壮大な史劇にして雄大な政治劇に取り組むための素材集 13
イプセンの「民衆の敵」を翻訳した笹部博司氏は、この劇についてこう評している。
「民衆の敵」は、エンターメントとしても申し分なく、コメディとして最高で、人間ドラマとして一級で、なおかつ政治劇、社会ドラマとしてもきわめて深く、本質的である。人間の愚かさ、醜さ、いい加減さをあますところなく描き尽くし、なおかつ突き放していない。そしてそのどうしょうもなさからこぼれおちるのは、人間という生き物の魅力である。生きているということは、嘘をつき、間違いを犯し、罪を犯し続けることだ。イプセンはそのことを厳しく断罪しながら、少しも否定はしていない。強く告発しながら、容認してもいるのだ。
ホヴスタ
自分だけが正しい、後はみんな間違っているという独善で、あなたは詭弁を弄しておられるのではないですか。われわれのすべてが欺瞞だとおっしゃるのなら、その欺瞞の実態を具体的にお話になればいかかですかな。
ストックマン
そういうなら丁度いいのがあるよ、ホヴスタ君、君のところで出している新聞がそうだ。大衆の意見とか支持という後ろ盾をでっちあげて、何でも黒を白と言いくるめてしまうじゃないか。
ホヴスタ
中傷だ!
ストックマン
庶民とか大衆、一般村民、民衆という文字が安売りされている。そこに正義や変革をくっつける。民衆こそ社会の主人である。民衆の良識こそ、社会の根幹をなすべきである。そして人民という輝かし言葉に到達する。人民の人民による人民のための政治こそ、人類の目指すべき理想である。その実態は? 今ここで怒号をあげ、手を振りかざして、口笛をふき、足を踏み鳴らしている。
ビリング
この野郎!
ホヴスタ
こんな暴言を許すな。
怒った声
冒涜だ、冒涜だ!
民衆
あんな奴、
叩き出せ!
つまみ出せ!
追い出せ!
いま私たちの目の前に出現したドラマは、なにやらイプセンの「民衆の敵」をお子様ランチのようにしてしまうかのようだ。百条委員会という怪しげな委員会によって退職させられた斎藤元彦と、政治的リングでヒール役であった立花孝志によって、日本の民主主義、日本の政治、日本のマスコミ、そして日本人が鋭く深く暴かれていく。