雪が降ると子どもたちの太陽の登る前に出撃する
第15章 玖珠高原の四季 帆足孝治
ソリ遊び
九州という言葉には何となく暖かい南国を思わせる響きがあるが、山間の地である玖珠盆地は、冬になると九州とは思えないほど冷え込み、もともと湿度の高い所なので雪も多い。私が子供だったころは四〇センチくらい積もることも珍しくなかった。
雪が降ると遠くの硫黄山や湧蓋山はもちろん、近くの万年山(はねやま)や大岩扇、小岩扇、宝山などといった盆地を囲む山々も真っ白に雪化粧して、晴れ間がのぞくとそれでなくても清冽な空気はますます清々しく冴えわたって、いいようもないほど美しい景色になった。
上ノ市ではそんな朝、子供たちがまだ太陽が昇る前から部落の共同墓地へ上るお稲荷様の坂道を上って行き、昨夜降った真新しい雪を踏み固めてソリ遊びの準備をする。そうしておいてから学校にいくのである。杉山に囲まれた陽当たりの悪いこの坂道は、こうしておくと踏み固めておいた雪が自然に固まって、ツルンツルンに滑るようになる。午後、学校から帰るころにはこの坂道は堅く凍って絶好のソリ滑り場と化すのである。
ソリをつくるには、まず長さ五○センチ、幅一〇センチほどの杉板二枚を全く同じに舟形に削り、その曲面に釘で半割りにした竹を打ちつける。これがソリを滑らせるエッジになるのである。
この二枚の板を約四〇センチほどの幅をもたせて平行に立てて、これにミカン箱の蓋などを利用した杉板を渡すように、前から順に釘で打ちつけていく。板を五枚か六枚打ちつければ大体ソリの台が出来上がる。一番前の部分にはソリの幅から両端が五センチほどはみ出るように三センチほどの角材を打ちつけ、その左右にはみ出た部分に馬の手綱のように紐を結びつける。滑るときはこの紐を左右に引っ張りながら、ソリの前方左右に出した両足でソリをコントロールするのである。右を強く引きながら左足で地面を蹴るようにすれば、ソリは右へ曲がる。田舎の子はたいてい小さい時から鋸や金槌は使い慣れていたから、ソリ作りはそう難しい工作ではなく、材料さえあれば男の子なら簡単に作れた。
その辺りはかなり急な坂道で、上の方のお稲荷様のところで急にカーブし、さらにその上は勾配がもっと急になっていた。ふつう小さな男の子たちはお稲荷様の下から滑って遊んだが、小学校の上級生や中学生になるともっとスリルを味わうために、お稲荷様の上の方の、さらに勾配がきつくなっている辺りまで上り詰め、そこから勢いよく滑り下って行くのを好んだ。私は自分のソリがないので他人のソリを借りて滑ったことがあるが、あまり上の方から滑るとスピードがつき過ぎてコントロールが難しくなり、しばしば右側のうちの畑に突っ込んだりした。一度などは、この畑に突っ込まないように気を配り過ぎたために、逆に左側の杉山に突っ込んで激しく立ち木に衝突してソリを壊してしまった。
うまく滑って、いったん下まで滑り降りてしまうと、今度はまたソリを引っ張ってガチンガチンに凍った坂道を上まで上らなければならない。これが大変な苦労で、上から凄い勢いで滑り降りてくるソリにはね飛ばされないように、またこれを邪魔しないように、しかも滑りこけないように気をつけながら坂道の端っこを上っていくのである。間違って途中で滑りこけでもしようものなら、途中には引っ掛かるところもないので、折角上ってきた坂をころんだままの姿勢で一番下まで滑り下ってしまうことになり、そうなっては大変である。下手をすると滑りこけた自分だけでなく、道端を上ってくる他人をも巻き添えにして滑り下ってしまうことになるから、他人に迷惑をかけないようにするためにも細心の気配りが必要である。
ソリ滑り遊びがいよいよ興じてくると、元気のいい子供たちは普通の滑り方では満足できなくなり、やがて二人乗りや三人乗り、さらには立ち乗りなどふざけた滑り方もするようになる。こうなると失敗するときも派手で、道から大きく飛び出したり、転覆したりした。よく一度に二人も三人もがソリから投げ出されたままの無様なかっこうで、上の方からずっと下まで無人のソリと同じ速さで一緒に流されて来たりした。