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樫の木子供団

 午前中、森閑としている児童館は、小学一、二年生があられる一時頃からざわざわしてきて、高学年がやってくる三時頃になると、もうどたばたぎゃあぎゃあと騒がしいことこの上なくなる。児童館職員もまた駆け回る子供たちのなかに入って、ときにはサッカーや卓球の相手になったり、紙芝居をしたり、本を読んでやったり、またあるときは工作をしたり、絵を画かせたり、ゲームをしたりと忙しくなる。
 しかしそれは別に強制されたものではなく、気が向かなければなにもしなくてもいいのだった。児童館の仕事というのは、手を抜こうと思えば、いくらでも手が抜ける。そのことが逆にとても怖いのだ。
 弘はこの仕事に就いたとき実にはりきっていた。児童館に遊びにくる子供たち一人一人と真剣につきあおうとした。卓球をするときは、その子を強くしたいと思ったり、工作活動で子供たちがのってくると、もっと面白いものをつくろうと自費で材料を買ってきたり、本を読む活動をはじめると本格的な読書会をつくろうとしたり、子供たちを自然のなかに連れだそうと日曜日をつぶして野外活動をしたり。
 しかしいざ一段高いレベルをめざした活動に取り組もうとすると、必ずつまずくのだった。とにかくいまの子供たちは忙しい。クラブ活動に、塾に、習字に、そろばん教室に、ピアノにと、習いごとがもり沢山だった。その忙しい間隙をついて、ふらりと児童館にくる。そんな子供たちとなにか定期的な活動をしようとしても、なかなか子供たちはのってこないのだ。児童館にくるのは、子供たちにとって息ぬきの場所であった。そこでまたなにか活動をはじめられたら、たまらないということなのだ。
 したがって児童館の職員は、なるべくなにもしないほうがいいということになる。遊びの道具を管理したり、怪我をさせないように見張っていたり、いってみれば児童館の管理人という地位に徹すればいいのだ。事実そんなふうに我れと我が身を規制してしまった仲間が、弘の周囲にはたくさんいた。そういう仲間をみると、自分はあんなふうにはなりたくないなと思う。
 しかし弘もまた結婚して、二人の子供ができると、だんだんいやだなと思う人間に、なにか限りなく安易な仕事をしている部類の人間になっていくように思えた。どっちみちなにをしても子供たちはのってこないのだし、むしろそんな無駄なことを試みるよりは、その情熱を学生時代から続けていた外国の童話の翻訳や、自分の童話づくりといったことに注ぎ込もうと思うようになっていた。そんなときに高志の死に出会ったのだ。
 高志の友人や学校の先生たちから寄せられた作文を編集し、追悼集をつくる作業をしていたとき、おれは裏切り者だという言葉がしきりに弘のなかに突き刺さってきた。あのとき彼がたくらんだ、いわば理想の種子である子供会には、たった一人の子供しかやってこなかった。それだけの理由で、あの活動を止めてしまった。一人もこなかったのではない。一人きたではないか。高志がきたではないか。なぜそのことに気づかなかったのだろうか。なぜあのとき高志とその活動をはじめなかったのだろうか。
 そうだった。児童館職員として、なにか限りなく安易な道を歩きはじめている生活から抜け出していくには、まず自分から子供たちのなかに飛びこんでいかなければならないのだ。それなのに子供たちのせいにしている。創造力をかきたてる子供に出会わないとか、無責任な子供たちとなにをはじめても無駄だとか、子供たちの背後にいる母親たちはどうしょうもないとか嘆いてばかりいる。そうではなかった。魅力的な子供たちと出会いたかったら、まず魅力的な活動をつくりだすための努力をしなければならないのだ。そういう努力もしないで、ただ嘆いてばかりいるだけだ。いつからおれは、こんなおろかな人間になったのだろうと思うのだった。
 夏が近づいてきた。夏休みに「自然観察教室」とタイトルをつけた活動を展開する。しかしその年、弘は「自然観察冒険教室」と名前をかえた。ほんとうはそのものずばりに冒険と遊びだけの活動をする「冒険教室」としたかったのだが、そうすると母親たちにアピールしにくいのだ。母親たちを納得させるにはどこか勉強的なイメージをにおわせていなければならない。そこで仕方なく自然観察のあとに冒険という言葉をつけた。
 昨年までの「自然観察教室」は、ほぼ一週間おきに六回の活動で組み立てられていた。しかし例年とはちがった意気ごみで企画した弘は、その期間を二日ほど延長して八日間にしようと思った。というのは、その活動の目玉としてキャンプが組まれていたが、それは毎年一泊二日という日程だった。しかし一泊二日ではなにもできない。現地に到着するだけで半日を費やしてしまう。キャンプ場に入ったら、すぐにその日の夕食づくりをはじめる。夕食が終ると就寝だった。そして翌日は、もう朝から帰り支度だった。そんなあわただしいキャンブでは意味がないと、志しを同じくする他の児童館の職員と組んで、本庁の社会教育課にねばりづよくはたらきかけてみた。その結果、弘たちの熱意が実って、その年度からはじめて二泊三日のキャンプが許されたのだ。そこにはもちろん条件がついていた。安全対策に万全を尽くすという条件が。
 七月の第三週の土曜日に、児童館で開校式を行い、その後フィールドを大井埠頭に移して、植物観察、海岸で海の生物観察、野鳥公園での野鳥観察、さらに林業試験場の森公園で木立の観察と、それぞれ専門の講師を招いて、自然観察を行うのはそれまで通りだった。そしてその教室の最大のイベントである二泊三日のキャンプは、八月の初旬に西丹沢で行い、八月の後半には報告集を作って、九月の上旬に閉校式を行うというのが、その全体のスケジュールだった。
 この企画に取り組む弘の情熱は、同僚たちにも刺激をあたえ、児童館全体がひどく活気にみちていった。子供たちの募集をはじめると、またたくまに定員四十人が埋まった。
 今年は魅力的な子供たちが集まってきた。弘は活動をはじめると機会をみつけては、これはと思う子をつかまえて、さかんに吹き込むのだった。
「とっても楽しいんだ。わくわくしてくるんだよ」
「なんなの、それ?」
「つまりさ、森のなかに基地をつくるわけだよ。木の上に小屋をつくったり、いかだを組んで、川をぐんぐん下っていったり。よく絵本なんかにあるじゃないか。子供たちだけの冒険の旅とかさ、みんなで無人島にいって、そこで子供の国をつくっちゃうとかさ」
「まあ、それは絵本だからできるんで」
「そんなこと、できっこねえだろう」
「なあ」
「狂ってるよ、この人」
「君たちはどうしてそう思うんだ。なにもしないで、できないなんてきめつけるなよ。いいかい、君たちにはすごい力があるんだ。君たちの力を思いっきりだせば、どんなことだってできるんだぜ。そこは子供たちの国だ。子供たちの自由と解放の国なんだ」
「きたよ」
「きてる、きてる、完全にきてるよ」
 と子供たちは弘をひやかす。子供たちはどこまでも冷静というか、醒めているのだ。
 とうとう西丹沢でのキャンプの日がきた。子供たちが四十人、児童館の職員三人、大学生と高校生のボランティア三人、それに父母たちが三人ほどが同行して、玄倉川渓谷にある静かなキャンプ場に入っていった。緑がまばゆいばかりだった。葉にさしこむ光がおどっている。空気はひきしまって清涼だった。せせらぎの音が、静寂を洗うように川からたちのぼってくる。
 玄倉川はさらさらと流れていた。子供たちは川遊びが好きだった。何時間でも水とたわむれている。子供たちの生命が躍動する。きらきらとした声が、渓谷に響きわたっていく。
 次の日は上流探検だった。川をどこまでもさかのぼっていくのだ。ばしゃばしゃと子供たちは歓声をあげて川を横切り、岩をのりこえていく。川幅が広がり、水位を深くしているところでは、泳いだり、ロープをはって渡っていく。泳げない子や、低学年の子は、職員や大学生がおぶっていく。足が痛いとか、捻挫したとか、岩で切ったとか大袈裟に騷ぎたてる子がいたりした。そのたびに弘は励ます。
「そんなもの、怪我のうちにはいらないよ。そんな傷なんて、このきれいな水がすぐに直してくれるよ」
 広い河原にでた。その河原でラーメンづくりをはじめた。流木や枯木を集めて、火をおこす。マッチをすれない子がたくさんいた。そういう子が毎年ふえていく。焚き火を起こすのは、なかなかむずかしい作業なのだ。しかしその作業は子供たちを興奮させる。苦心滲瘡のすえにあちこちで火が燃え上がった。石でつくったかまどの上に、大鍋をのせる。ふつふつと沸騰すると、そのなかに、どどっとインスタントラーメンを投げこんでいく。ぐつぐつとしばらく煮込んでスープを入れる。あっという間にできあがった。そのラーメンのうまいことといったらなかった。みんなおかわりおかわりと飛んできて、たちまち鍋の底がみえた。

 その夜は、キャンプの最大の行事であるキャンプファイヤーだった。上流探検からもどってきた弘たちは、さっそく手分けして、その準備にとりかかっていた。そのときだった。泰彦があわてた様子でかけこんできたのは。
「先生、大変だよ。シゲッポが」
 シゲッポとは、三班にいる五年生の山田繁という子だった。
「シゲッポがどうしたわけ?」
「木から降りれなくなったんだ」
「木から降りれなくなった?」
「とにかく、ちょっときて下さい」
 その木は、キャンプ場からちょっとはなれた木立の繁みのなかに立っていた。森の王者のようにすくっと立っていて、なるほど登ってみたいという誘惑にかられるようなとても気品のある樫の木だった。
 見上げると、ざわざわとしげった葉のなかに繁がいて、さらにその上の枝に幸治や守がとりついていた。彼らの姿が葉群に隠れるばかりの高さだった。よくもあんな高いところまで登ったものだ。弘はすっかり感動していた。
「おーい。シゲッポ。ゆっくり降りてこれないのか」
「それがぜんぜんだめなの。こわくて足がでないんだって」
 一番てっぺんの枝にとりついている幸治が叫んだ。なにやらその声は、天からふってくるような響きがあった。
 よくあることだった。みんなに励まされて必死になって登っていく。ひたすら上へ、上へと。そして最後の枝にやっとのことでたどりつき、そして下を見る。はるか下に地面がある。目もくらむばかりの高さに胆をつぶしてしまうことが。
「シゲッポ。一人で登ったんだから、一人で降りてこれると思うけどな」
 樹上でも守や幸治が、さかんに繁を勇気づけている。しかしそのたびに逆に繁は木にしがみついている。
「勇気をだせよ。シゲッポ。降りることは、ずっと簡単なんだよ」
 と下から弘が叫ぶ、守も幸治も同じ言葉で励ます。
「簡単なんだぜ、シゲッポ」
「勇気をだせって」
「声をだしてみろよ。大声で叫んでみろよ」
「声をだしてみろって」
「大声で叫べって」
 繁のすぐ上の枝にいる守が、弘にむかって叫びかえしてきた。
「先生、声もでないんだって」
「そうか。声もでないのか」
 弘は思わず笑ってしまった。するとかたわらに立っていた泰彦が、非難の目をむけて、
「笑ってる場合じゃないと思うけど」
「うん、そうだね」
 その泰彦が、さっぱりらちがあかないことにしびれをきらしたのか、また木に登ろうとした。弘はあわてて止めると、
「ちょっと待って。ぼくが登っていくから」
「先生、登れんの」
「馬鹿なことを言うなよ。こんな木ぐらい」
 太い幹に蔦がからみついていた。この蔦をつたって子供たちはこの大木に登っていったのだ。弘は蔦にとりついた。足をからめてよじ登ろうとするが、たちまち掌が痛くなって、ずるずるとすべり落ちた。体重をささえ、さらに上へとひきずり上げていくには、弘の掌の皮も、体力も、筋肉も絶望的に退化しているのだ。
 太い幹から突き出した枝にたどりつくまで六、七メートルはある。とてもそこまで登っていくことができないことをさとって、よじ登ることをあきらめると、また上にむかって声をあげた。
「シゲッポ、勇気をだしてみろよ。勇気をだしてそろそろと降りてこいよ」
 しかし彼は、そんな声をかけられるたびに、かえってすくみ上がっていくかのようだった。もう間もなく日が暮れていく。なんとかしなければ。
「シゲッポ。もう日が暮れていくんだ。あたりは真っ暗になるんだ。そんなところで夜を過ごすなんていやだろう。下を見るなよ。勇気を出して、しっかりと木にしがみついて、降りてくればなんてことはないんだ。すぐにわかるよ。降りるほうがずっと簡単だってことがさ」
 天辺にいた守がするすると降りてきた。その軽快さはまるで猿のようだった。なんと機敏でしなやかなのだろう。まったくうらやましいかぎりだった。
「シゲッポのやつ、枝にしがみついて、泣いているんだ」
 と弘に報告する。
「そうか。困ったな」
「ロープをつかったらどうかな」
「それもちらっと考えたけど、ロープをつかうのってむずかしいんだよ。上でしっかりとささえなければいけないし」
 そうだ、名取という大学生がいる。彼ならばこんな木などわけなく登っていけるだろう。そうひらめいた弘は、
「よし、待っててくれよ。いまロープと、大学生をよんでくるから」
 キャンプ場にもどり、山道のわきに駐車してあるワゴン車からロープを取り出し、名取を探していると、泰彦がものすごい勢いで、山のなかから駆け下りてきた。
「落ちちやったよ! 幸ちゃんとシゲッポが!」
「落ちた、転落したってこと?」
「二人とも、どかっと」
 弘もまた斜面を駆け上がり、樫の木のところにとんでいくと、幸治が野獣のようなうめき声をあげていた。かたわらで繁がうずくまり、守がなすすべもなく呆然と立っていた。
 弘がキャンブ場にきているあいだに、幸治と繁が一緒に降りるということになったらしい。まず幸治が先に降りていく。そのあと幸治の肩に繁の足をのせるようにして降りていく。そんな話になって、まず幸治が降りはじめた。しかしすっかりすくんでいる繁はなかなかふみだせない。そこで幸治はあらっぽく彼の足をひっぱった。すると繁はバランスを失って、するっと幸治の上にすべり落ちてきて、繁の直撃をうけた幸治もたまらず、相次いでどんどんと地面に墜落したというのだ。
 繁のほうは奇跡的に、ただの打撲傷という程度のものだったが、ひどいのは幸治だった。ぼきんという鈍い音が、山のなかに響きわたったらしい。運びこんだ病院で、二か月の重傷だと告げられたとき、一瞬弘の目の前がまっくらになってしまった。
 幸治と繁を収容した大井松田の病院に、二人の母親が到着したのはもう十時近かった。幸治の母親が運転する車に、繁の母親も同乗して品川からかけつけてきたのだ。
 病室で弘がそのときの様子を説明すると、二人の母親はまるで犯罪を糾弾するかのような調子で、
「どうして木登りなんてことをさせたんですか。そんなことやるなんて、あの説明書にははどこにも書いてありませんでしたわね」
「いや。子供たちが勝手に登ってしまったものですから」
「勝手に登ったって、子供ですもの勝手に動きまわりますよ。それをきちんと、これはいけない、こんなことをしてはいけないんだと管理するのがあなたがたの役目でしょう」
「まあ、そうですが」
「していいことと、してはいけないことを、最初に子供たちにきちんと言ったのですか。木登りなんていう危ないことは、絶対にしてはいけないって」
「はあ」
「いえね。先生……」
 と繁の母親が受けとって、
「私たちは木登りをさせるななんて言っているのではありませんのよ。都会の子は木登りなんてことしたことありませんよね。そういう子に木登りをさせるなら、順序といったものがあるんじゃないかということを言っているんです。まず安全な木登りの仕方といった講習からはじめていくとか」
「そういうことになりますか」
「怖くて降りれなくなったなんて、どのくらいの高さなんですか?」
「七、八メートルはあったでしょうか」
「ぴんとこないけどどのくらいの高さなの」
「ビルの三階にもなりますか」
「まあ、なんて恐ろしい。あなた、ちょっと打ちどころが悪かったりすると死んでしまうじゃないの」
「ほんとうに危険なことだわ。いったいこんな危険なことをさせるこのキャンプってなんなのですか。こんなことをさせるんだったら、最初から参加なんかさせませんよ」
「自然観察教室なんて書いてあったけど、自然を観察することじゃないんですか」
 その後に冒険という言葉がついているのですがなどと、その場ではとても言える雰囲気ではない。弘はいよいよ小さくなるばかりだった。
 こうして弘は、二人の母親から徹底的に攻撃された。弘はひとことも反論できなかった。とにかく幸治は、二か月もの重傷なのだ。反論などできるわけがなかった。弘はその事件があってから、もう子供会のことを子供たちに語ることをぱたりとやめてしまった。とにかく母親たちのパワーは巨大だった。このパワーにとても立ち打ちできるものではない。子供たちを安全と管理という安全地帯のなかに追いこんでいったパワーは巨大なのだ。
 日本の学校から危ないという理由によって、鉛筆を削るナイフが追放された。海で泳いではいけない、川でも泳いではいけない、釣りにいってはいけない、集団で公園で遊んではいけない、喧嘩をしてはいけない、木に登ってはいけない、柿をとってはいけない、手を洗わずに食べてはいけない、自転車で遠くにいってはいけない、と子供たちのエネルギーをことごとくそぎとっていった。そしてその情熱をどこに向けさせたかというと勉強だった。勉強すること、テストによい点をとること、通信表の成績をあげることに子供たちを迫いこんでいったのだ。
 弘がやろうとしていることは、その逆のことだった。禁止事項が充満した安全地帯から子供たちを引きずりだし、子供らしい撥刺とした世界に解放することだった。そんな子供の世界をつくりだしていくには、まずこの母親たちのすさまじいパワーを突き破り、突き抜けていかなければならなかったのだ。弘はこの活動をつくりだしたとき、このパワーを突き破ろうとしていたのだ。しかしそんな意欲もあの病室で完璧に打ち砕かれてしまった。
 またもや挫析だった。完全な敗北だった。結局自分には子供会をつくる力はないのだと思うばかりだった。
 新学期が間もなくはじまるというときに、守、幸治、繁、泰彦の四人組が児童館にやってきた。幸治は松葉杖を使っていたが、そのフレームをじゃまだとばかりに放り出して、ぴょんぴょんと片足で飛んだりはねたりしている。
「もう外に出ても大丈夫なの」
「うん」
 と幸治はこたえる。
「そうか。もうすぐ学校だものな」
「まあね」
「おれたちが幸ちゃんのカバンをもっていってやるんだ」
「なあ」
「なあ」
 と四人でうなづきあっている。
 四人組は広い部屋に入って遊びはじめた。幸治は片足でぴょんぴょんと飛び回って、ときにはマットの上でレスリングまでしている。まったく子供の回復力はすごいものだ。なるほど子供にとって怪我というものは勲章のようなものだった。怪我をすればするほど子供はたくましくなっていく。そして危険から自分を守ることができる子になっていくのだ。ギプスをはめながら飛びはねている幸治をみていると、犯罪でもなしたような暗い気持ちがずうっと心のなかを占めていたが、そうではないのだとこのとき思うようになっていた。
 館を閉める時間になっていた。四人組はまた弘のところにやってきてあれこれと話しかける。そして、お前言えよとか、お前が言うことになっていただろうとなすりあっているのだ。弘はいやな予感がした。またなにか母親たちに言われてきたのだろうか。あの事故のことでまだなにか弘の落度を責められるというのだろうか。
「なんだい? 君たちらしくないな。言いたいことがあったらはっきり言えよ」
 すると幸治が切り出してきた。
「あのさ、あれはどうなったわけ?」
「あれって?」
「愛と理想の共和国」
「自由と解放の子供の国」
「ああ、あれか」
「言ってたじゃないか。子供会のこと」
「ああ、君たちにもその話をしたんだっけ」
「あの会をつくろうよ。あれ、おれたちつくりたいわけだよ」
 そういうことだったのか。弘はちょっとにやりとしてしまった。しかしすぐに困ったことだと思った。あれはもう弘のなかでは、すっかりしぼんでしまっている。しぼむどころかもうあんな夢はみまいと誓ったのだ。もうそんなものをつくる情熱はあとかたもなく消えていた。
「その話はさ、幸治がちゃんとなおってからにしようよ」
 と弘はにごしてしまった。そのうちにそんな話も忘れていくだろう。しかしそんな手を使うことに、ちょっとうしろめたくなった弘は、
「それよりも、幸治のそのいやなギブスがとれたら、みんなでケーキを食べにいこうよ。全決ケーキパーティってわけだよ」
「おごってくれるわけ」
「うん。とってもうまいケーキ屋さんをみつけたんだ」
 新学期がはじまってからも、四人組は頻繁にやってきた。そして弘の近くで、あのことをぼくたちは忘れてはいないのだとばかりに、
「子供会にさ、ノンタが入るって」
「ノンタって?」
「二組のさ」
「ああ、あいつ」
 とか、あるときはまた、
「野村と佐々木が子供会できたら入るって言ったけど、どうしょうか」
「あいつら、ちょっといやだよな」
「でも入りたいって」
 と弘に聞こえるように話すのだった。
 弘は子供ってなんて巧妙なんだろうと思うのだ。しかしいくら巧妙に誘いかけられても、もう冷えきった弘の心は動くことはなかった。彼にはその問題の結論はでているのだ。
 九月の下旬に幸治のギブスがとれた。その日、四人組は飛ぶように児童館にやってきた。幸治は、ほら、大丈夫だよと、飛び箱から飛びおりたり、マットの上で派手にころがったりしてみせる。弘はひやひやしながらも、子供の回復力と生命力のたくましさに感嘆するのだった。
 この日は、児童館を閉めると、待たせていた四人組を連れて大井町のケーキ屋に連れていった。小さな店で、テーブルがたったの四つしかなかった。その一角に五人はすわると、子供たちはみんなチョコレートケーキを選んだ。
「それに飲物は、なににする」
「飲物もいいわけ」
「ちょっと高いよな」
「安給料の身にはこたえるだろうな」
 などと言うやさしさがあるのだ。そういうやさしい心にふれると、いよいよ弘はおごりたくなる。
「いいよ、なんでも。コーラでも、ジュースでもさ」
 そのジュースがやってくると、
「みんなで乾杯しようよ」
「かんぱい!」
 と全員が叫んで、グラスをぶつあったる。そして子供たちは、ぺちゃくちゃ喋りながら、けらけら笑いながら、なんだかすごい勢いでケーキを食べはじめた。そのとき口をもぐもぐさせながら、幸治が切り出してきた。
「先生、あの話はどうなったわけ?」
 彼らは忘れてはいなかったのだ。ここまできたら、もう弘は逃げることはできない。彼の心のうちを正直に話す以外なかった。弘はコーヒーをまたすすってから言った。
「ほんとうのことを言うと、あの転落事件があるまで、ぼくは絶対に君たちと子供会をつくろうと思っていたんだ。今年あの教室に参加した子供たちはものすごく魅力的だったからね。こんな子供たちとなら、絶対にできると思ったんだ。でもあの事件があって、ぼくは君たちのお母さんにすごくおこられたじゃないか。お母さんたちがおこるのは当然だと思ったんだ。ぼくはあのときなにもできなかった。木にさえ登れなかったんだからね。あのときぼくがシゲッポのところまで登っていけたら、あんなことにはならなかったんだ。木にさえ登れないぼくに、どうして子供会などつくれるのだろうと思ったんだ」
 そのとき幸治が弘をさえぎって、
「おれ、あのとき、うちの馬鹿ババがさ」
 と言ったので、みんながばがばと笑った。
「先生のことさ、ぎゃあぎゃあ言ってたの聞いてたけど、おれ、あのときさ、ほんとうにまくらを投げつけたいと思ってたんだ」
「ぼくもそう思ったよ。先生は少しも悪くなかったんだ。悪いのはぼくなんだ」
「そうだよ。あれはおれたちが勝手に登ったわけだし」
「一番いけないのは、ぼくが降りれなくなったからなんだ」
「いや、シゲッポに登れ登れって言ったぼくたちが悪かったんだ」
 弘はそうかと思った。あれからこの子たちが、頻繁に児童館に姿をみせるようになったのは、ただ遊びにきただけではなく、迷惑をかけた弘に彼らのやり方で償いにきていたのかもしれないと思った。そしてしきりに子供会をつくろうともちかけているのは、いわば弘にかりた借りを、子供会をつくるということで返そうとしているのかもしれないと思った。それは考えすぎのようにも思えたが、しかしなんだか子供たちのなかにそんな意志がかくれているように思えるのだった。
 弘の心がちょっとぐらついていった。子供たちはさらに弘を動揺させるように、
「子供会ってさ、いろんなとこにいくわけでしょう?」
「そうなんだ」
「ぼくたちが計画していくわけでしょう」
「そうだよ。学校のキャンプみたいなものじゃなくて、君たちが独自の計画をたてて、君たちが独力でやりとげていくんだよ」
「おれたちさ、あそこにもう一度いきたいんだよね」
「あそこって、西丹沢にか」
「そう、もう一度あの木に登りたいんだよ」
「えっ!」
「シゲッポがさ、もう一度挑戦したいって言うんだ」
 なんという子供たちなのだろうと弘は思った。弘は自分がひどく恥ずかしくなった。彼の頭にあったのは、彼らの母親のことだった。彼らの母親から浴びた攻撃のことだった。彼らの母親と二度とかかわりたくないから、撤退したのだった。子供たちはあの親たちとは、全然別のところで生きていた。子供たちはまっすぐに物事をみつめている。そして弘が考えている以上にこの子供たちはたくましく賢いのだ。
「そうか、シゲッポはもう一度挑戦したいわけか」
「もうぼくはぜったいに降りれるよ」
「うん。降りれるさ」
 弘のなかではげしく動くものがある。この子たちともう一度やってみる価値があるかもしれないぞ。この子たちのあとについていけば、おれはなにか高みに出ていけるかもしれないぞ。弘のなかでうねっていく波をかくしながら、まだまだその手にはのらないぞという調子で、新しいカードを投げてみた。
「あのさ、もし君たちがほんとうに子供会をつくりたいのなら宿題をだすから、こいつをやってきてくれるかな」
「げえっ!」
 とみんないっせいに蛙がつぶされたような声をあげた。
「宿題はパス」
「宿題はごりんじゅう」
「そうだよ。宿題はごりんじゅう」
 四人は、しゅくだい、しゅくだい、ごりんじゅう、と大声で合唱をはじめた。せまい店内のことだから、部屋がこわれるばかりに響く。店内の視線がいっせいに弘たちに集まった。
「まあまあ、ここは後楽園ドームじゃないんだから。でもほんとうに君たちがやってみたいなら、宿題をやってこなくちゃいけないな」
「まあ、いいっか。それで宿題って?」
「まずさ、子供会の名前をなににするかを考えてくるんだ。二番目にさ、どんな活動をしたいか、つまりどんなことをその子供会でしていくか。そして、そうだな。やっぱりみんなではじめていく以上、みんなが守らなければならない最低のルールってものがあるわけだから、そんなルールを考えてくること。それとさ、まだまだいっぱいあるけど、まあいいっか、これぐらいで。いっぺんに出してもできるわけがないからね」
 それから三日後、四人組は児童館にやってくると、ノートを乱暴にむしりとった紙きれを弘に差し出した。ひらがなばかりの、読みとることにひどく苦労する幼稚な字がくねくねとならんでいた。まるで小学一、二年生が書いたような文字だ。しかし弘がその一語一語を解読しながら読んでいくと、なにやら四人組のはんぱではない意気ごみが感じられるのだ。ルールを作るというところにこう書いてあった。
〈ぜったいにおやはいれないし、おやはかんしようしない〉
 弘はここで笑ってしまった。もうこの子たちは親からの独立を宣言しているのだった。そうだ、これは親からの独立宣言みたいなものだぞと思うのだった。
 弘は四人組を秘密アジトに連れ出した。そこは児童館の建物と隣の家とを仕切る塀のあいだにあって、ほぼ一メートルほどの空間になっている。その狭い空間が子供たちには妙に人気があって、ひそひそと秘密の話しをするときはいつもそこにいくのだ。
 その狭い空間にずらりとならぶと、
「だれか司会者というか議長をきめようよ」
「先生」
「いや、先生がなったら意味がないんだ」
「じゃあ、守がなれよ」
「うん、守だな」
 そして守が、ひどくまじめな口調で切り出した。
「まず、名前をきめます。名前はなにがいいですか」
 先日渡された紙切れに、ずらりとその名前が書いてあった。それを守はひとつずつ読み上げていった。
「セントセイヤー子供会」
「まんがぼっい」
「わんぱく子供会?」
「まあ」
「げんごろう子供会?」
「ガキっぽい」
「子供会っていうのが、ガキっぽいんだよな」
「じゃあ、少年隊?」
「だけど女も入るわけだから」
「少年少女隊か」
「子供団は?」
「それ、いいな」
「じゃあ、おちんこ子供団」
 こういう言葉でふざけるとき、彼らは急激に盛り上がっていく。
「おまんこ子供団」
「もういいの」
「だんだんセックス子供団になっていくな」
「繁っぽい」
「繁の専門だものね」
「まかせておいて、セックスの方は」
「次は?」
 そんなふうにして次から次に名前がだされていったが、どうももう一つぴんとこないのだ。もうすっかり出つくしてしまって、だらっとした雰囲気になった。そのときじっと黙っていた泰彦がふと言った。
「樫の木は? 樫の木子供団」
 そのとき一瞬、すとんと穴に落ち込んだような沈黙があった。みんな息することも忘れそうな衝撃だったのだ。そうだ。あの樫の木だ。みんなを結びつけたあの樫の木だ。その衝撃をいちばん最初に言葉にしたのは弘であった。
「それはいいな! それ、素晴らしい名前だよ!」
「いいな、それでいいよ!」
 と三人もいっせいに叫んだのだった。
 その活動はこれから児童館を拠点にして週一度集まって行われる。会費をとる。仲間を集めるためのパンフレットをつくる。子供新聞も作っていく。そんなことがその小さな空間のなかで次々ときまっていった。
 四人組はもうすっかりその気になっていた。しかし弘には越えなければならない高いハードルがあった。彼らの母親との対決だった。果たしてあの母親たちはこんな活動を許すのだろうか。子供たちに訊いてみると、なにやら許しているらしい様子でもある。しかし弘には、あの人たちがすんなりとこの活動を認めるわけがないと思った。
 しかし采は投げられたのだ。どこまで彼女たちを説得できるかわからなかった。あの高志とはじめようとしたときの二の舞になるかもしれなかった。そんな結末がくるような予感もする。だからといって、あいまいな形で通り過ぎることはできなかった。弘がこれからはじめようとしているその根本のところが理解されていなければ、またどこかでかならず彼女たちと衝突するにちがいないのだ。それならばはっきりと自分の主張を書いてみようと思った。
 その夜、弘は父母にむけた新聞を一気に書き上げた。

遊びこそ子供たちの原点
 いまの子供たちは受難の時代だと思う。とにかく遊ぶことから追放されているから。お父さんもお母さんもひたすら勉強勉強と言う。いちばん大切なことは点数をあげること、通信表の成績をあげること。そんなところでしか子供たちをみていない。子供たちは不幸だ。もともと子供たちは小さな枠にはおさまりきれない大きな可能性をもっているというのに。世界をかえる大きなエネルギーをもっている。そういう大きな可能性やエネルギーを引き出していくのは勉強やテストや通信表ではなく、遊びなのだと思う。遊びこそ文化の原点であり、学問の原点であり、創造の原点である。遊びを奪われた子供はかなりいびつな大人になっていくのではないかと思う。

木登り転落事件
 それはまったく見事な樫の木だった。すくっと気持ちよく伸びて堂々としている。てっぺんまで登ってやろうと誘惑にかられるような気品にあふれていた。子供たちはその木のてっぺんにとりついていた。その高さといったら下から見上げると天国のようだった。ぼくはすっかり感動してしまった。なんという子供たちなのだろう。なんというエネルギーなのだろう。この子供たちをつかまえて、木に登ってはいけない、危険だから降りてきなさいなんてどうして言えるだろうか。子供たちは登りたいから登った。四人組は互いにはげましあいながら、まるで世界最高峰を征服するようにして登っていった。大人たちが心配するように二人の子供が転落してしまった。一人は打ちどころが悪くて骨折してしまった。大人たちは言う。それみたことかと。そんな危ないことをさせるのがいけないのだと。しかしぼくはちょっとちがうと思う。子供たちは木から転落をした。そのことによってはじめて、自分の生命をいかにして守るかということを痛烈に学んだのではないだろうか。それは痛く高い代償であった。だけど子供たちはそういう体験をすることで、よりたくましくより強くなっていくのではないだろうか。

樫の木子供団
 四人組がやってきた。転落事件をひきおこした四人組である。子供会をつくりたいと言ってきた。ぼくは彼らにどうして子供会をつくりたいのだときいた。すると彼らはこうこたえた。もう一度あの樫の木に登りたい、今度こそみんなが登って転落しないように降りてきたいと言う。なんという子供たちだろう。ぼくはまた負けたと思った。いまの子供たちはだめだとか、友情がないとか、ファイトがないとか、飼いならされた羊であるとか言われている。しかしそんなことはない。子供たちは依然として元気があり、エネルギーに満ちあふれている。四人組は二か月もの重傷をおった子のグルーブなのだ。しかし彼らは少しもひるんではいない。それどころかもっとたくましくなり、もっと挑戦的な子になっている。ぼくは思うのだ。子供にとって怪我というのは勲章だ。怪我をたくさん作ることはその子の財産なのだ。あちこちにすり傷、切り傷、捻挫、打撲、骨折のあとをとどめている子供ってなんて素敵なんだろう。そんな子供はかぎりなく魅力的な人間になっていく。ぼくはすっかりこの四人組に感動してしまった。この子たちとならなにかができると思った。なにかとても面白いことが。もう名前もきまった。樫の木子供団。あの樫の木である。ぼくたちの最初の活動が、あの樫の木に登ること。そこからぼくたちの活動がはじまっていく。飼いならされた安全地帯にある遊びではなく、怪我をたくさんつくる遊びをしたいと思う。子供たちのからだに怪我というたくさんの財産をつくる活動をしたいと思う。

 その新聞を弘は一気に書き上げてしまったが、しかし読み返してみるとさすがにこれは書き過ぎたと思えるのだ。こんなことを書いたら、幸治たちの母親はふるえあがってしまうにちがいない。
 さすがに不安になった弘は、ゼームス塾にいって、長太にその新聞をみせた。長太はその新聞をにやにやしながら読んでいたが、
「この最後のくだりは削ったほうがいいよ。これじゃまるで、活動のたびごとに病院のベッドに送りこまれると思われるじゃないか」
「そう、そこは削ろうと思っていたんだ」
「あとはいいんじゃないかな。これぐらい書いても」
「幸治たちの母親に、あのときやられた復讐という気配が漂っているような気もしないではないが、そのへんはどうかな。そんなふうにとられると困るんだがね」
「だってそれは、弘さんの心のなかにあったんだろう。事実として」
「それは確かにあったよ」
「いいんじゃないのか。あのときは一方的に言われたけど、こんどは君の言い分をこういう形でお返しするわけだ。これで五分五分だよ。それにさ、これから弘さんがやろうとしていることは、こういうことなんだから、それを最初にはっきり宣言しておくということはぜったい必要だと思うね」
「しかし、あんまりストレートに書いてしまうと、母親たちはふるえあがってしまうのではないかと思ったりするんだね。とてもこんな活動に子供は参加させられませんって。ここはストレートに書くんじゃなくて、あいまいな文で、ひたすら母親たちに取り入るようにしたほうがいいんじゃないかと思ったりするんだ」
「弘さんは、そんな狡猾な手をつかえる人間ではないよ。ここはやっぱり正面からぶつかったほうがいいと思うね。怪我をすることは子供たちの勲章だということはとても大切だと思うよ。それをおそれていたら、実際にはなにもできないのだから」
「こんどの幸治の骨折をみてぼくは思ったよ。まったく子供たちの治癒能力というか回復力というものは、すごいと思った。怪我というものが、実は子供たちをさらに強くしていくんだということを発見したよ」
「それはほんとうにそうだな」
 弘はその新聞を子供たちにもたせて、母親たちに会う日を告げた。
 その日、弘は敵と戦うような悲愴な決意で、彼女たちを待ち受けたのだ。しかしその日の、四人の母親たちの態度は、弘の予想をまったく裏切るものだった。彼女たちは弘の説明にしきりにうなずき、出される質問もなにやらひどく好意的なのだ。とりわけあの病院でヒステリックに攻撃してきた幸治の母親は、しきりに弘の説明を援護するかのような発言をするのだ。
「人生、勉強だけじゃありませんものね」
「そうよ。社会に出たら通信表の成績なんてまったく関係ないのよ」
「いまはほんとうにわんぱくになって遊ぶことですね」
 とほかの母親たちもしきりに同調する。なにやら弘はきつねにつままれたような気分だった。おかしいな、これはいったいどうしたことなのか。これがほんとうの彼女たちの声なのだろうかと怪訝に思っていると、守の母親がちらりと本音のようなものを漏らした。
「六年生になったら、勉強に打ちこませるつもりですけどね。受験というものは、やっぱり甘くないものだと思いますし。ですからそのときの分まで、いまは遊んでおきなさいって言ってるんですけど」
 すると泰彦の母親もまた、
「うちも来年になったら、本格的に受験勉強させるつもりですけど、それまでは思いっきり遊ばせようと思うの。とにかく男の子ですからね。しっかりとわんぱくになるということも大切なのよね」
 これが彼女たちの愛想のいい言葉の裏にある本音だったのだ。来年になったらというけど、あと五、六か月しかないではないか。そんな短い期間になにができるというのだと弘は思ったが、まあそのことは置いておいて、とにかくはじめることだ。
 その週から活動がはじまった。毎週土曜目、児童館が終わったあとの五時半から七時半までを定期の活動日として、その他に一か月に一度、日曜日に野外活動をすることにした。活動がはじまると四人組から一気に三人ふえ、七人組になった。
 彼らが最初に取り組んだのは、まず丹沢のあの樫の木に登って、樫の木子供団の旗を高く掲げようという活動だった。子供たちはそれぞれ家からいらなくなったシーツを持ち寄ってきて、そこに六色のマジックをつかって、思い思いの絵を描きはじめた。海賊気取りのどくろを描いた絵もあった。すくっとのびた樫の木を描こうとした子もいた。ジャンプにのっているマンガを描いた子もいた。絵にならないでぐちゃぐちゃになってしまった子もいた。
 弘には子供たちに隠れてしなければならないことがあった。毎日深夜、家をぬけだし、近くの公園まで自転車をとばして、手ごろな木にとりついて木登りの特訓だった。今度こそ彼もまたあの樫の木に登らねばならないのだ。
 とうとうその日がやってきた。弘が品川駅の山の手線のホームに降り立つと、七人はすでにきていた。溌剌とした子供たちの顔が、弘にはまぶしかった。みんな実にいい顔をしているのだ。
 バスを降りて、山のふところ深くのびている林道を歩いていくと、木立や草のにおいが彼ら一行をつつみこんだ。道の下を青く澄んだ川が、さわさわと流れている。紅葉がもうはじまっていた。常緑樹の深い緑のなかで、落葉樹が葉を紅に黄に染めている。やわらかい秋の陽差しが、彼らの肩にやさしくふりそそぐ。弘は、この上なく満ち足りた気持ちで、この黄金の景色のなかを歩いていた。
 彼らの木が立っていた。まったくそのアカガシは森の王者のようだった。堂々としていて、気品があって。
「きたね、とうとう」
 と弘はみんなに言った。ここまでくる道は長かったのだ。いくどもの挫折があった。しかしとうとう子供団ができたのだ。万感胸にせまる思いで言ったのだが、子供たちはそっけなく、
「まあね」
「ぼくたちの木なんだ。この木はよくきたねと言っているようじゃないか」
 と弘はさらに言った。すると子供たちは冷ややかな目をむけて、
「先生、おかしいんじゃないの」
 リュックをおろして、ひと息ついてから、いよいよ木登り大作戦がはじまった。幸治がみんなの旗を集めた。そしてみんなにおごそかに言った。
「まずさ。おれが登るから。そしたらロープをおるすから。それでまず旗を全部あげちゃうからさ」
 幸治は木登り隊長の風格をはやくもみせていた。
 幸治はするすると登っていった。まったく猿のような身軽さだ。あっという間にその姿を葉群のなかにかくすと、まるで天から下ろされたように、するするとロープが落ちてきた。
 二番目は繁だった。彼はもうこの間のように木登りをこわがってはいない。闘志をむきだしにして登っていく。この間の失敗はしないと、その全身が語っていた。弘はそんな姿にすっかり感動していた。
 明、和雄、泰彦、武弘、守と、次々にとりついて、するすると登っていく。声もない。しんとした空気が、森のなかに張り詰めている。樫の木までも緊張しているかのようだった。しんがりは弘だった。靴を脱いで裸足になった。両足を蔓にまきつけて、その足でけりながら、片手をさらに上へとはわせていく。体重をかけた掌が、すりむけるように痛くなる。力つきそうになるが、ここでくたばったら男がすたれると、じりじりと登っていく。そしてやっと樫の幹が、最初に枝を分けた上に立つことができた。
「やった、やった!」
「もうひとつ登ってきてよ」
「いや、ここでもういいよ。こでぼくは、もう十分だ」
 その位置からでも、下をみると十分な高さだった。川の白く青い流れが美しくみえる。葉群れのすきまからみる山は、またぜんぜん別の様相をみせる。心地よい風がふきわたっていった。葉がさわさわと喜びの歌をうたっているようだった。
 上を見上げると、それぞれの枝にとりついた子供たちが旗をふっていた。緑の葉のひかりのなかで、樫の木子供団の旗が、のんびりとゆれているのだった。


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