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千曲川 または明日の海へ 第三章  小宮山量平

同胞(とも)よ 地は貧しい                      われらは                              豊かな種子(たね)を 蒔かねばならない                  ──ノヴァーリス


千曲川  または明日の海へ  小宮山量平

第三の章
汽車は煙を後にして

 気のせいだろうか、その年の春の訪れはおそかった。お城の壕(ほり)をめぐるサクラのつぼみは、四月の下旬に入っても、まだ固かった。三月の末に日本じゅうに吹き荒れた地方銀行の取りつけさわぎが、いつまでも尾を引いているようで、おとうさんに代って一家の主(あるじ)となった萬治郎兄さまの暗い顔つきが、いつまでもつづいているのだった。そんな折、佐久のおばあちゃんが、ひょっくりと出かけてきた。兄さまのお嫁さんに赤ちゃんがめぐまれたとかで、その「腹おび」をしめてやるために、というわけである。とたんに、ぼくばかりでなく、《その子》までが、おおよろこびで、はしゃぎまくるのだった。
 あっという間に咲いたサクラが、その時にはもう散っていたが、やがて井戸端の八重ザクラとサクランボウが花ざかりとなり、裏畑のリンゴまでが、ふさふさと花をつけ、ほどなく中庭の柿の花が、甘い匂いをふりまきはじめた。何ごとにつけても、明るい方へ明るい方へと縁起をかつぎたがるおばあちゃんは、誰にはばかることもなくお嫁さんのお腹をさすりながら言うのだった。
「見なやれ、いいアカ(赤ん坊)が育つように、今年の成りものが、みいんな満開だあ」
 そのつど、お嫁さんは赤らんでうつむくのだが、なかばうれしそうに、じっと眼をとじるのだ。そんなお嫁さんには、ぼくまでが何かしてあげたくなる。だが、男の子のぼくが、お嫁さんのお腹にさわるわけにはいかない。そこでぼくは、うまいことを考えついた。
 ぼくは、おばあちゃんに木綿の赤糸と針を借りた。いつだったか隣のキヨちゃんがぼくに作ってくれたのを思いだしながら、柿の花のビーズを作り、それをお嫁さんに上げようと思った。そんな手仕事をすぐに思いつかせるほど、庭いちめんに柿の花は散り敷いていた。ふっくらと丸い花は、小指の先っぽほどの丸いリングで、お尻の方から針を通すと、赤い糸の方へすいすいとつながっていく。十だ、二十だ、三十だ‥‥花のビーズは忽ち三十センチになり、五十センチに伸びた。そして最後の二十センチほどは、まだ枝についている花を萼のある丸ごと針を通してしめくくろうと、ぼくは手近な下枝を引きよせ、一つもぎとり、二つもぎとり‥‥三つめか四つめのときだった。すっかり花にもぐりこんでいたらしいミツバチが、あわてかえって身をよじるように花から抜け出ると、一ぺん地面に落ち、そこで正気にかえったようにもんどり打って飛び立った。が、それより早く、ぼくの人さし指のつけ根には、つきん!‥‥と、はげしい痛み。
「わっ!」と叫ぶなり、ぼくは庭先の厠(べんじょ)へ走りこんだ。着物の前をひらくなり、ぼくは、その刺されたあたりへ、勢いよく自分の小便をそそいだ。熱い。痛い。‥‥思いがけなく、「痛いよう、おとうさん!」と、ぼくは叫んでしまった。
 そうだ、とっさの間によみがえったのは、あの日のおとうさんであった。一年前の、今と同じ季節のころ。いや、サクランボウの色づき初めたころであった。おとうさんは、そのサクランボウの木の下の空き地に菊づくりの棚を作りかけていた。ぼくは、そんなおとうさんの背中にたわむれるように、サクランボウを目がけて木登りをはじめた。よいしょ、よいしょ、と、ぼくが元気よく太い幹を登り終え、最初の横枝へと取りついたときだ。ぼくの人さし指の先っぽに、何やらぐにゃりとさわったものがあり、とたんに、全身をつらぬくような痛みが走った。あっ! と、思ったときには、ぼくはおとうさんの背にワンバウンドして、地面にひっくり返っていた。
 おとうさんは、そんなぼくを拾い上げるように抱きかかえと、もう、厠にとびこみ、ひょいと着物の前をめくるなり、「ここか、ここだな」と、ぼくの手のひらを確かめると、熱い液体をそそぎはじめた。そのときになって、ぼくは、「あつつ、いてて‥‥」と、大声でわめきだした。
「ムシさされには、こいつが、いちばん効くんだぞ」──そう言いながら、おとうさんは、その先っぽの最後のしずくをふるい落とすまで、たっぷりと、熱さをそそいでくれた。まるで魔法のように、手のひらの痛みは去っていた。「今が、いちばん毒毛虫の多い時分だ。サクランボウを穫るには、まだちっと早いっつうわけだ。ノノさん(神様)はようく見ていて、もう少したつと、さあさあサクランボウをいっぺえ食えや、と、ああいう毛虫どもをみんなチョウやガに変えてしまうんだ」
 そう教えてくれたときのおとうさんの大きな眼玉が、厠の向い壁いちめんに浮かぶと、ぼくは自分の前を閉じるのも忘れて、くしゅんくしゅんと泣きだしていた。じじつ、おとうさんのときとは違って、指先の痛みは、少しも治ってはいない。すると、いつの間にか、お嫁さんがぼくの後ろにぴったりと寄りそっていた。泣きはじめたぼくの手を、ついと明るい方へかざして見ると、そうっと、親指と人差し指の爪と爪とを痛むとこへくっつけ、ひょいと、トゲでもぬいたのか。
「ほれ坊、これがミツバチの針ですに。ミツバチのオスは、いのちがけで人を刺す、刺すと針がのこって、自分は死んでしまうの」
 そう言ってお嫁さんは、小さなミツバチの針をぼくに見せながら、抜き去った後の人差し指の付け根を、ちゅっと吸ってくれた。
「うっ、汚ねえ!」
 ぼくは、自分の小便でぬれた手を、あわてて引っこめようとした。
「なんの、坊のものなら。汚いことなんかあらすか。わしの生家のブドウ園では、みんな、こうやるがね」
 お嫁さんは井戸端へぼくを引っぱって行くなり、釣瓶いっぱいの水を汲み上げ、そこへぼくの右手をつっこませた。やがて、その手を引きぬき、自分でなめてみると、あの鋭い痛みは遠のいていた。そんなぼくの仕ぐさをのぞきこんでいたお嫁さんの眼が、チカリと、ぼくの眼とかち合った。「うん、良くなったよ」と、ぼくはほほえんだ。
 そしてぼくは、あの柿の花のビーズを、お嫁さんに渡しそこねてしまった。

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 たしかに、そんなチャンスは、もう二度とめぐっては来なかった! それから四、五日して、佐久のおばあちゃんは帰ってしまった。「もうじき夏休みだに、そしたら迎えに来てやるに」と、おばあちゃんの残したなぐさめの言葉が、ぐるんぐるんと、玉虫色の星空をめぐる。さわさわと、あの渓(たに)間の空いちめんに、水と風のシンフォニイがひろがる。その中を《その子》がすいすいと駈けめぐり、「待ちどおしいなあ、待ちどおしいなあ!」と、ぼくの心のうちを歌いあげる。──そんなひとりぼっちの夜が、幾晩つづいたことだろう。
 その朝、ぼくは誰からも起こされないうちに、はっと目ざめた。何かが、ひんやりと枕もとを通りぬけたような気がしたのだ。見ると、そこには、今日の学芸会用にと、お嫁さんに頼んでおいた「良寛さま」の装束が、きちんとそろえてある。──そうか、それでぼくは緊張していたんだな……そう思って起き出たのだが、いつもなら必ず声をかけてくれるはずのお嫁さんの気配がしない。代りに、高等小学校一年生のフサヨ姉さまがしょぼんと朝餉の膳に向っている。
「急用でな、義姉さは昨日から生家へ出かけなすったと。兄さまもいっしょだと」
 ──そうか、せっかくの学芸会だのに、うちでは誰も見にきてはくれんのか。おばあちゃんも、お嫁さんも‥‥と、ぼくもしょんぼりと膳についた。
 たしか二、三年前の「赤い鳥」という雑誌(大正十三年七月号)に、北原白秋という詩人が、あの「からたちの花」の他にもう一つ「お坊さま」という詩を寄せていた。その詩に「夕焼小焼」などでおなじみの草川信という作曲家が曲をつけると、さっそく柳沢先生はそれを手に入れ、今度の学芸会の劇に取りあげたのだ。
 かんたんな前奏につづいて、舞台の右手から、ハルちゃん、シュウちゃん、ケサヨちゃん、セイちゃんなど男女四人の子どもが手をつないで登場し、〽もうし、もうし、おぼうさま、ああかいつめぐさ、さきました‥‥と歌う。
 すると左手から、杖をつきながら坊さん姿のぼくが登場し、〽いえ、いえ、わたしは、いそぐでな。このみちとおして、くだされや‥‥と、歌うのだ。つづけて、
 〽もうし、もうし、おぼうさま、
  こねこがうまれて おりまする。
 〽これこれ、お日さまはいるでな、
  そのそで、はなして、くだされや。
 と、子どもたちと坊さんのやりとりはつづくのだが、三番に至って子どもたちは、
 〽もうし、もうし、おぼうさま、
  なにかくだされ、はなします。
 と言うことになる。困り果てた坊さまは、
 〽ほらほら、見なされ、このとおり、
  お数珠がひとかけ、やーぶれ笠。
 と両手をひろげて、おおげさにひっくりかえるのだ。だが本番のその日、ひっくり返ったぼくは、辺りにひびきわたるほど、したたかに頭を打った。とたんに、ぼくの眼から、ほんものの涙があふれでるありさま。もしかすると、真に迫った良寛さまぶりと思ってか、客席からは大きな拍手が生まれるのだった。だが、その時、劇の緊張から解き放たれたぼくの心には、その日の朝以来の重苦しい予感が、いっぺんにふくれあがってきたらしい。ぼくは柳沢先生の胸に抱きかかえられると、ぐったりと泣きつづけた。
 ──たしかに、その日をもって、ぼくの姿はこの学校から消え去ることとなる。そんな運命が、ぼくを待ち構えていた。

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 家へかえったとたん、客間の方から聞こえてきたのは、にぎやかな男たちの声だった。のぞいてみると、佐久のおじいちゃんがいる。ハルヨおばさんの旦那のクニおっちゃんもきている。そして分家の常次郎おじさんだ。ふと振り返ったおじいちゃんが、
「坊か、ここにきて、ごあいさつせんか」
 と声をかけたのに返事もせずに、ぼくは、おばあちゃんもきたのではないか、と、おおいそぎで居間の方へ行ってみた。が、そこでお茶番をしているのは、近所に嫁いでいる二番目のナオ姉さまだけだった。
「今夜はな、だいじな話があって、男衆ばかりが泊りなさるんだと」
 姉さまは、何故か小声でそう言うと、おじいちゃんの手土産らしい望月の《ようかんがけ》を五、六粒、小皿にのせてくれた。
 陽の長い季節で、まだ明るいうちから、おじいちゃんたちの夕餉は始まった。学芸会での緊張の疲れのためか、夕闇の迫った宵のうちから、ぼくは寝床にもぐり込んだ。高等科に進んだフサヨ姉さまも、女学校三年のヤヨイ姉さまも、それぞれ寝間をのぞきこんでくれたが、ぼくは眠ったふりをしていた。うつらうつらと眠りにおちこんだころ、ナオ姉さまがそっとぼくの額に手をあて、「あっ!」とおどろいたように部屋を出るなり、すぐに手ぬぐいを絞ってきたらしい。そのひんやりとした冷たさを額にのせてもらうと、ぼくは「だいじょうぶだよ」と呟き、そして、ほんとうに安らかな寝息を立て始めたらしい。
 一度、客間の方から、どっと笑う声が聞こえ、隣の部屋の時計が十時をうつのを聞いた。すると、その後の闇の中には、その時計の時を刻む音が、チッチッチッ……とひろがる。その音にそそのかされたかのように、《その子》の登場だ。例によって、何やら楽しげに、
 ──大変だあ、大変だあ!‥‥とさわぐ。
 ──萬治郎兄さまが、家出されただと。お嫁さんの生家(さと)にも、寄らないんだと。
 ふしぎなことに、《その子》がおおさわぎしても、ぼくは、びっくりしない。そうか、そうだったのか‥‥と、とっくになっとくしていたかのような気がするのだ。三月以来の兄さまの心配そうな顔がうかぶ。何やら淋しげな嫁さまの顔もうかぶ。あの柿の花のビーズを渡しそこなった日の人差し指のつけ根の痛みを、そっと思い出すように撫でてみる。そしてぼくは、ふたたびつづきの眠りに落ちこんだ。
 ──あいつも、バカな奴だ。だれも、煮て食おうの焼いて食おうのと言うわけでもあるまいのに‥‥もちっと、辛棒したらいいのに‥‥ほんに、バカな奴だ!
 その眠りの中へ、そんな声が忍びこんできたような気がする。だが大変なのは、それからしばらくして、真夜中の時計の音が、ふたたびぼくの耳の中で烈しくひびきわたったときだ。いや、時計の音とはちがう!
──ぐっぐっぐ‥‥ぐおっ! ぐっぐっぐ‥‥ぐおっ!
──かっかっくうっ‥‥くうっ、かっかっか‥‥くうう!
 ──あふ、あふ、があっ‥‥あふ、がっ‥‥あふうーっ、があっ!
「あれは何だ!」と、ぼくの眼は冴えた。
 とたんに、《その子》のかん高い笑い声が、すさまじい轟音の間をぬって、ぼくの耳にとび込んでくる。
 ──うわあい、イビキだ、イビキだ!
《その子》は、まるでお祭りのようにはしゃぎまわって、すぐ隣の部屋でようやく寝ついたらしいお客たちの頭上を駈けめぐり、欄間の彫り物のすき間からぼくの耳もとへ駈け込んでくる。すると、すき間風でも通りぬけたように、お客たちのイビキが、ふっととだえる。思わずぼくが、ほっとしたとたん、前よりもいっそう大きく、
 ──かっかっくうっ くううっ!
 ──ぐっぐっ、ぐぉっ!
 ──あふっ、あふっ、があっ!
 と轟音のシンフォニイが再開され、まるで勝ちほこったように、《その子》のかん高い笑い声が暗闇の中を駈けめぐる‥‥。
 ぼくは、ぐったりとくたびれた。やがて、そのくたびれに打ちのめされたように、深い眠りに落ちこんだ。

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 ぼくが眼ざめたときには、お客たちは、もう朝餉の膳についていた。ナオ姉さまの作ったみそ汁の香りが、すがすがしくただよっていた。が、ぼくは何となく頭が重く、全身がけだるかった。さすがに、おじいちゃんがすぐに気づいたらしく、「どうしたや、坊?」と、ぼくの額にさわろうとした。だが、その手の下をかいくぐるようにして、ぼくは、思わず言ってしまった。
「だってあんまりイビキがうるさくって、眠られやしないんだもん!」
 とたんに、おじいちゃんが言った。
「ふんとだ。なんしろクニさのイビキにや、おれも参ったぞい」
 するとクニおっちゃんが、苦笑いしながら呟く。
「支店のおじさまのイビキも、そうとうなもんでしたなあ!」
「いやいや、おふたりの間にはさまれて、わしは、よう眠れやせんでした!」
 分家の常次郎おじさまはひょうきんな眼をむいて、他の二人の顔を代るがわる見つめると、ばくはつしたように笑いだした。そんな笑いが、昨日から何となくこの家の中によどんでいた重苦しい空気を吹きとばしたのだろうか。
 常次郎おじいさんが、ちょっと改まった口調で、ぼくにともなく、今日はまだ学校にも行かない二人の姉さまたちにともなく、言うのだった。
「おまえた(、)の兄さが、急に家を出てしまってなあ。この家の商売も、いよいよおしめえというわけだ。‥‥明日からは、借金とりたちが、ここの差し押えにやってくる。その前に、おまえたの身の振り方を決めておかにゃならねえわけで、そのために、望月のおじいさまにも、芦田のおじさまにも、こうして来てもらったつうわけだ‥‥」
 そして常次郎おじさんは、今更のように、たくさんの子どもたちの身の上を数え立てて見るのだった。
 幸い、上の姉ふたりは父親の達者の間に、先ずキク姉が駅前の旅館へ、次のナオ姉が近くの月給取りに、それぞれ嫁いでいた。つづく兄弟三人は、友好も、英雄も、庄三郎も、それぞれ各地の酒店へ奉公に出ている。この春に女学校を卒業したミチ姉は、川中島に開業した叔母の呉服店へ手伝いに出ている。さて、残る三人のうち、ヤヨイは、ナオ姉が近く出産となるので、とりあえず女学校を了えるまでは面倒を見てもらえることとなった。フサヨは、キク姉の旅館でお手伝いをしながら、高等小学校へは通わしてもらえる‥‥。
「そこで坊は‥‥」と、おじさんがぼくを見つめた。すかさず、おじいちゃんが、そのあとを引きうけて、「坊は、望月だ」と言う。それをおさえるようにクニおっちゃんが、思いがけなく「坊は、いいとこへ養子に行くんだ」と言うのだった。だがそのとき、ぼくの囗をついて叫ぶように飛びだした言葉には、ぼく自身が、びっくりしてしまった。
「おら、東京へ行くんだ!」
 おそらく五年生になったその新学期の初めから、五月号、六月号、七月号‥‥と、ぼくが柳沢先生公認のもとに、教室でみんなに読んで聞かせた「少年倶楽部」の佐藤紅緑先生による連載小説「あゝ玉杯に花うけて」の主人公たちが乗りうつっていたためだろうか。ぼくには、家が倒(つ)産(ぶ)れたとか、一家が離散するとか、そんな悲しげな思いは全くなかった。何やら、羽でも生え、明るい光の方へ飛び立つような浮き浮きした世界が、急に眼の前に開けたような思いで、胸がいっぱいにふくらんだ。
 そうだ、おばあちゃんに、その思いを言ってみるんだ。「おらあ、東京へ行く!」と。急に元気が出た。朝飯もそこそこに、ぼくはランドセルを背負い、まるでおじいちゃんやクニおっちゃんを急きたてるのだった。
 ようやく人力車が来てくれて、ぼくはおじいちゃんの股の間にはさまれて乗り込んだのだが、もう後も振り返らなかった。家の真ん前の高橋を渡った。すぐに、ふた親の眠っている芳泉寺の坂を下った。やがて、鉄道に並行している新道へ出た。そこからは、左手の台地に城跡が見えた。それらを眺める人力車のひと揺れひと揺れが、新しい雑誌のページをめくるように、ぼくの胸をはずませるのであった。

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 おじいちゃんたちが駅前のキク姉さまの旅館へ寄り込んで、何やらくどくどとあいさつしている間にも、ぼくは駅の木柵にまたがって、鉄道のここあそこにみなぎっている活気に心を奪われきっていた。ほどなく到着した汽車の《上野行》という文字までが、ぼくの心をいよいよ弾ませるのだった。だが、ぼくたちは、たった二駅目の田中で降りねばならなかった。駅前には、あの乗合馬車の代りに、望月行の小さなバスが待ち受けていた。いよいよ、おばあちゃんに会える!‥‥。ぼくは、生まれてはじめての田舎のバスに、イのいちばんに乗り込むと、いちばん前の席に陣どって張り切っていた。
 ところが、何としたことだろう! おじいちゃんたちは、バスが鹿曲川の新しい橋を渡ってほどなく、そそくさと降り支度をすると、大日向という谷間の集落へ、どっこいしょと、降り立ってしまうではないか。そこからが、クニおっちゃんの芦田の町への近道なのだ。いつの間にやらおじいちゃんとムコどのの間には、もうひと晩、ゆっくり呑みなおす相談が成り立っていたようだ。
 だが、もともとそんな計画をめぐらしたのは、ハルヨおばさんだったらしい。八重原高原を越える二里(八キロメートル)近い道を、やっこらせえ、やっこらせえ‥‥と、おじいちゃん本位の歩みで芦田の宿場へ辿りつくと、予期していたかのように、おばちゃんは門ぐちまで迎えに出ていた。その傍らには、もう一人、見知らぬおばちゃんが立って、ぼくを見るなり、かかえ込むようにのぞき込んだ。
「あれ、これがとりのさんの末っ子だらずか。‥‥そう言えば、似ていなさること」
 と、そのおばちゃんが決めつけた。
 どうやら、このおばちゃんは、芦田の宿場第一の身上(しんしょう)持ちの商家《寿屋》のおかみさんで、ぼくを養子にとねらっているらしい。その晩の、おじいちゃんたちの酒盛の席にまでやってきて、つくづくとぼくの品定めをするありさまであった。
 けれどもぼくは、その翌朝、眼をさますなり、となりの寝床のおじいちゃんに、きっぱり言ったものだ。
「おら、養子はやだ。東京さ行くんだ!」
 思いなしかおじいちゃんは、そんなぼくに、しみじみとやさしいまなざしをそそいでくれた。
「そうだとも。坊は、先ず望月へ行ってな、この夏休みを、おばあちゃんのとこで過ごすのさ。それから先のことは、藤一おじさんに相談してみるんだなあ」
 藤一おじさんというのは、おじいちゃんの末の息子で、とり(、、)の(、)かあさんの弟だ。もしかすると、この若い叔父こそ、
「あゝ玉杯に花うけて」の源太さんのように、ぼくの守り役になってくれるのではなかろうか。正に正義の士であるにちがいない!‥‥。望月へと向かうぼくの足どりは、思わず軽くなった。
 だがおじいちゃんときたら、ムコどのが土産を持たせてくれた酒屋の小徳利を、ぶらりこぶらりこ下げながら、一向に急ごうとはしない。あげくのはてに、本道から横道にそれて、大曲りのおイナリさんにお詣りして行こうと言いだすしまつだ。
 なるほど、そのおイナリさんの杜へついてみると、ぼっこりした高い台地の外れからは、眼下に鹿曲川が大きくうねり、その向う岸には、くっきりと乗合バスの通る街道が見え、背後には御牧が原の段丘が連なっている。
「坊、見ろや。あの右手の城光院の下から、左手の印内の辺りまで、昔は、みいんなおじいちゃんの地所だった‥‥」
 どうやら、その風景をぼくに見せたくて、おじいちゃんはここへ立ち寄ったらしい。小さな社殿の縁に腰をおろすと、緑色の涼風が音もなく通り過ぎて、どんな疲れも、忽ち消え去ってしまうようだ。
 呑んべえのおじいちゃんは、そこで、ハルヨおばちゃんが包んでよこした昨晩のてんぶらの残りをひろげると、さも気持ちよさそうに徳利の酒を呑みはじめた。
「土産にや少なし、荷物にや重し、だ。おじいちゃんが、こいつを片づける間に、坊は、このてんぶらを、裏の木の根方においてみろ。十五分もすりゃあ、きっと、おコンコンさまが平らげて下さるぞい」
 言われた木の根もとは、なるほど、洞になっていた。そこへてんぷらをおくと、ぼくは社殿の反対がわへと廻って息をひそめた。すると眼の前の地面に、やたらにおコンコンさまのせとものの模型のかけらがちらばっているではないか。その赤や金に彩られたかけらが、何となく無残で、ぼくは首と胴体とがつながりそうなのを選んでは、いつかそれをつなげてやろう、と、思い立った。五組か六組を選びぬいてから、ふと気がついて、例の洞の前へ行ってみると、無い。みごとにてんぷらは消え失せていた。
「おじいちゃん、ふんとに無くなってる!」
 と、ぼくは叫んだ。だがおじいちゃんは、ふと遠く川向うへ眼をやったまま、どこやら淋しげに、じっとしている。
「おじいちゃん、それで、あそこの田んぼや畑は、どうなってしまったの?」
 ぼくは、そうっと聞かずにはいられなくなった。夢からさめたように、おじいちゃんはもう一度、右から左へと眺めわたすと、
「みいんなみんな、このおじいが呑んでしまった!」と、うっすらと笑いながら答えた。「じいちゃんも養子でな。自分で稼いだ身上でねえもんだから、気がついてみたら、みいんなきれいさっぱり呑んでしまっていたわ」
 そう言うと、よろりと立ち上がり、「さ、行くとするか」と歩きはじめた。
「坊は、自分で稼ぐ人物になるんだ、な」
 つづいておじいちゃんの言ったその声が、ぼくには忘れられないものとなった。

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 おばあちゃんは、ずいぶんと待ちかねていたように、中之橋の上まで出ていた。橘の手前からその姿に気がつくなり、ぼくはもうまっしぐらに、おばあちゃんを目がけて走った。すると両方のポケットの中で、ガチャガチャとおコンコンさまのかけらが鳴った。
「あれっ、何だやあ、これは?」
 おばあちゃんは両腕の中へぼくを抱き込むやいなや、両ポケットのふくらみを確かめるようにおさえた。すぐに、そのかけらを二つ三つ取りだした。とたんに、おばあちゃんの顔色が変わった。自分の前かけをひろげると、
「坊、それをみんな、ここへ出して!」
 と叫んで、ぼくの両ポケットを空にさせるなり、おじいちゃんをにらみつけた。
「おじいさがついていながら、何てことを仕でかしただいや。ほれ、ごらんなすって!」
 おじいちゃんもびっくりした。
「坊はいつの間に、このけんまく(たくさん)‥‥」
「おらあ、おコンコンさまがおやげねえから、首をくっつけてやろうとしたんだ」
 おじいちゃんとぼくの言い訳を後にして、おばあちゃんは、とっとと家に駆け込むと、神棚の燈明をともし、その前にかけらを積み上げて、ぶつぶつとお詫びを申し上げていた。
 おそるおそるとその後ろに立ったおじいちゃんを振り返るなり、おばあちゃんは叫んだ。
「罰が当たりやすよ、いかに子どもでも、神さまのものを盗ってきたからにや……すぐにも、新しいおコンコンさまを買ってお返しに上がらなけりや!」
 おばあちゃんの余りの真剣さに、おじいちゃんもうなずくばかりだった。
「うん、明日さっそくお詫び詣りするぞい」
 だが、おばあちゃんの心配は、その日のうちに事実となった。ほんとうは、この幾日の言うに言われぬ子ども心の重荷が、いっべんにゆるんだために違いない。その安心感が、おばあちゃんへの甘えとなって噴き出たのだろう。急に、ぼくがぐったりとしてしまった。熱も出てきた。
 おじいちゃんにしてみれば、先ずはお医者さまを迎えにと走った。その老先生がゆったりと現われるなり、おばあちゃんは、狂ったように取りすがって、
「先生、罰が当たったでごわす。おイナリさんの罰ですに、子どもだから、訳も分からずにおコンコンさまを拾ってきやして‥‥」
 などと繰り言をいうのを聞き流しながら、お医者さまはお医者さまなりに、きっぱりと診断をくだした。どうやらぼくは腎臓病に取りつかれているらしく、それにこの二、三日の無理が加わって、気をつけないと肺炎を併発するおそれがある──という訳だ。
「いいですか、絶対安静ですぞ!」
 老先生のきびしい指示で、ぼくはその夜から風よけの紙蚊帳というものの中へとじこめられた。枕もとの火鉢には湯気を立てる銅壷がかけられた。果たしてその夜から、ぼくの体温は四十度近くまで上がった!

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 こうして、昭和二年のその夏、ぼくは生まれて始めての大病に見舞われた。
 幾日間だったろう? ぼくはこんこんと眠りつづけていた。夢さえ見なかった。《その子》も、現われなかった。そしてその間に、夏休みは始まり、御牧が原からは、みずみずしい水蜜桃や西瓜が運ばれてくるようになった。
 蝉の声がミインミインと絶え間なく聞こえるようになると、このおじいちゃんおばあちゃんの隠居屋敷にも、東京辺りから子どもやら孫やらが次々と訪れるようになった。そして八月の声をきくと、何やら憑き物でも落ちたように、ぼくの心身には、さっぱりと元気がよみがえった。自分でも、眼もとが涼しくぱっちりするような気分が分かった。
 今になってみれば、あれはおイナリさんの罰などではなく、亡くなったおとうさんやおかあさんからの何よりのプレゼントでさえあったようだ。ぼくが眠りつづけている間に、上田の生家の倒産さわぎも始末がついたとか。それぞれに兄弟姉妹たちの身の振り方もきまり、いつしかぼくの「養子」さわぎもおさまったらしい。やっぱり、わが正義の士・藤一おじがテキパキと活躍して、「東京へ行く」というぼくの願望は叶ったようだ。転校手続きも了え、東京の住いも用意されたという。
 例によって、もともと楽天的なおばあちゃんの如きは、会う人ごとに、「この子には運がついてやす、何しろ善光寺さまのお数珠(すず)を三回もいただいただもの」と、ふいちょうするのだった。ひと月おくれの盆も過ぎて、もはや雲のたたずまいにも秋の気配がのぞくようになると、ぼくは藤一おじの迎えを、指折り数えて待つばかりとなっていた。
 そして、九月も三日後に近づいた日。
 ぼくは憧れの《上野行》の夜汽車に乗り、乗るやいなや窓ガラスに顔をくっつけ、ひたすら外の景色に吸いよせられていた。田中駅から一時間半もしたころから、列車は碓氷峠に差しかかった。もちろんトンネルともなれば、外はいよいよ見えない。それでもぼくは、歌い馴れた《信濃のくにの歌》を、何度も何度もくり返してはトンネルを数えた。
〽わが妻はやと 日本武尊(やまとだけ) 嘆き賜いし 碓氷山 くぐるトンネル ニ十六 ひとおつ、ふたあつ、みいっつ‥‥そしてついに、にじゅうろーくと数え終わったその一しゅん、ぼくは「やっぱり二十六だ!」と、心に叫んでしまった。ぼくという少年の人生において、歌の中の二十六が、さて人生の山坂の二十六であると納得できたよろこびは、うっとりするほど満足であった。
 トンネルを過ぎると、下り坂に差しかかった汽車のスピードは一気に上がった。それはそのまま、東京へ東京へと、ひたすらに逸るぼくの心のリズムとなった。
  〽千里(ちさと)の山坂ひたばしり、
  汽車(くるま)は煙を後にして、
     楽しの希望(のぞみ)を載せ行く時、
     嬉しの旅路を駆け行く時、
   響くやわだちのとどろきに、
   こころも空にぞ勇むなる。
 そのリズムに合うのは、この歌をおいてなかった。ぼくは、この歌を繰り返し繰り返し口ずさんで倦きなかった。
 そんなぼくの姿に、眠たげな半眼を開いて気づいた藤一おじが、むにゃむにゃと舌なめずりしたかと思うと、ぽっつりと呟いた。
「あのなあ坊、東京へ着いたら、おら(、)あ(、)はやめるんだぞ。ぼくというんだ、ぼくと‥‥」
 そして、むにゃむにゃと、ふたたび眠りに落ちこむのだ。うす暗いガラス窓に映るその顔を眺めながら、ぼくは思った。
「そうか、ぼくと言うんか‥‥そうか」
 一しゅん、ぼくの歌が停止した。汽笛が、ほーつと、溜息のように鳴った。

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成長することの難しい時代における千曲川
                  河原俊雄

 成長することの難しい時代だ。あるいは、成長の足跡が見極めにくい時勢、と言うべきかも知れない。
 人はいくつかの出会いと別れを経ながら、幼児から児童へ、児童から少年へ、そして青年期を後にして成人へと育っていく。いや、育っていった。一つの成長期から次の段階への移行のすべてが、はっきりと自覚されたものではなかったにしても、一歩階段を上がるような段差の感覚はだれしももち得ていて、自分史の中に濃い陰影を刻んでいるのだと思う。それは、個々人の心象風景ではあるが、成長の各段階に合わせて、幼児には幼児の、児童には児童の、少年には少年固有の世界なり空間なりがたしかに実在していたことによっている。

 小宮山さんの「千曲川」は、そんな成長期に見合った空間あるいは特有の空気というものを、肌に触れるかのような筆致で描きだした作品である。
 銭湯でおかっぱの髪を洗ってもらうとき、「ぼく」のほっぺたや瞼にふれた芸者さんのおっぱいのさくらいろの匂い。幼児期のかすむような幸福感が不思議ななつかしさで漂ってくるようだ。

 切ないほどに児童期を思い出させるのは、
「先ず三人のちんぽこは、そろってぐりっと顔をだした。三人が三人とも勢いよく小便を発射し始めた。川の神さん、じょんじょん、ごめーんごめーん……まずマサオちゃんが唱え、次いでタカシちゃんが、そしてぼくが。……三人の小便をあわせた岩の裂け目は、アリを浮かベゴミを浮かべ、大河のようにきらめき流れた。熱い太陽の真下で、ぶるっともせず少年たちの儀式は終えた」といった場面である。

 少年たちが若い看護婦たちをからかう竜の行列には、なんと多くの少年期の思いが詰まっていることだろうか。異性への憧れ、はにかみ、やるせなさ、整理仕切れぬ感情の高ぶりを振り払うような粗野な行動。
 上げていけばきりはない。語られるエピソードの一つ一つがその年頃の少年の世界を色彩豊かに描写しつくしているのである。

 そんな活写の妙とは別に、この「千曲川」の流れに身をゆだねるときに私が感じる深い安堵感といったものは、実はそれらの情景が幼児期から児童期へ、児童期から少年期へとひとりの少年の成長の踏み跡として語られていくことによっているのである。成長は漫然とした歳月の経過の中で連続的に成し遂げられて行くものではない。滴る水のような月日を存分に蓄えた鹿おどしが、瞬間、跳びはねて次の蓄積に備えるように、抜き差しならない非連続の跳躍といったものが成長には必要なのだということを、「ぼく」の出会いと別れを通して知ることができるのである。

 親のかわりとして限りない愛情をそそいでくれた祖母との別れがある。鹿曲川に抱かれるようにして戯れた仲間たちとの別離は兄貴分たるシゲルさんのブラジルへの出立によって甘く切なく完結する。五年生から六年生に進級すれば、もうがきどもとは違う「あんちゃん」なのだという自覚、これも一つの精神的な踏み段であるだろう。わずか十三歳という若さではあるけれども、銀行給仕として社会に踏み出していく「ぼく」。そのときどきに掛け替えの無い出会いがあり、別れがある。

 ときにやるせなく、ときに激しい痛みを伴って、別離の喪失感に耐えながら「ぼく」は着実に成長していくのである。出会いが開く新しい世界を、別離によって自分の中に蓄積していくのである。しかもその堆積はほこりのように漫然と降り積もるものとしてあるのではない。はっきりと層をなして積み重なり、人間としての滋養を蓄えていくのである。出会いの中で十分に熟成してきた内面が、ひとつの出来事を契機としてはじけ出てくるのである。これが、まさしく成長というものの有り様なのではないだろうか。

さて、翻って、現代は成長が困難な時代であるとつくづく感じる。いつかは突き放すべき身でありながら、子供が青年期を迎えてもなお回りにまとわりつく親達。大人になりきれない親が子供の巣立ちをなんやかやと妨げる。揚げ句は親と子は友達同士などと互いに成熟の機会を放棄するのである。
 いたずらを重ね歩く悪たれ仲間というものが存在しなくなってしまった。あるのはファミコン仲間のみ。背を向け合ってディスプレイにのみ対面する子供たちは単なる群れに過ぎない。希薄なつながりから濃密な別離など生じようはずはない。ここにも成長の跳躍板は存在しない。

 子供たちの世界は今や水平社会であり同質杜会である。がき大将がいない。兄貴分がいない。憧憬の対象、目標とすべき存在がないということは、成長への階梯が成立していないということである。どこまでも成長しにくい時代である。月日が漠然と過ぎていき、着実に年はとっていくのに、人間の精神はどこかの杭にひっかかったままである。大人は子供であり、子供は一面大人である。現代がそんな奇妙な時代だと、はっきりと気付かせてくれるのが、この「千曲川」なのである。

 幼児期には幼児期の匂いがあり、児童期には児童期の風景がある。それらは確かにつながっていながら厳然と別の世界をなしている。一つ一つ成長期を上っていく「ぼく」の軌跡を懐かしくあるいは羨ましく追いながら、「階段をのぼるように成長する」ことが当たり前であった一昔前の現実を確認するのである。と同時にそんなありきたりの事柄が、かくも難しい現在に思い至るのである。このことは、小宮山さんが意図した「時代を描ききる」こととはあるいは別の事柄であったかもしれない。しかし、すぐれた時代描写はその時代がもち得た特質を生活の深層で描き出すとともに、今の時代の病理を的確にえぐり出すものだと思うのである。

 大人になりきったことに自信をもち得ない私たちに『千曲川』の続編はどんな成長の有り様を示してくれるのであろうか。

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