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アーサー・ミラーの戯曲  菅原卓

あんり3


アーサー・ミラーは、一九一五年生れであり、四七年の「みんな我が子」が、最初の問題作だとすれば、戦後作家であり、十年作家でもある。現に、その十年の間に、彼の発表した作品(戯曲)は四本であり、イプセンの「民衆の敵」の劇的整理を行ったのと、戦時のルポルタージュと小説、及び数本のラジオードラマを除けば、他は未発表作品ということになる。

問題はその四本の作品に絞られ、ここに作家としてのミラーの全貌が浮び出されることとなる。従って、この四本を収録して、全集と呼んでも、それはおかしくはない。しかし、どこまでも今日までの全作品と言うべきであろう。今後発表される作品がさらに追加されてくれば、更に意味を増すことになるのは明かである。

今日までの彼の代表作は、「セールスマンの死」(四九年)であり、問題の作品は、「るつぽ」(五三年)であろう。前者は、戦後の世界戯曲の中でも、傑出したものの一つであり、定評を得ている。何がそれほどに、この作品を、世界の戯曲界の問題としたかといえば、それは、社会と個人との永遠の課題に対して、作者の熱情が燃えたぎり、今日では稀にしか発見されない、「悲劇」の高さまで高揚し得たからにほかならない。

彼の作劇上、師と仰ぐものは、イプセン劇であり、ギリシャ劇である。今日に生活する者としての意欲と正義感を、如何に、戯曲作品の中に盛りこむかを、イプセンに学んでいる。そして、人間の本体と、劇的な本質を、ギリシャ劇に学ぼうとする。そして、彼の諸作品を読むと、その勉強ぶりが、正しい意味で、次々に効果を発揮しているのがよく判るのである。

アーサー・ミラーは、今日のアメリカの良識を代表するものだといえる。非米活動委員会での彼の答弁などを見ると、実に真剣であり、ユーモラスであり、苛烈であり、面白い。彼の持ち味というものが実によく出ている。それは、とうぜん、彼の作品の中に発見されるものでもある。

彼の思想の根底にあるものは、社会は動きつづけている、という信念であろう。彼の作品の価値は、この動きつづけ、動かしうる社会が、いかに個人及び集団の生活に影響してくるかを、時と場所を超越して、うち出し得ていることである。

ノーマルな人間像を描出したのでは、今日的な作品は出来上らぬと見られたりする。ところが、彼の作品に登場する人物は、それぞれの意味で、はなはだノーマルなのである。ノーマルな人間像を描いて、文学的な高さを発揮し得る術は、ギリシヤ劇に学んだものかもしれない。その意味で、彼の作劇術は、人間の永遠性を追求することが主眼となってくる。しかも、それが動きつづける社会との関連で描き出されている。

彼の戯曲作法上の特質は、積み重ねの妙を発揮することにある。押しの強さと見ることも出来るが、決して、強引なものではない。はなはだ理論的であり、跳躍の妙を心得た手法でもある。と同時に、作品の内容によって、それぞれの手法が決定され、同一の手法を決して繰り返してはいない。四つの作品は、それぞれのタッチまでも、はなはだ異っている。「セールスマンの死」で見せた、回想の妙は、あの場合に考えられた手法であり、二度と顔を出してはいない。

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