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翼よ、あれが巴里の灯だ

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「note」に記事をどんどん書き込んでいけば、《スキ》なるものがどんどん飛んできて、夢や希望が実現していくかもしれないと人は「note」に上陸してくる。しかし現実はそうではなかった。「note」にのめり込んだ人ほど深く傷ついて「note」から立ち去っていく。一方、《スキ》なるものが何十何百と飛んでくる記事を投稿している人に与える傷は多大だ。なぜなら「note」の世界で《スキ》が飛んでくる記事とは「なにも考えさせない文章」であり、先日「ウオーデン」が投稿した「本物と偽物」の中で山岡洋一さんが書かれた「お馬鹿さん」たちに読まれる文章を書いていかねばならないからだ。《スキ》なるものが何十何百と飛んでくる記事を書き込めば書き込むほど、ああ、彼らの才能は荒廃し破壊されていく。本物の創造をしたければ「note」などに上陸してはならないのだ。創造とは深い沈黙のなかで行われる火の格闘によって生まれてくるものなのだ。
 しかし本物の創造をしようと開墾者たちは「note」に上陸してくる。そこで「note」の創業者や運営者に、具体的に実現可能なプランとして提案するのが、二つのオプション制だ。二項目のいずれかを選択させて会員登録をしていく。

一 《スキ》をあなたの書き込む記事に設定する。
二 《スキ》をあなたの書き込む記事に設定しない。

 こんな提案が実現する日が来るのだろうか。その日が来ると信じてその日まで「ウオーデン」は、書き込む記事の冒頭に次のような警告板を掲げておくことにする。

「ウオーデン」は《スキ》を投じることを拒絶するサイトです。
「ウオーデン」に《スキ》を投じることは、
「ウオーデン」がこの土地に棲息する権利を侵害することです。
「ウオーデン」には《スキ》を投じで下さい。

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翼よ、あれが巴里の灯だ  高尾五郎


 カタカタカタカタとタイプライターが激しく叩かれ、チーンと行が突き当たる音が苛立つように響き渡るなかで幕が上がっていく。ニューヨークのソフォーに立つマンションの一室。戦前に建てられたその建物はどっしりとしていて、その部屋も重々しい色調に装飾されている。部屋の奥には開閉式の大きな窓があり、その窓からマンハッタンの高層群がみえる。時は深夜である。しかし間もなく朝が夜の帳をひきはがし、一九八二年の晩秋のニューヨークがその窓から見下ろせる。
 レリーズ・ジョブスは寡作な作家だが、しかし長い月日をかけて書く一作一作には力があり、新作が発表されるたびに長文の書評がでるほどだった。五年前に世に出した「ある晴れた日に」はピューリッア賞の候補になった。しかしその作品を書いたあたりから彼女はまったく小説が書けなくなっていった。彼女の存在そのものを打ち倒すばかりの危機に見舞われたのだが、しかしその長いスランプから立ち直って、五年をかけた大作をとうとう書き上げた。あとはその作品の冒頭に載せる謝辞を書き上げればいいのだ。それで彼女を蘇生させる創造が完結する。最後のピリオドを一瞬がきた。この戯曲はその最後の暖間の物語なのだ。

 黒くがっしりとした無骨な年代物のタイプライター。その無骨なタイプライターを叩いていたレリーズは、ぴしりとタイプ用紙を引き出して、その紙片にうちこまれた文章をよみあげていく。

「一九五二年に刊行したアン・リンドバーグの『海からの贈り物』は素晴らしい成功をおさめた。彼女はこの本によってアメリカの読書社会に、空の英雄リチャード・リンドバーグ夫人としてではなく、アン・リンドバーグという知性が存在することを刻印した。それは実際見事な作品だった。アメリカ文明は、行き着く所に行き着いたあとの混迷と虚脱がおとずれた。ありあまるほどの物質で埋めつくされた豊かさの底にのぞく虚無の深淵。人々は生きる指針というものを見失っていったのだ。そのときあらわれたこの本は、人間は人間の時間を取り戻さなければならないことを静かに語っている。この本は少しもすたれることなく人々に読まれ、さらに次の世代へと読み継がれていくだろう。アメリカの良心であり、アメリカの知性であり‥‥ああ、なんなのこれは。何を書いているというの。これじゃまるでアンの本の書評じゃないの。まあいいわ、それで‥‥この本は現代のバイブルと絶賛されるまでの評価をえている。実際、ため息がでるばかりに文章は美しい。言葉は詩のように光っている。しかしこの美しい言葉の裏に、おそるべき事件を隠していたとしたら。この美しい言葉の背後におそるべき悪魔を隠していたとしたら、この本はいったいどのような読み方をすればいのだろうか‥‥そう、そう、これよ、これを書くためだったのよ、いいわよ、これでいいの‥‥いまここに投じられる一作は、その美しい言葉の背後に隠された驚くべき事件を暴くことなのだ。アメリカの英雄の銅像の首にロープをかけ、アメリカの神話を引きずりおろし、打ち砕くことなのだ。いまこの書を世に出すことに私は恐怖で震えている。しかしこの書はアンを打ち砕くことではなく、アンを裁くことでもなければ‥‥いいわ、これでいいのよ。アンを奈落の底に落とすことでもない。なるほどこの本の登場は衝撃である。彼女を深い悲しみのなかに突き落とす。しかし私の衝撃も深くまた悲しみも限りなく深い。オイディプスは、ついに恐ろしい真実を目撃した。あまりの恐ろしさにオイディプスは、自分の目を快りとってしまった。しかし作家は書かねばならない。どんなに恐怖に襲われても、どんなに迫害されようとも作家は、その目でみたものを書かねばならない。たとえアンを残酷に打ちのめしても‥‥アン、アン、アン、アン! いったい何を書こうというのよ。謝辞でしょう。感謝の言葉でしょう。簡単なことじゃないのよ。ありがとうと書けばいいことじゃない。私を支えてくれた人々に、ありがとうって。それでいいじゃない。私はいつでもそうしてきた。出版社がきまり、その契約を交わす日に、アドバンスの小切手と引き換えに、この謝辞を渡す。そしてシャンペンをぽんと抜いて、みんなで乾杯をする。私の本を大海原に送り出す儀式。船の進水式みたいなものよ。私の船よ、私の本よ。読書社会という大海原に颯爽と乗り出しておくれ。そしてきるならばベストセラーとなって戻っておいでというセレモニー。もう長く辛い仕事は終ったの。いまはただこのセレモニーを待つだけ。そのためにありがとうと書けばいいことじゃないの。ありがとうと書いた短文をジャックに渡せばいいことじゃないのよ。アンのことはもういいの。アンのことは、もうたっぷりと本文のなかに書いてあるんだから。

(彼女はいま打ち込んだ原稿をびりびりと破り、そして時計をみて、絶望的な声をあげる)

「ああ、三時十二分。あと七時間もない。ちょっとは眠らなくては。昨日も寝てない。おとといも寝てない。この一週間、睡眠ゼロの快進撃。まったくよくも眠れない日が続くものだわ。何十錠睡眠薬を飲んでもききめなし。睡眠薬って逆に意識を覚醒させていくのよ。人間っていったい何日眠らないでも生きていけるのかしら。いまあたしはその実験をしているみたいなもんね。でももう終り。この謝辞を書き上げたら、ぐっすり眠れる。うじゃうじゃしてた頭のなかがすっからかんになって、よく眠むれるわよ。眠ってない顔なんて悲惨なもん。ばりばりにこわばった顔で彼らに会えないわよ。ジャックは、十時に、ブック・オブ・マンスリーの重役をつれてやってくるわよ。そこで契約書を交わし、私は五百枚になんなんとする原稿と、このいま書き上げる謝辞を渡すと、し、彼らは二百万ドルの小切手を差し出す。すっからかんになった私の生命をつなぐ糧道。その小切手を受け取り、契約は完了する。それから進水のセレモニーのはじまり、はじまり! シャンペンはたっぷりと冷やしてあるのよ。それをぽんと景気よく抜いて、グラスにとくとくとくと注いで、乾杯、ポンボヤージュ! グラスをかちんかちんとぶつけて、それからすすすすすと啜る。あの冷たい液体、田畑を潤す水のように、喉を流れ落ちていくあの悪魔の水。もちろん私はその一杯で終りよ、それ以上手をださないわよ。私の体質はもう酒を受けつけないの。そういう体質になっているのよ。これから取り組まなければならない仕事がいっぱいあるの。ノンフィクションを書いていると、猛烈にフィクションが書きたくなった。まるで石油が噴出すみたいに私の中からあふれてくる。彼らは叫んでいるのよ。生み出してくれって。生み落としてくれってね。二百万ドルの小切手を手にしたら、もうニューヨークを、おさらばね。モンタナあたりの田舎にコテージを構えて、あふれ出てくフィクションに立ち向かうのよ。それが私の本当の仕事。レリーズ・ジョブの仕事。アルコールなんかにおぼれるひまはもう私にはないの。

 それにしてもジャックは俗物になったもんだわ。あたしが電話を入れたら、レリーズって、どこのレリーズだって。とんだご挨拶だわ。アイオワのレリーズよといったら、ああ、あのレリーズかだって、もう過去形よ、旧石器時代に生きた人物にみたいに、原稿を書き上げたのよ、取りに来てきてくれないって言ったら、いまはそんなドイナカくんだりまでいく暇はないんだ、昔と違うんだって、ふん、いつもアイオワに飛んできたくせに。あなたの作品は全部おれにまかせてくれ、書き上げたら真っ先におれに知らせてくれ、飛んでいくからってひれ伏すようにいったのに。ニューヨークよ、ニューョークのソフォーにいるのよ、ここなら車でひとっ走りでしょうって言ったら、だったら君がここにきてくれ、君こそひとっ走りでこられるだろうって、またムカつかせる。しかし今はムカつくわけはいかないから、彼のオフイスにいったわよ。さんざん待たしてやがって、やっと私を部屋に呼び入れたら、分厚い原稿の束にぎょっとなって、これはまた大作を書いたものだなあ、しかし長ければいいってもんじゃない、今の読者は長いものは嫌がるんだ。それに文学というものは売れない。とくに君の書くような文学はね。いやいや、もちろん君の才能は高く買っているよ。とにかく君の才能はピューリッア賞もんだからな。その才能は高くかっている。しかし本当にいま文学が売れないんだって、だらだらと嫌味たっぷりまき散らしてあしらおうとするから、私はかあっとなったけど、いまは彼にすがる以外にないから、とにかく作品に目を通してみてよって、あいつにひれ伏すように言ってしまったのよ。ものすごい自己嫌悪に陥ったけど、もう私の財布はすっからかん、このままアドバンスがなければ、来月からホームレス。いまは彼にたよる以外にないから原稿を彼の机に上においてきたのよ。

 そしたらよ、ジャックたら、なんと翌日、ここに飛んできたわよ。部屋に飛び込んでくるなり、レリーズ、なんて君はすごいものを書いたんだ。恐るべきものを書いたんだ。いいかい、レリーズ、これがどんなに凄い作品か、わかっているのか。一挙にベストセラーだ。ベストセラー街道を幕進するよ。これはアメリカの英雄を、アメリカの神話を、完膚なきまで打ち砕く本だ。あのリンドバーグ・ジュニアの誘拐事件が起こったとき、アメリカがこの事件に一色になったらしい。新聞の一面は連日その報道で埋まり、アメリカの英雄の息子はどこにいる、われらの息子をみんなで探そうという大キャンペーンがアメリカの中から沸き起こったらしい。あの事件がアメリカ人にとって、どんな大事件だったってことぐらいおれたちのせだいにもよくわかっている。あの誘拐犯人がリンドバーグその人だったなんて、まさか、こんなことがあるのか、まさに落雷が頭上に落下したってことだな。おれは思わずバスルームに駆け込んで顔を洗ったよ、こいつは夢を見ているんじゃないのかってね。しかし夢じゃなかった。これが真実だったんだ、おそるべき真実だったんだ。レリーズ、きいてくれるか、ちょっと出版社の感触をみようと、それとなくスクリブナー社のダンに探りの電話をいれてみたんだ、この作品をちらっとちらつかせた、ほんのさわりをね。そしたらに、すぐにいいやがったよ、おい、ジャック、今日昼飯で一緒食わないかってね。ついでにハリー社のボブにも電話を入れてみた。ボブのやつもすぐに飛びついてきて、うちで出すよ、うちで出させてくれってね。これは凄い争奪戦になるぞ。どんどん値がつりあがっていく。十万か、二十万か、三十万か。いやあ、レリーズ、君はまったく凄いものを書いたんだって、ジャックったら興奮しまくったわよ。だから私は熱くなっていく彼に水をかけるよう言ったの。

 そうよ、これはすごい本よ。あなたが考えている以上に、世界をアッと言わせる本なのよ。だから敵も必至になって戦ってくるわよ。敵といっちゃおかしいけど、アン・リンドバーグ、四人の子供たち、それに政財界に名をなす錚々たる一族、彼らが一斉に立ち上がって、この本を攻撃してくるわよ。敏腕の弁護士を何人もたてて、何十億ドルもの慰謝料を要求してくる。この作品に取り組むってことは、そんな戦いがはじまるのよ。その覚悟ができているのかっていったら、ジャックはからからと笑って、そんな訴訟が怖くて本がだせるか。大歓迎だね、そんな訴訟が巻き起こるのは、本をベストセラー街道に走らせる人のつてなんだよ。そんな騒動が起これば、いよいよ君の本は売れていく。そんなことは少しも恐れることはないって、いよいよジャックは景気よくラッパを吹き鳴らす。私は逆にどんどん冷えていく。それは私がずうっと抱いて不安。書きながらずうっと戦ってきた恐怖。それがどんどん膨れ上がっていく。それで私は興奮しまくっているその不安と恐怖をジャックにぶつけたの。

 ジャック、ちょっとあなたに私の作品の最初の読者として聞きたいんだけど、私はもちろんこの作品に絶対の自信をもっているわよ、これが真実だという確信があるのよ。でももしかしたらこれは真実じゃない、こんな恐ろしいことが真実であるわけがないっていう不安にいつも攻め立てられるのよ、恐怖のハリケーンとなって襲いかかってきて、私をカンカラみたいに吹き飛ばすのよ。カンカラがカランカランと空っぽの言葉をまき散らして吹きとんでいくみたいに。ねえ、ジャック、あなたに聞きたいのだけど、もしこれが真実でなかったとしたらも、あなたはどうするの。ただ売るためにでっち上げたフィクションであり、真実のストーリーでないとしたら、いやそこまで私は卑劣じゃないわよ、そこまで私は堕落していないわよ、そこまで私の文学は強欲じゃないわよ、しかしこういうことがあるでしょう。私の本質は作家よ。作家とは嘘の物語をでっちあげていくことなのよ。私はもともとノンフィクションの作家じゃない。私はフィクションの作家なのよ。このノンフィクションのなかにフィクションが紛れ込んでいく。真実を描くために作家はより深い真実を描くために嘘をでっちあげる。嘘こそ真実を描くのよ。だからこの作品は壮大な嘘の作品だってということになる、結局私が描いたのは、厳しく真実を追求したノンフィクションではなく、作家の頭の中で、そのストーリーを面白くするために仕組んだ、つまりでっちあげた、三流のフィクションだと。そんな悪質な批評にさらされるかもしれないと、さらにジャックに水をかけるようにいったら、レリーズ、自分を見失いなわないでくれ。君は真実をつき止めるために六年という月日をかけたんだろう。何千キロもの取材の旅にでて、ヨーロッパにも渡った。夥しい人間たちへのインタビューが百冊のノートに書き留められていると言った。君はひたすら真実に到達していく道をあるいてきた。君はとうとう真実という月に到達したんだよ。それだけじゃない。この作品で君は、リンドバーグ事件の誘拐犯として処刑されたハンプトンを救い出したのだ。すでに処刑台に消えたにハンプトンはよみがえらない。しかしハンプトン夫人は生きている。この人は二十年にわたって夫の無実の訴えてきた、まさに夫の無実を晴らすための人生を生きてきた、そのアンナ・ハンプトン夫人に、ついに勝利の月桂冠を与えることになる。この本はそれだけでも実に英雄的な本なんだよ。そうよ、これはアメリカの犯罪をあばく本なのよ。いかにアメリカの裁判が、いかに不法な裁判をなして無人の人間を処刑台に立たせたかを徹底的に暴く本なのよ。さあ、書きあげろあげろ、おそれることなく書き上げろ!」

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《草の葉ライブラリー》近刊  高尾五郎著「翼よ、あれが巴里の灯だ」

リンド7

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