冒している病いから少しも目をそらすことなく冷静精確にみつめ、この闘いに自ら積極的に参加しました。
 
 最初の手術から死に至るまで、彼の主治医となった癌センターの小山靖夫先生をはじめとする医師団は、日本最高の医療技術をもって治療にあたりましたが、医師──患者という関係以上に唐牛を愛し、一緒になって癌と闘う姿は、同じ一人の医師として心うたれるものでした。
 
 そして彼の側には昼夜わかたず看病を続ける真喜子夫人がいました。また彼の病いを知って連日のように激励にかけつけた数多くの友人たちがいました。唐牛よ、君は恐れることなく、悲愴がりもせず、しかも驚く程強靭な意志で全力闘いを続けました。しかも私たちには、いつもと全く変りない笑いをみせ、癌ときいて逡巡する私たちを逆に励ましさえしました。そんな唐牛の姿は、同じ病にかかり死の恐怖に脅かされている患者たちにとっても大きな希望でした。
 
 しかし、昨年の三月の手術の後、一時快方にむかい、沖縄・喜界島まで足をのばし、再び酒をくみかわすまでに至った彼の身体の全身に癌が転移をはじめ、十一月には急速に容態が悪化、再び癌センターに入院するに至りました。以来医師団は不眠不休の態勢で治療にあたりました。そしてその努力と私たちの祈りににた期待も空しく、三月四日午後八時二十三分、静かにその生涯を閉じたのでした。享年四十七歳。
 
 病院の霊安室で私は最後の対面をしましたが、君の顔はほんとうにきれいでした。美しく爽やかでありました。かすかな笑みをうかべているようでもありました。唐牛よ、この最後の一年の日々は、君の四七年の生涯のなかで最も充実した生であり、最も唐牛らしい闘いだったと私は思います。
 
 死の直後、深い悲しみの中にありながら、真喜子夫人は「健太郎の二四時間の看護を続けたこの一年ほど楽しかったことはない」といっておられましたが、その言葉は唐牛にとっても真実であったかも知れません。
 
唐牛よ
君の生命は最後の一瞬まで光り輝いていました。
君はその生を生き抜きました。
そして人々を心から愛しました。
こよなく酒を愛しました。
最後の最後まで自由に闘いを続けた真の革命児でありました。
唐牛よ
君は、私たちにとっていつも生きる勇気を与えてくれる人でありました。
しかしいま、君は先に逝ってしまった。
残された私たちはこれからも、もがきながら生き続けなければならない。
唐牛よ
そんな私たちをいつもその笑顔で笑いながら見守っていてくれ
唐牛よ、健太郎よ、さようなら。
              

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